82 帝国からの使者

 ヴァルムの予想通り帝国から使者がやってきたのは二日後だった。

 膠着状態が続く中、海獣はじりじりと帝国の港に近付いていて、藁にも縋る思いというのが透けて見える。

 その割には大国気取りの横柄な態度に辟易して、パエニンスラは関係ないと追い返すこと二度。

 ようやく話し合える雰囲気の人間が出てきて、ビヒトはホテルの一室で彼と向かい合っていた。


 アレイアに留学経験があるという、帝国にしては珍しい(アレイアの者が帝国に留学するのは良くある話)経歴の魔術師参謀という肩書きだった。指揮官クラスの制服に身を包み、柔和に笑みさえ浮かべている姿は今までの発火即爆発的な人間とは比べ物にならない。

 高級そうな茶を口に運びながら、ビヒトはそっと相手を観察する。

 当たり障りのない挨拶を終えると、相手は「さて」と身を乗り出した。


「まずは、貴方の施した魔術がどういうものかお聞きしたい。なにせ見た者がどの属性の魔法なのかさえ判らないというものですから、お恥ずかしい限りではありますが、御教示願えればと。有効な手立てもなく、消耗戦を強いられる中、聞けばあれは貴方一人で維持しておられるとのこと。しかも、貴方は魔術師ではない、のですね?」

「ああ。俺が使えるのは魔法陣だけだ。魔法は発動できない。あれもそう大層なことはしていない。こちらに飛んでくるのは一つか二つ。だから、維持していられるだけのこと」

「魔法陣? 海の上にでもお描きになったのですか」

「そこは、どうとでも思ってくれ。教えても役に立たんだろう。陣が知りたいのなら教えてもいい。だが、それでは解決にならないと思うが」


 にこりと男は微笑む。


「同感です。ですが、後学の為にも是非、お願いします」


 軽く頭を下げる様子は強かで、帝国の人材の厚みを感じる。

 別に帝国に恨みがある訳でもないので、普通に頼まれたのなら拒否する気もない。先日までの茶番は何だったのかと、ビヒトは小さく息をついた。

 書くものを用意してもらい、その場で魔法陣を描き上げる。男はじっと最後まで目を逸らさずに見つめていた。手元で皮紙かみを回して差し出す。


「属性はつけてない。何でもいいと思う。要は、球を形成してる外枠の魔力の一部を相殺するなり削るなりして壊してやれば、そこから勝手に崩壊する」

「外枠……?」

「魔力を帯びているからといって全てに行き渡っている訳じゃない。あれは海水のたまを作って、その外側に魔力の殻を纏わせて補強してるんだ。だから、違う攻撃になれば、その陣は役立たなくなる」


 厳しい顔で陣を見つめながら、男は小さく呻くような声を上げた。


「何故、外枠だけと」

「一度触れたからな。魔法ではないし、斬ってみて判ったことでもある」

「斬る……なるほど。うちの魔術師では難しいところです」


 一度、窓の外に目をやると、男は悔しげに眉を顰めた。

 窓の外には桟橋で立つヴァルムが見える。


「貴方の目線は新鮮だ。もう少し近くでアレを見ていただいて、できれば協力を……」

「残念だが、俺が抜けるとこちらの負担が大きい。それとも、俺が抜けた分、人員を回していただけると?」

「そこまでの余裕はこちらにもない……依頼料ならば、用意はあります。先払いでもいい」

「金の問題じゃないと言ってる。それに、」


 立ち上がったビヒトに、男の従者が渋い顔をした。


「俺は攻撃ではそれほど役に立たん。近づけなければ陣を駆使してもそちらの魔術師には敵わない。護りも咄嗟のことでは陣も描けん。それでもと言うならば、何をどうするつもりなのか明確にしていただいてから、話を聞こう」


 自らドアを開け、男に退出を促すビヒトを、従者が睨みつけている。

 男はそれを軽く制した。


「明確にするためにも御同行願えないかと話しているのです。金の問題ではないと仰るが、貴方がここを心配なさるのなら、それで別の冒険者なり魔術師なり雇えると思うのですが。早い解決はあなた方の益でもあるでしょう」

「俺の施した魔法陣は特殊だから、他の者では魔力が籠められん。ついでに言えば、いくつも設置出来るものでもない。俺を頼ってくれた友にも悪いし、元はと言えば、そちらの軽率な行動で巻き込まれているのに、どうにかするのはそちらの責務でしょう? 俺などではなく、国にたすけを請えばいい」


 男は剣に手をかけた従者を息をついて宥め、立ち上がると、ビヒトの前を通り過ぎざまに呟いた。


「では、我々が最善を尽くした結果が、をこちらに追い立てることになっても、恨まないでいただきたい」

「それが帝国のやり方なら、覚えておく」


 絡んだ視線は、すぐに外された。



 ◇ ◆ ◇



「どうだった?」


 剣を肩に担ぎながら、ヴァルムは横に並んだビヒトにのんきに声をかける。


「協力してくれないのなら、をけしかけるって脅された」

「ほぅ。外海への誘導も上手くいってないのにか」

「俺じゃなくても、ヴァルムでも良さそうだったぞ」

「岸に上げてくれりゃあ、やってもいいがなぁ。さすがの帝国も厳しいようだな」

「の、割には態度がデカい」

「弱味を見せたくないんだろう」

「逐一見られてるのに?」


 ヴァルムは喉の奥で笑う。


「だからよ。この期に及んでパエニンスラに正式な協力の要請はない。ここまできても内々に処理したいらしい。冒険者の言は軽んじられとるからな。わしらの口などどうとでもなるのさ。下手すると、街ひとつ見捨ててもいいと思っとるかもしれねえ」

「は?」


 バカな、と思わずヴァルムを睨んでしまう。


「避難くらいは呼びかけてると思うが、今派遣されている奴等でどうしようもなければ、そういうこともあり得る。壊された街を復興させる方が、人的被害は少なくて済むからな。「海獣に襲われました」言い訳はそれだけでええ」


 男の最後の言葉が、脅しでもなんでもなかったのかもしれなくて、ビヒトは背筋にうすら寒いものを感じていた。


「……アレは、その街を襲った後、外海に戻ると思うか?」


 ヴァルムは首を振る。


「いつかは戻るだろうが、他の敵もいなくて食料が豊富な場所だ。湾をぐるりと回り込むくらいの知能はありそうだから、ここも、ポルトゥスも荒らされるだろうな」


 移動速度は速くない。今現在もだが、その間、漁にも出られない。


「他人事じゃなくなるっていうのか……」

「まぁ、そうと決まったわけでもねえがな。最悪は、そうだ。あちらだってまだ手は残しとるはずだ。本気で泣きついてきた時にどうするか、考えておくか」


 不謹慎にも、少し楽しそうにそんなことを言って、ヴァルムは交代だと桟橋を戻って行った。

 残されたビヒトは少し遠くなった薄灰色の物体を眺める。

 あの男の言ったように、もっと近くで色々確認しておくべきなんだろうか。

 それともやはり、あれはこちらからそう言い出すのを見越したうえでの発言だったんだろうか。

 『参謀』の肩書きは伊達じゃないなと、ビヒトは小さく息を吐き出した。




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