78 丘の上にて

 『揺らぐ鳥ガストルニス』は魔石持ちの個体でもそれほど脅威ではない。群れでいるので数は多いが、攻撃が単調で、嘴と爪にさえ気を付けて落ち着いて対処すれば怪我もなく撃退できる。

 魔法を使う個体も、攻撃魔法を使うものはごく少なく、幻術を使うものが大多数だ。そして、それ故に少し面倒臭い。


 ゆらゆらと捉えられるスピードで下りてくるのに、本体がなかなか捉えられなくて苦戦している冒険者たちと若手の騎士たちを見渡して、ビヒトは加勢すべきか考える。

 騎士たちは金属の簡易鎧を着けているので、時間がかかっても爪や嘴で致命傷を負うことはないだろう。とはいえ、めくらめっぽうに剣を振り回しているのを見ると、複数の相手は厳しそうだった。

 すでに一人一匹を相手にしているところに、ビヒトを狙っていた一匹が身の危険を感じたのか狙いを変えたので、ビヒトはアウダクスに声をかけた。


「魔法、貸してください。面接の時のでいいです」

「貸す?」

「俺に撃ってくれれば」

「は?」

「早く」


 滑空を開始したガストルニスを見て、厳しめの口調で言えば、戸惑いながらもやけくそ気味に水の矢が発動される。

 弾かれた矢は、何もない場所に飛んで行って歪んだ空気を貫くと、女性騎士の目の前に胸から血を流したガストルニスが落ちていった。慌てて首を突き、動きを完全に封じてから、彼女はアウダクスとビヒトを交互に見やる。

 彼女の相手がいなくなったわけではなかったので、すぐにそちらに意識を戻したけれども。


「くっそ生意気だな! つまり、俺では当てられないと言いたいのか!」

「え? ……あ」


 そういうことになるのかと、ビヒトは笑って誤魔化した。

 自分の方が確率が高いと思ったのは事実だった。


「あっちはいいのか?」


 アウダクスは憮然として冒険者達の方を指差す。


「彼等はまがりなりにも面接を通って来たのでしょう? 求められれば行きますが」


 それこそ、面子を潰しかねない。面倒臭いのはごめんだった。

 ビヒトは足先で先程土に描いた魔法陣を消していく。


「あ。待て。見せろ。ヴィッツが食い付きそうだ」


 兄の名を聞いて、ビヒトはザリザリと勢いよく土をかいた。


「一流の魔術師殿に見せるような物ではありませんよ」

「片手間にあれだけのものを描いておいて! ああ! もったいない! あ、じゃあ、さっきそこにしまったやつを見せろ! 何やら宝飾品のようだったが」


 胸の辺りを指されて詰め寄られ、やれやれと仕方なくビヒトはそれを取り出した。首から外すことなく持ち上げる。


「アレイアの騎士様はさすが、魔術にも造詣が深いのですね?」

「親友がその道にいるとな。なんとなく気になるだろう? 君が気付いた通り大雑把な性格だから、いつも叱られるのだが」


 嫌味は幸い(?)通じなかったようだが、真剣に見入るオレンジの瞳には好感が持てた。


「よく見るとごく単純な魔法陣だな。見事な細工に全くそうは見えないが……」


 マリベルの仕事を褒められて、ビヒトは大きく頷いた。


「特注品なんだ。他人には必要ないものだろう?」

「魔力を籠められるからこその発想か。魔法を発動できさえすれば、さぞいい魔術師に……」


 アウダクスはそこで言葉を止め、金色の陣からビヒトの顔に視線を移した。じっと見つめられて、ビヒトは思わず一歩後退る。

 顎をさすりながら細められる瞳に苛立ちがよぎった。


「くそ。思い出せん」


 何を、と聞くのはやめておいた。若手騎士も、冒険者たちもガストルニスの相手を終えたところだった。


「片付いたようですよ」


 声をかければ、切り替えも早く、アウダクスは辺りを確認して次の指示を出す。


「では各自、馬車の周囲を警戒、ネズミ一匹入れないように」


 それから馬車のドアをノックすると「お願いします」と中に声をかけた。

 ヴァイスハイトが下りてきて、ビヒトが陣を描いたあたりへ進み出る。それから何か作業に入ったが、外側を警戒しているビヒト達には何をしているのか分からなかった。

 魔力が注がれたり、剥がされたり。その感覚だけをビヒトは背中でそわそわと感じ取っていた。




 ほどなく作業は終わり、馬車に戻る直前、ヴァイスハイトは思い出したようにアウダクスを向いた。


「上も」

「は? 予定は、ここだけでは……」

「頼む」


 短いやりとりにアウダクスの困惑が見えたが、それ以上の言及はなく、咳払いをしつつ彼は先頭に立つ。

 またジグザグと縫うように一行は北へと向かった。

 森が切れ、見通しがきく場所に出ると馬車は停まり、今度はヴァイスハイト自ら馬車を降りてきた。


「ヴァイスハイト様!」


 緩い上り坂になっているその先に向かう彼を、アウダクスが慌てて追いかける。


「おひとりでの行動はお止め下さい。私が……」

「その先はどうせお前では進めぬ。ついて来れる者がいるなら就ければいい」


 そっけない返事にアウダクスは供の者達を振り返った。

 こういう場面、常に傍にいるのはヴィッツだった。そうこうしているうちにヴァイスハイトは先を行く。

 一度立ち止まり、何か指先を動かしていたが、次に歩き出すと霧に包まれるかのように彼の姿は見えなくなった。


「あっ! ヴァイスハイト様!」


 追いかけようと、アウダクスが焦ってわたわたと腕を上げたり下ろしたりしているのが、ビヒト達からは滑稽に見えた。

 他の者達には何が起きているのかよく解っていないようだったので、ビヒトはひとり進み出る。


「先に行ければ、俺でもいいんだな」

「ん? まあ、そうだが」


 アウダクスはさすがに眉を顰めて視線でビヒトを牽制した。


「護衛以上のことも、護衛以外のこともする気はないから安心してくれ」


 皆には見えていないだろう、魔術の壁に手を伸ばす。

 パズルのように絡み合うロックをひとつずつ丁寧に解いていく。全てが解けると一人が通れるくらいの穴が開いた。

 先に進むビヒトの背中を、アウダクスは呆気にとられたまま見送った。



 ◇ ◆ ◇



 坂道を上った先にヴァイスハイトが見える。冷たい風が吹き抜ける丘の上からは大公の城と城下町、そして北側に横たわる大きな湖が一望できた。

 ヴァイスハイトは黙ってその景色を眺めているようだった。

 ビヒトは一定の距離を保って足を止める。

 何を見ているのかと、自分も鈍色の湖を見やって、それからヴァイスハイトの後ろ姿に視線を戻した。

 変わらないように見えて、五年の間に、白いものが増えた。大きく見えていた父も今ではビヒトと変わらない。ちらと見たヴィッツの方がイメージの中の父に近くなっているかもしれなかった。


「さっき、魔術を使っていたのも君か」


 不意に声をかけられて、息がつまる。


「は、はい」


 ヴァイスハイトは振り向かずに目の前へと手をかざす。


「見えるか」


 何を、と聞く前に目の前が歪んだような気がした。息を呑んだまま、呼吸を忘れる。

 一瞬、アレイアをすっぽりと収める巨大な魔法陣が浮かんで、消えた。

 何も答えなかったビヒトをどう思ったのか、ヴァイスハイトは一息つくと「そうか……」と呟いた。

 そのまま、また黙った父の背中を複雑な思いで見つめる。


「あの……不躾な質問をお許しいただきたく」


 応えは無かったけれど、遮られもしなかったのでビヒトは続けた。


「『魔術の心臓』という本をお持ちではありませんか」

「……どこで、それを」


 小さく息を呑んだ気配に、記憶は間違いなかったのだと確信する。


「帝都の図書館で、写しを読みました。あちこち抜けていて、写した者の名が『スキーレ・カンターメン』と。もしも、関係がおありで、その書をお持ちでしたら拝見できないものかと……」

「あれは、誰とも知れないものに見せられるものではない。諦めていただこう。情報には感謝する」


 踵を返し、坂を下りはじめたヴァイスハイトにビヒトは思わず手を伸ばす。

 諦めきれない。


「カンターメン殿! どうか!」


 伸ばした腕を逆に掴まれ、引き寄せられた。至近距離で視線が絡む。


「しつこい」


 ヴァイスハイトは懐からナイフを取り出すと、掴んだままのビヒトの指先を斬りつけた。


っ……」

「まともに名乗りもあげられぬのなら、おとなしくしておれ!」


 絞られた指先から珠になった血が零れ落ちていく。

 地につくと同時にぱぁっと地面が光り、驚くビヒトをよそにヴァイスハイトは彼を開放して坂を下りはじめた。


「何……なにを」

「お前は血判を押してないだろう。その代わりだ」


 もうヴァイスハイトは振り向かない。

 隠されていたとはいえ、足元にあった魔法陣に気付かなかった自分もショックだったが、ヴァイスハイトに言われたこともまた、ビヒトの胸に重くのしかかっていた。

 傷ついた指先を口に含み、ヴァイスハイトの後ろをついて行く。

 馬車まで戻り、己の甘さにうなだれるビヒトの姿を、何かあったのかとアウダクスが心配そうに見つめるのだった。




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