98 血縁

 ヴィッツは解ったような解らないような顔をして、酒が好きならとヴァルムを酒蔵へと連れていった。

 ヴァイスハイトと二人になると、妙な沈黙が二人の間に落ちる。

 二度と入れないと思っていた書斎にいるのも、ビヒトを落ち着かなくさせていた。


「……そういえば、まだ肝心な挨拶を聞いておらんな」


 唐突に、ヴァイスハイトはそんなことを言った。


「挨拶?」

「挨拶だ」


 礼儀には煩いヴァイスハイトだが、この場で求められる挨拶に全く心当たりがない。


「おはようございます……?」

「もう、昼もとうに過ぎているではないか。そうではなくて……」


 ヴァイスハイトはそわそわと立ち上がると、窓の外など眺めに行く。


「……ここは、何処なのだ」

「は?」


 眉を顰めたものの、父の言わんとすることを掬い上げようとビヒトは考えをめぐらせる。

 ここと言っても、書斎のことではないだろう。クローゼットの中身までそのままになっていた部屋。空いていた食堂の席。一堂に会しての食事……


「……ただいま、戻りました」


 うむ、と小さく頷いたのを見て、ビヒトの胸はさざめく。

 家を出ろと言われた時から、ヴァイスハイトはもうヴェルデビヒトを見限っているのだと思っていた。もう戻ることはないと、待つ人はいても、戻る場所は無いのだと思っていた。

 ヴァイスハイトは書棚に歩み寄り、魔術で施された鍵を開く。一冊の本を手にすると、ビヒトの前に差し出した。


「読みたがっていたものだ。肝心のところはもう分かっていると思うが、見るか?」

「はい! ぜひ!」


 勢いで応えてしまってから、はっとドアを見やる。


「ヴィッツなら、しばらく戻って来ん。そもそも、アレの節介だ」


 憮然と告げる父を、ビヒトは意外な面持ちで見つめる。ヴァイスハイトは苛立たしそうに、とんとんと置かれた本を指で示した。

 ヴィッツが以前、二人で話した方がいいと言っていたアレだろうか。

 ともかく、父から視線を外して本を開く。著者名を確認して、前半は流し読みに留めた。

 雷の魔法の呪文も、抜けていたところも、きっちりと揃っていて、どうしてこれを研究の場にも出さないのかとビヒトは不思議に思う。

 最後の頁までなぞり終えて、黙ってゆっくりとグラスを傾けていたヴァイスハイトに差し戻す。


「ありがとうございました」


 頷いて本を持ち上げ、ヴァイスハイトはその本を見つめながら重々しく口を開いた。


「ヴェルデビヒト。お前がカンターメンを継ぐか?」

「……は?」

「昨日の一件で、お前が家の縁の者だと気付いた者も多い。古臭い価値観にヴェルデビヒト・カンターメンが大穴を開けるか?」

「そう、名乗って良いと?」

「……今までも禁止した覚えはないのだが……」


 確かにそうだ。そうではあるのだが。

 魔術師でない自分がその家を継ぐなどというのは、乗っ取りに近いのではないだろうか。この国で禁忌と言われる魔法を引っ提げて、彼等が護ってきた伝統も価値観も踏みつけて上に立つ。

 残念ながらビヒトには、それに意味も高揚感も見いだせなかった。

 雷の魔法は失われる。今までと何も変わらない。あったことを伝えるのなら、今までと同じでも構わない。新しいことを伝えるのなら、魔術師ではないビヒトよりも、地位も実力も歴史もある者が先導した方が、すんなりと受け入れられるはずだ。

 ビヒトは名のある家を継ぎたいがために魔術師になりたかった訳じゃない。


「興味ない。見る物は見た。面倒になる前に出ていく」


 家と、国と、皆薄々分かっていて判断をヴァイスハイトに委ねた。

 彼とヴィッツがここにいるのは、つまり、監視役なのだ。国を亡ぼす(かもしれない)力を手にした者がどう動くのか。

 実際はどうもこうもない。魔法をひとつ理解しただけ。

 父の欲しい答えを、自分の気持ちと矛盾なく出せたと思ったのに、ヴァイスハイトは少し哀しそうな顔をした。


「カンターメンを名乗る気はないと」

「ない」


 書棚に本を戻し、また丁寧に鍵をかける。

 戻ってきたヴァイスハイトの手には一枚の銀のプレートと、針が握られていた。


「身分証を」


 今回のことが何か記しておくようなことになるのかと、訝しみながらも首に下げていた物を外して渡す。

 マリベルの陣に目を止めたヴァイスハイトは、「後で見せろ」とアウダクスと同じ調子で言い置いた。

 ヴァイスハイトは二つのプレートを重ねて、取り出した陣の上に置く。少しの間淡く光に包まれただけで見た目には何も変わらない。古い方を脇に避け、また別の陣に新しい方のプレートを乗せる。しばし迷うと、顔を上げた。


「今後も、『ビヒト』を名乗るのか」

「そうしようと思ってる」

「……『天災を操る者』か」

「……っ。な、なんですか。その大層な……」


 ヴァイスハイトは肩をすくめた。


「あの場にいた関係者がアレを見て呟いた。まあ、そう見えなくもなかった」


 陣に向き直り、プレートの上をゆっくりと指でなぞりながらヴァイスハイトは呟く。


「『ビヒト・アドウェルサ』」


 一度強まった光はすぐに消えて、そのプレートと共に針を差し出される。


「登録を済ませろ」


 そこまできて、ようやくビヒトにも何をしているのか解った。


「身分証を作り変えたのですか!」


 非難のこもった声に、ヴァイスハイトは苦笑する。


「中身は変えておらん。移しただけだ。名は変えたが……使う名と同じ方がよかろう? それに、気付いておらんのか?」

「何を」

「こちらの身分証では、もう身分を証明できん」

「……え?」

「微妙にだが、魔力が変わっておる。反応しなくて困るのはお前だろう」


 心当たりはある。あるが、信じられなくて指を突き、古い方の身分証に血をすりつけた。微妙に淡く光りはするが、血はそのまま。この反応では確かに証明にはならない。


「な……何故、どうして判ったのです?!」


 ビヒト自身、気付いていなかったことを。

 ヴァイスハイトは逡巡したが、諦めたように視線を外しながら答えた。


「この国で生まれた者は、全員がこの土地に登録される。移住してきた者や監視すべき犯罪者も時によって。だから、先に紐づけておけば出るも入るも判るのだ。数年前にお前が戻ってきた時、妙な反応だった。「そうだ」という反応と「違う」という反応が同時に起こる。どうなっているのかと会ってみれば、あの魔法陣を見、誰も知らないはずの本を読みたいと言う。つまり、お前は何らかの方法を手に入れたのだと思った。呪文さえ見つければ、それが使えるという方法を。魔力が変質してしまうような形で」

「……では、あの時俺を傷つけたのは」

「そうだ。登録をし直した」


 ヴァルムと国境を越えたのも、この国を通り抜けたのも、見張りなどつけずとも父は知っていたのだ。カッと一瞬沸いた血は、そこまでして自分を追いかけていたのだとも思えて、ぐるぐると心の奥で渦を巻く。結局、何も言葉に出来ないまま、別の糸口を探る。


「魔力が変わったのは……おそらくフルグルの魔力が混じったからだ……雷の魔法を使うには必要だと……が」

「彼女? 誰かに言われたと? ……それを知る者がいたというのか? それに、魔力を混ぜる?」

「笑ってもいい。俺も半信半疑だった。遺跡で見た夢の中、どこか深いところで会った女が、今なら出来ると。偶然に感謝しろと……」


 その目は見開かれたけれども、ヴァイスハイトは笑わなかった。


「貴方は来なかった。恐がっていると、そうも言っていた。父上、心当たりはあるか。あれは誰だ。俺達の祖先だというあの女は」


 ヴァイスハイトは深く長く息を吐き、ゆっくりと額を抱えた。

 それから、物語の一節を読み聞かせるように囁きかける。


「……我々の血にこびりついて離れないもの。カンターメン家が守り、そして隠してきたもの。我々は正しくあらねばならない。誰よりも。なぜなら――我々は、星をんだ者の子孫こどもなのだから」




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