99 罪を犯した者
「――は」
空気の抜けるような間抜けな音がビヒトの口から洩れる。
と、同時に父の怖れと頑ななまでの教えに合点がいった。
「若い頃は私も失われた魔法を追った。罰など迷信だと。星を
グラスに残った琥珀色の液体を、のどに流し込んでヴァイスハイトは続ける。
「父は何も禁止しなかった。思う通りにすればいいと。けれど、ここまで積み上げた歴史と家の信頼を、自分が軽々しく捨てるような行為をしてもいいのかと内から声がする。当主にだけ閲覧が許される書物には、誘惑するように呪文が載っていた。自分の知りたいという欲求は、留まるところを知らない好奇心は、血にこびりついたものなのか。星を喚ぶなどと驕っていたことが恐ろしい。そうと解っても、それを追いたい自分が恐ろしい」
「ちょ……ちょっと、待ってくれ。根本的なところがおかしいと思わないのか? 『罪を犯した者』が女だということまでは納得できる。誰も、性別まで伝えていないからな。だが、子供がいたとして、その子を国の要職に再び就けるものか?」
「その時、彼女に子はいなかった。夫も」
「は?」
「関わった者達は命をもって償った。その家族も冷たく遇されたことは想像できる。国を追われた者もいるだろう。彼女も例外ではない。だが、彼女の腹には子が宿っていた。子を宿したまま湖に沈められたのだ。彼女は湖にいる
以前のビヒトなら、一笑に付したかもしれない。
罪人の言葉を、
「一年ほど後、湖のほとりで捨て子が見つかる。とても魔力の多い子で、残った魔術師の間で奪い合いが起きたほどだ。結局、その子をひきとったのが、カンターメンだった。やがてその子は家を継ぎ、密かに自分の秘密を次代の当主に伝えていく。誰も疑わなかったのか――疑った。けれど、当主になるほど優秀な魔術師は己の深いところで会うのだと。そして知るのだと。自分が何者か」
「俺の、知り得たこと以外は、正しいかどうか判らない……あれは、そういうこと……」
偶然が重なった、確かに彼女はそう言った。興味があるから来たのではないか、とも。
家を継ぎ、全てを知ってから訪れれば、全ての答えが返ってくる。優秀であらねばならない。模範的であらねば。次などない。
「……私はお前に期待して、何故と憂いて、ある日気が付いた。魔法が使えなければ、全てに辿り着いても罰を受けることはないのではないか。知っていても使えなければ。羨ましいとさえ思った。お前にはそれだけの才能があるのだから。導きたい。だが、魔術師でない者に、跡取りでない者に、おいそれと漏らせることではない。家を出ろと言ったのも、そう言えばお前はなりふり構わず学ぼうとすると思ったから……」
ヴァイスハイトはそこでゆるりと首を振った。
「上手いやり方でないのは、すぐに分かった。しかし、もうどうしようもない。あの男が現れ、たった一日でお前を変えた時、喜びと悔しさとないまぜで湧いてきた。思いもよらない方法で魔法を使い、魔術師への道もまだ残されたと嬉しくなると同時に、使えてはいけないとも思った。矛盾している……結果は残念だったが、魔術師として、そこまでの行程は素直に素晴らしいと思った。立場上、強く推せないことを何度歯噛みしたことか」
「そこは、解っています。それについて父上をどうこう思ったことはない」
ちらりと、盗み見るように少しだけ視線を上げて、すぐにヴァイスハイトは俯いた。
「……家を出る話は無かったことにしてもいい。そう、思っていたのだ。だが、お前は先に家を出ると言った。とても止められるものではない。私より、あの男の方を追うのだと情けないことを考えた。父としては、ああいう男の方が良かったのかと」
「いや、それはない。確かに、冒険者としては尊敬もある。だが、断じてアレを父には欲しくない」
思わず口をついて出た言葉だったが、セルヴァティオを思って心の中で謝罪する。
きょとんとした後、ヴァイスハイトは眉を顰めた。
「親子ほども離れておるのに、アレ呼ばわりはどうなんだ。世話にもなっているのだろう?」
どちらかというと世話をしてるのはこっちだ、と、さらに口をつきそうになるのをビヒトはぐっとこらえて、なんとか顎を引いた。ヴァイスハイトのような人間には余計なことは言わない方がいい、と経験で知っている。
「湖に落ちた後、拾い上げられてすぐに取水管を切断していた。怪我もしているということだったが、的確な判断と身体能力は流石だと言う他ない」
「そうかもしれませんね」
「なんだ。何か不満が?」
「いえ。いい友人関係を持たせてもらっています」
急によそよそしくなったビヒトに、首を傾げながら「ともかく」とヴァイスハイトは話を元に戻した。
「雷の魔法を知ると、あの魔法陣が見えるようになる。ヴィッツにはまだ見えていないから、あの時お前が見えているようで驚いた」
「一瞬だけで、すぐに見えなくなったのですが……」
「それでもだ。外に出ても魔術を積み上げているようで嬉しかった。そして妬ましかった。私が恐ろしくて見られないその先を、軽々と見に行くようで。あの陣はよく見ようとすれば見えなくなる。だから、未だに何の陣かはわからない。誰かが道を踏み外した時、この国を亡ぼすためのものなのかもしれない」
「……そうではないような気がする。父上。父上も、行ってみればいい。不安なら聞いてしまえばいい。答えはひどく単純で、きっと面食らう。手に入れた物をどうするか。俺は、父上なら大丈夫だと思う」
しばし黙り込んだヴァイスハイトは、瞳を閉じ、拳を握りしめた。
「……もしも、私が道を踏み外そうとしたなら、お前は止めに来てくれるか」
「約束します」
即断で力強く頷いたビヒトに、ヴァイスハイトはほっと表情を緩ませる。
ここまで守ってきたものを、ヴァイスハイトはそう簡単に壊したりしない。これまでの誰もが、そうしなかったように。ビヒトはそう信じていた。
「登録してしまいなさい」
差し出された銀色のプレートを前に、ビヒトは登録名を思い出す。
「『アドウェルサ』とは」
「おそらく、冒険者たちの間で噂されるだろう。冒険者ビヒトは、天災を呼ぶ、とな。そのまま持って行け」
「『天災』か! それは……」
「強そうではないか。どうせ、家名など名乗らないのであろう?」
くつくつと笑って、ヴァイスハイトは窓を向き、後ろ手を組んだ。
「……ヴェルデビヒトは私の自慢の息子だ。昔も、今も。私の付けたその名を捨てるのだから、せめて新しい名を押し付けさせなさい」
納得いかないような、納得しなくてはいけないような、微妙な気持ちのまま、ビヒトは針で指を突いた。
眩しい光が部屋を満たし、外を向いたままのヴァイスハイトも、その目を細めるのだった。
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