第六章 監獄半島の忌み子
100 出会い
噂というものは、思いもよらぬところまで届いているものだ。
帝国の関係者が全員アレイアから去るまで七日ほど、ビヒトは軟禁生活を強いられた。その間、大きな事故もなく空は冴え渡り、ビヒトの使ったのは雷ではなく、雷を操る何かだったのだとアレイア側は勝手に結論した。
参謀は納得するわけもなく、時々カンターメン家を訪ね、その度ヴァルムにいいようにあしらわれて渋々国へと帰っていった。
「パエニンスラに来れば、会う機会も増えるぞと言ったんだがなぁ」
にやにやと顎をさするヴァルムにビヒトは呆れる。
「本当に誘ったのか? きたらどうするつもりだ?
「
にっと笑うヴァルムの脇腹に軽く拳骨を当てる。
ヴァルムはわざとらしく「いてて」とうずくまってみせた。
フルグルは、あの場で埋められたとビヒトは聞いた。
動けなくなった竜馬はうち捨てられることもあると考えると、丁寧に扱ってもらった方だ。ヴァルムの埋めた
海獣の遺体は次の日には溶け始め、二、三日で消えたらしい。腐臭を拡散させるのに大変だとヴィッツがぼやいていた。
アレイアを出てしばらくは目標もなくふらふらとしていたビヒトだったが、何処に行っても尾ひれの付いた噂が付いて回った。
寄ってきた何人かの女性と関係を持ってみたりもしたけれど、しっくりこなくてその都度居場所を変える。
見たこともない人物が、見たこともない自分のことを語るのが奇妙で、時々誘われるヴァルムとの仕事の時が一番安らいでいた。
山奥や遺跡に一人で向かうヴァルムの気持ちが解る日がくるだなんて、思いもしなかったのに。
帝国の教団からの依頼を手伝ってくれと言われたのは、ビヒトが二十九になる頃だった。
そこそこ大きな仕事で、参謀(もう参謀ではなかったけれど、やっぱりそれなりの肩書を背負っていた)とも再会した。
山間の、魔獣に占拠された村の奪還。そこは信者だけの新しい村だったようで、魔獣の生息域との線引きが課題となった。
「そういえば、決まりましたよ」
「あん?」
「出張講師の件です」
「ああ。へぇ。そっちにメリットはあんまねえだろ」
「そうですねぇ。内情視察ということでしょうね。続くかどうかは判りません」
「あんたが来んのか?」
「はい。面白そうですし」
背後から聞き耳を立てていて、ビヒトは呆れる。
「あからさまに話していい内容か?」
「隠しても、この辺りは分かることでしょう? ビヒトさんもどうぞいらしてください。一晩くらい飲み明かしましょう」
「遠慮する」
「そう言わずに。あ、今夜でもいいですよ? どうです?」
「お。いいな」
「ヴァルム……」
「酒に罪はねえ!」
結局、それが冒険者としてヴァルムと一緒にする最後の仕事になった。
◇ ◆ ◇
数年後、どこにいったのか、ヴァルムの噂を聞かなくなり、なんとなく仕事にも身が入らず、ずるずると日々を過ごしていた時だった。
ずっとなりを潜めていた通信具が反応した。
『おぅ。ビヒト、暇か?』
「そこそこな。どこにいる?」
『面白えもん見つけたんだ。暇なら来ねえか?』
「今度は何だ? 行ってもいいが……」
『なんだ? 女か?』
ニシシと笑う声は切羽詰っているようではない。
「いや。そろそろ、手を切りたかったとこだ」
『お
「うるさい。で、何処だって?」
『監獄半島の、レモーラっちゅう村だ。迷うことはねぇ』
半島には渡ったことが無かったなと、軽い返事をしてビヒトは通信を終わらせた。
パエニンスラの、海に突き出た釣り針型の半島は、その付け根に火山が鎮座している。
海獣と睨み合った海域を眺めて、潮風になぶられる。
あれから帝国は湾の出口に海獣除けの陣を設置したと聞いた。そこまでしなくとも、とも思ったビヒトだったけれど、帝国にしてみれば苦い経験だったのだろう。
丸一日ほどで港町ポルトゥスに着き、そこからは馬車で鐘ふたつ分程度ということだったが、特に急いでいる風でもなかったので、宿をとってのんびり観光することにする。
大きな通りにはずらりと屋台が出ていて、祭りのようだった。聞いてみると、いつもそうだという。
華やかな雰囲気に久々に心を浮き立たせながら、次の日ビヒトはレモーラ行きの馬車に乗った。
少し走っただけで、辺りにはオリーブの木や畑だけの景色となる。かろうじて続く水道橋だけが人工物だった。
この先に本当に人が住んでいるのかと不安になる頃、家が見えてきた。
山に迫られた、こぢんまりとした集落で、一応宿屋はあるようだが、他には公衆浴場くらいしか特筆すべきものがない。
この先の森がいい修業地らしく、冒険者の往来は活発なようだった。
民家のような
「へえ! 彼の知り合いかい? こんな田舎までご苦労さん! この先の丘の上に住んでるよ」
礼を言って出てきたものの、「住んでいる」という表現にビヒトは首を傾げる。
行けば分かるかと、先を急いだ。
石畳が整備されていない道へと変わって、折り返して登っていく坂になった。登りきると目の前にはお屋敷といっていい建物が現れた。
まだ何もないが、建物までの距離は庭でも作る気なのか、結構広い。
門は開いていて、呆気にとられながらも中へと進む。
躊躇いがちにドアベルを鳴らすと、魔力の気配がした。
しばらく待つと、人の気配が近付いて、中からヴァルムがドアを開ける。
「おう。思ったより早かったな。田舎だろう?」
「ヴァルム、ここは?」
「ん? 建てた」
「建て……」
「っちゅーても、金しか出しとらんがな。建ててもらった」
「……そうじゃ、なくて」
「あー。まあ、入れ。色々ある、色々を説明すっから」
そう言うと、ヴァルムはビヒトの腕を引いて中へと引き入れた。
ひとりで住むには広すぎるホールの正面に、二階へと続く階段がある。途中で左右に分かれていて、右の階段の上の方から誰かが覗いていた。
「他に誰かいるのか?」
まさか、再婚でもさせられたのかとビヒトの胸は変な風に高鳴った。
可能性はあるが、一番似合わない。
「ああ。カエルレウム、来い」
ビヒトの視線の先を見て、ヴァルムが手招きした。
おずおずと、警戒するように降りてきたのは小さな少年だった。紺色の髪に紺色の瞳、家の中なのに手袋をはめている。
視線はビヒトから外さずに、ヴァルムの後ろへと飛びこむと、その足に縋りついた。
「カエルレウム、ビヒトだ。話したろう? わしの友達だ。大丈夫だから、挨拶せい」
そろりと顔を出すと、真一文字に結んでいた口が開いた。
「こんにちは……カエルレウムです」
「……こんにちは。ビヒト、です」
見かけによらず、丁寧な挨拶につられる。
さあさあと、ヴァルムに促されて、傍にある応接室へと案内された。
茶くらい出すかとヴァルムが出ていってしまったので、ビヒトは少年と二人、向かい合って気まずい空気を吸う。
子供と関わる機会などそうないので、話の取っ掛かりが掴めなかった。
「えーと……いくつかな?」
「ごさいです」
「ここに、住んでる?」
「はい」
しゃんと背を伸ばし、膝の上に揃えて乗せられた手。緊張した雰囲気に、ビヒトまで緊張してくる。五歳というには少し小さい気もしたが、ビヒトも幼い頃は小さかったので、気にするほどでもないのかもしれない。
一式を乗せたワゴンを押してヴァルムが戻ってくると、ようやく少し空気が和らいだ。
「ヴァルム、誰の子だ? 親は? お前の子だなんて言わないよな?」
ヴァルムを問い詰めているつもりだったのに、その子が顔を強張らせたので、ビヒトは焦る。
「あ、違う。君が悪いという訳ではなくて……」
「一年ほど前に、天涯孤独の身になったのよ。婆さんによろしくと頼まれてな」
「……なんだ。ちゃんとした理由があるなら、先に言え」
良くはないが、ヴァルムもお人好しなところがある。預け先を探す間、面倒を見ているのだとビヒトはほっと胸をなでおろした。
「セルヴァティオは知ってるのか? お姉さんは?」
「まだちゃんとは言ってねえ。軽々しく言えなくてな」
「どうして」
いっそ軽く、笑ってヴァルムは少年の肩をポンと叩いた。
「昔、青い月の伝説の話をしたことがあったろう? こいつ、そのタマハミらしい」
ぎゅっと目を瞑って身を固くした少年と、能天気なヴァルムの笑顔と、十年以上前に聞いただけの伝説の化物の名前に、ビヒトの頭は理解することを拒絶した。
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