101 ヴァルムの話
ビヒトは、陶器のティーカップに注がれたお茶を、香りをゆっくりと楽しんでから口に含んだ。ヴァルムが雑に淹れたにしては美味い。
少年がいつまでも次の言葉がないことにうっすらと目を開ける頃、静かにカップを置いてにっこりと笑う。
「張っ倒すぞ」
ぎょっとして、少年はまた目を閉じた。
「それが本当だったとして、何故この子の前でそんなに軽く言わねばならん。それはその子にとって、そんなに軽い物ではあるまい?」
はっと目を開けて、少年はおずおずとビヒトを見上げた。
「今はな。だが、そう生まれてしまったからには、一生ついて回るものだ。周りが、それは重いものだと荷物を増やしてどうする。それに、坊主のことを坊主のいない場所で話すのはいただけねえ。わしが間違ったことを言っても訂正できないではないか」
「そういうこともあるだろうが、言い方とか、話す時期とかいうのもあるだろう? 何か、そうだという根拠はあるのか? 髪と目は、確かに珍しい色をしているが、全くいないという訳でもない。何かを勘違いしたり……」
「あるから言っとるのだ。彼が触れたから、彼の母が衰弱死したことは間違いない」
「……っ、ヴァルム!」
「本人にも言って聞かせた。事実は事実だ。それは変わらない。だが、それを他人と違うと負い目に思うこともない。母という生き物は、自分の血を乳に変えて子に与える。身を削って子を育てるものだ。カエルレウムが育つのに必要だったものを彼女は与えたにすぎん。証拠に、最後まで乳を咥えさせていた。普通の親でさえ栄養が行き渡ってなければ同じ道を辿る。だから、そのことで重荷を増やすことはない。寂しいと思うことは仕方のないことだ。存分に思えばええ。そして、お前を生かした母を誇りに思え」
もう何度も聞いているのだろう。少年はただじっとうつむいてそれを聞いていた。
他人が言えば詭弁に聞こえるかもしれないが、ヴァルムは本心からそう思っている。触れた者の魂を啜るという化物だといいながら、少年に触れる手に躊躇いはない。
だから、少年も真直ぐな言葉を受け止めようとしているのだろう。
「……まさか、その子を『面白い』などと言った訳じゃなかろうな」
「さすがに、そこまで悪趣味ではないわ」
ヴァルムは苦々しい顔をした後、こほんと咳払いをひとつして、笑った。
「次の満月の夜に、見せてやる。青い月をな」
「月? 次……次は、いつだ?」
「昨夜だったから、まあ、ひと月後だな」
「昨夜? 言ってくれれば、夜の馬車を探したのに!」
「こっちは坊主の体調が悪かったからな。呼ぶに呼べなんだ」
「体調が……? もう、いいのか?」
気遣うビヒトの視線に、少年はさっと頬を染めると小さく頷いた。
「いつものことだ。青い月は坊主の生命線なのだ」
「……どういうことだ?」
「知りたいか? いや。だが、忙しいなら出直して来い。長い話になる」
にやにやと、すでにビヒトを帰す気などないくせに、ヴァルムはもったいつけた。
「暇か、と聞いておいて。わざとらしい」
「いやぁ。最近は冒険者稼業もつまらなそうだし? 別のことをしてみるのもいいんじゃねえかと思ったのよ」
「だからといって国に雇われる気はないからな」
「わかっとるって」
そう軽い話でもないはずなのに、ヴァルムは始終楽しそうだ。口角を上げた口元を舌で湿らせると、まだ話をする前からしてやったりという顔になった。
嫌な予感しかしない。
「まずはおさらいだ。タマハミの特徴は触れただけで他人の魂を啜る。もちろん、比喩だ。魂そのものを啜ってる訳じゃねえ。我々が活動に必要なのは体力と魔力。だが、坊主は魔力が著しく低い。さて、どうなる?」
「魔力は体力を維持するのにも必要だと考えられているから、起きているだけで体力が削られていく?」
ヴァルムは頷いた。
「現在は満月の前三日程度寝込むのが当たり前だな。酷い時は七日ほど。タマハミが魂を啜るというのは、どうもその生きる力を他人や動植物から奪うということらしい。しかも、それは体力や魔力とはまた別の物、のようだな」
「なんだ? 結局、魂だと言いたいのか?」
「魂がエネルギーになるかは、わしは判らんなぁ。最初に言ったではないか。青い月が生命線だと」
ビヒトが眉をひそめて少年を見やると、少年は慌てたようにカップから口を離してこくこくと頷いた。
「まあ、後で案内するが、二階は離れに繋がっておって、そこから裏の山の洞窟に行ける。奥には湖があって、そこに青い月が現れる。不思議なことにその光は水に溶けるようでな。空気も水も薄青色に染まる情景は言葉にならんぞ」
「なる、ほど?」
「で、その薄青色に染まった水で沐浴をすると、カエルレウムの体調は良くなる。水の色が元に戻るところを見ると、取り込んでいるんだろうな」
一度、深く飲み込んで、良く咀嚼する。
「水……つまり、我々にも青い光が蓄えられている可能性があって、タマハミが啜るのは……」
ヴァルムが頷き、少年が目を瞠った。
「わしと同じ結論だな。坊主はここを離れられない。離れれば本人が死ぬか、周囲のものから奪い続けなければならない。坊主は奪うことを望まない。そうだな」
引き結ばれた口と、悲壮なまでの決意がこもった瞳で、少年は頷いた。
「わざわざ周囲に本当のことを吹聴する気はねえ。この村は場所も場所だけに、脛に傷を持つ者とか、流れ者とかが多い。多少変わっていてもそうそう詮索されたりしないで受け入れられるから、『少し変わった病気持ちの子』で通せるはずだ」
ヴァルムがこの場所に家を建てて住む理由は解った。解ったものの、ビヒトは首を傾げる。
「ヴァルムがその子を引き取るつもりなのは解った。だが、俺を呼んだのは青い月を見せるためだけか?」
「そんな訳なかろう? 蓄えはいくらかあるが、入る物が無ければそのうち困る。遺跡から掘り出してきたものを売れるようにしようとは思っとるが、そうなら鑑定にお前さんの協力は必要だ。継続するなら掘りに行かねばならん。人を雇うにも金はいるし、第一、事情をよく知っていて任せられるような者はすぐには見つからん」
まあ、突飛な話だし、命の危険にさらされる可能性のあることでもある。お試しで雇って秘密を知られた上、あちこちで尾ひれを付けて話されたのでは、たまったものではない。
「そうだな。じゃあ、遺跡に行けばいいんだな。場所とか内部構造とか分かるなら教えてくれれば……」
「何を言っておる。冒険者に飽きとるんだろう?」
「……は?」
満面の笑みを見て、ビヒトの背に悪寒が走った。
「わしは子育てには向かんと、昔から言っとるではないか。留守番を頼む」
「俺は子供を持ったこともないぞ!」
「何事も経験だな。何、お
お断りだ!
と、今までのように叫べば良かったのかもしれない。
今後起こりうる様々な可能性が、ありありとビヒトの脳裏に浮かんでいるのだから。
深い青色の宝石のような瞳が、ビヒトを見上げていなければ、もしかしたら口に出来たかもしれない。
口に出来ても、結果は変わらなかったかもしれないけれど。
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