97 相棒

 海獣を白い光が包み込んだ。

 叫び声は上げたのか、上げる暇もなかったのか、轟音に掻き消されて分からず終い。

 落雷の衝撃は、かけてもらっていた護りでかろうじて防がれていた。

 ビヒトの後ろでずっと支えてくれていた存在も大きい。


 夢だからと考えないようにしていたけれど、が来たから雷の魔法を制御できた。

 混ざり合った、もうひとつの魔力。ビヒトは、ようやく誰と混ぜられたのか理解した。

 他人の中にあるそれを動かすのは、容易なことではない。そこだけでも無理をしたに違いない。

 まだ耳鳴りの残る中、ずっと支えてくれていた背後の存在が崩れ落ちる。

 海獣の生死も確認せずに、思わず振り返ってしがみついた。


「フルグル……!」


 横倒しになったまま、フルグルがクルルルと高い声で鳴く。

 どうして彼女がここにいるのか。ビヒトにはどう考えても解らない。本調子ではない身体を押して、助けに来てくれたことだけは間違いないだろう。

 泥にまみれ、汚れるのも構わずに、フルグルの息も絶え絶えな首を膝に乗せる。柔らかく透き通った瞳が、ビヒトを見て何度か瞬いた。


「どれだけ無茶して駆けてきたんだ。子供達はまだ小さいだろ?」


 答えは、のどの奥の小さな響きだけ。

 ビヒトが首筋を撫でてやると、ゆっくりと目を閉じた。


「まだ頑張れよ。医者を呼んでもらうから!」


 呼吸は、短く浅いまま。


「フルグル! まだ、まだ教わってない。この先を。どこまで出来るのかを……!」


 フルグルは少し呆れたように片目だけ開けて、顔に添えられたビヒトの手をひと舐めする。

 心臓の辺りが、ちり、と熱を上げた。

 自分はそこにいると主張するかのように。

 彼女は満足気に笑うと、そのまま目を閉じ、もう開くことはなかった。



 ◇ ◆ ◇



 ヴァルムがひとり海獣の様子を窺っている間も、その場の誰もが動けないでいた。ヴァイスハイトの声掛けでようやく後処理に動き出しても、アレイア陣営はビヒトに目に見えて距離を置いた。

 それは雷の魔法に纏わる伝説のせいでもあったし、手にした物に魔法を付与出来た人物がいたこと、そしてそれが誰だったのかを思い出したからでもあった。


 ビヒトが雷を放ったことを、参謀は問い詰めたかったに違いない。

 けれど、すっかり開けてしまった森の真ん中で、相棒に縋りついて泣く者を引き剥がすほど、空気の読めない人物ではなかった。

 ヴァイスハイトとヴィッツが、非情にもその状態のビヒトを拘束して、怪我もしていることだから身柄を預かって詳細を聞くと宣言したのも、どこからも文句は出なかった。

 ビヒトはそのまま家に戻され、状況の掴めない兄嫁と、ビヒトよりも泣き崩れる母に気まずい思いも抱えながら、長い夜は明けた。




「まだお布団と仲良くしたいところでしょうが、旦那様がお呼びですよ」


 カーテンが開き、差し込む眩しさにビヒトは低く呻く。

 朝一の雷の音に一旦は目を覚ましたものの、眠気に抗えず再び眠りに落ちていた。


「今、何こく……」


 寝返りを打ちながら呟くビヒトにハンナは笑いながら答える。


「もう昼時ですよ」


 さすがに跳び起きたビヒトを、少し潤んだ瞳が見下ろしていた。

 皺が増え、一回り小さくなったような女中頭は、さあさあと着替えをビヒトの手に押し付ける。


「また、ヴェルデビヒト様を起こせるとは、思っていませんでした。着替えましたら食堂へどうぞ。皆様は昼食ですが、ご一緒した方がいいでしょう」

「みんな?」


 後処理は続いているはずで、姉は嫁いでいる。『皆様』の内訳が分からず、ビヒトは眉を寄せた。


「お伝えしましたよ。旦那様がお呼びです。皆様、ご在宅ですよ」


 自分の為かと引きつり笑いを張りつけて、渋々ビヒトは着替えて食堂へと向かった。

 中へ入ると、確かに全員の顔が見える。嫁いだはずの姉と、軽く手を上げているヴァルムまで。

 思わず末席のヴァルムの横に行きかけて、「ヴェル」とヴィッツに一喝された。

 昨夜とは違う意味で泣きそうな気分になる。

 空いていたまで進み出ると、ビヒトは父と兄嫁に頭を下げた。


「遅れまして、大変ご無礼をしました。……ビヒト、です」


 夜中にぼろぼろで連れ込まれた青年が、夫の服を着て家族の席に着き、夫の口にした名と別の名を名乗るのだから、訳が分からないに違いない。

 妻が不安そうに夫を見上げるのを見て、ヴィッツはビヒトを睨みつけながらコホンとひとつ咳ばらいをした。

 その間に着席してしまう。


「うちの、一番下の弟だ。ヴェルデビヒト。十年ほど前に家を出てそれっきりだった薄情者だ」


 話だけは聞いていたのだろうか。ようやく納得の表情を見せて、兄嫁は笑顔で自分の名を告げた。ヴァイスハイトが食事の前の祈りを捧げて、あとは意外と普通の食事風景となった。

 カルトヘルがヴァルムと話しを弾ませていたり、姉上アルメヒティに涙ぐまれたり。

 アルメヒティが討伐に参加していなかったのは、妊娠していたことも理由のようだった。姉の勧めでビヒトが膨らんだお腹に手を当てると、内側からぽこりと衝撃が伝わる。

 なんだか感動してその手を見つめるビヒトを、姉はふわりと抱き締めた。

 夢の中のことを思い出してしまって、慌てて軽く押し退ける。


「もう子供ではありません!」

「あら。でも、いつまでも私の弟だわ。怪我の具合はいいの?」

「かすり傷ですよ。みんな、大袈裟なんです」


 左肩を回して見せて、大丈夫だとアピールする。

 いい感じの時間が過ぎたところで、ヴァイスハイトは立ち上がり、ヴィッツとビヒトとヴァルムを書斎へと招いた。

 ドアが閉まると、どことなく張りつめていた空気が緩む。ヴァイスハイトは指先だけで着席を促し、戸棚から琥珀色の酒とグラスを取り出した。少しずつ注いでヴァルムとヴィッツに差し出してから、ビヒトを見て動きを止める。


「……飲めますよ」


 ビヒトの尖った声に、にやりと笑って、ビヒトの前にもグラスを置いた。

 無言で乾杯して口に含むと、どこか爽やかな香りが鼻に抜けた。


「いい酒ですな」


 ヴァルムが口元をほころばせてグラスを置く。間を置かずに次が注がれた。


「飲み過ぎぬうちに、いくつか確認しよう。二人とも、体の変調は?」

「ないな」

「ない」


 痛いところもあるが、通常の範囲内だ。ヴァイスハイトは頷いて、窓の外を見やる。黒雲はどこへ消えたのか、抜けるような青空だった。


「我が国は迷信深い。私も多分に漏れないが、今日の爽やかな天気を見ていると、流石に少々馬鹿らしくなる。さて、全てを報告するかは置いておいて、お前は今後、継続してあの魔法を使うつもりか聞いておこう」

「使うべきと判断すれば使う。見ていて判ったと思うが、そう簡単じゃない。フルグルがいれば、もう少し簡単に使えるようになったとは思うが、それにしたって俺では武器を無駄にすることになる」

「……あの、竜馬か。竜馬とどんな関係が?」


 首を捻るヴィッツに、ビヒトは一度深く呼吸してから口を開く。


「雷の魔法を安全に発動させるためには、相棒が必要になる。古代のヌシの眷属が」

「なんだと? 古代の、眷属? それはもう、いなくなっているのではないか? あ、いや。まて。ヴェルが使えたということは、竜馬が、そうなのか?」

「竜馬は眷属だったものの遥か子孫だ。おそらく、同じものではないだろう。全部が全部使えるとは思えない。だから、廃れた」

「取り上げられたのではないと?」


 ビヒトはしっかりと頷く。


「だから、誰が使っても、失敗しても、そのせいで罰せられることなど無い。罰と感じる何かがあるのなら、それは本人の良心だ」

「……なるほど。それが、お前の辿り着いた場所か。では、あの竜馬が死んだのも、お前の相棒が取り上げられた訳ではないと言うのだな」


 喉の奥がひりつく。

 そう言われれば、そうかもしれないと思ってしまう。

 けれど、最後に感じた胸の熱は、もっと別のことを伝えていた。


「違う。確かに、俺は未熟で、助けられてばかりだったけれど、成すべきことを成して笑ったものが誰かに与えられた罰だとは思わない」


 言い切るビヒトに、暫しの沈黙が流れた。


「成すべきことを、成して……か」


 もう一度、ヴァイスハイトは青い空を見上げた。


「相棒がいなくなったということは、ヴェルはもう使えないということ、ではない?」


 ヴィッツは若干混乱しているようだ。


「一度教えられた。同じことは出来る。もっと小規模になってしまうかもしれないけれど。ただ、おそらくそれ以上はない。出来ない。それは、俺も認める」

「ヴァルム殿はどう思われる」

「わし? わしはどうとも。世の中は、そうあるように出来ている。わしらがグダグダ言ったところでそう変わらん。あの竜馬にはわしも世話になった。だから、手向けに酒を傾けるのみだ」

「ヴァルムはフルグルが生きていても、やっぱり飲むだろう?」


 ビヒトが少し呆れてそう言うと、ヴァルムはグラスを振って、にやりと笑った。


「な。そう変わらん」




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