108 誓い

 体力も戻ってきて、今にも部屋を飛び出しそうなテリエルに背を押されるように、紋は完成した。

 何度も確認して、ヴァルムのお墨付きももらって、カエルレウムに提示する。

 彼は迷う様子もなく頷いた。

 苦痛などは無いはずだが、胸に焼き付いたような紋にビヒトの方が苦しくなる。小さな表情の変化に気付いたのか、沐浴着に着替えながらカエルレウムは「大丈夫」と呟いた。


 紋が完成した時、ヴァルムはビヒトにも紋に登録しないかと誘った。

 おめえさんの方が年齢的にも父親役には丁度いいと。

 けれど、ビヒトはそれを断っていた。


「腕の紋は吸い込みを感知したら青く光るようになっております。足りていれば自分で止められるはずですが、足りなければ吸い続けることになるので、今までのように手袋は離さないで下さいましね」

「……解ってる。ビヒト……本当に、いいのかな……?」

「お嬢様のことでしたら、心配ございませんよ。ここ数日は坊ちゃまに会わせろと、それしか言葉を聞いていないくらいです」


 ビヒトが肩をすくめると、カエルレウムは少しだけ微笑わらった。


「……短いのも似合うね」

「だいぶ執事らしくなったでしょう? 髭でも蓄えてみましょうか。洗うのも楽です。もっと早く切ればよかった」


 ビヒトも一つの決意と共に括れるほど残していた髪を切った。それほど大きなことではないが、ビヒトの中では確かに一つの区切りだった。

 着替えの終わったカエルレウムを連れて、テリエルの部屋に向かう。

 ヴァルムが彼女と一通りの約束を交わしているはずだった。


 「もう二度と自分からカエルレウムに触れないこと」

 「カエルレウムと家族になる代わりに、結婚することは許さない」


 守れなければ、パエニンスラに帰ってもらう、と。


 部屋に入ると、ヴァルムの隣で若干不服そうな表情をしたテリエルが振り向いて、ぱっと表情を明るくした。

 思わずカエルレウムに駆け寄ろうとするのをヴァルムが止めている。

 カエルレウムも彼女の元気そうな様子を見て、ようやく心から安心したらしい。ほっと肩から力を抜いた。


 部屋の中ほどまで進み出て、カエルレウムの前を開ける。

 紋を見たテリエルが顔を強張らせた。

 どこまでも予想通りの反応に、ビヒトは不安になる。ここからきちんと登録まで持っていけるのだろうかと。


「テリエル、手を」


 ヴァルムの声に、テリエルは両手を背中に隠してヴァルムを睨み上げた。

 約束が違うというように。

 ヴァルムはそれを見て堪え切れないように、にやりと笑った。


「手を」


 敢えてそれだけを口にして、テリエルの反応をじっと待つ。

 しばらくヴァルムを睨みつけていたテリエルは、ふと、ビヒトに目を向けた。ビヒトは静かに彼女の答えを待つだけ。紋はもう入っている。ヴァルムは登録を済ませるだろう。テリエルが登録を拒めば、彼女は城に戻るだけだ。

 長い葛藤に、けれど抗議の声はなかった。そこはビヒトも意外だった。


 やがておずおずとその手は差し出される。

 ヴァルムは彼女の小指の先をナイフで少し切りつけ、絞り出した血をその腹で掬う。それをカエルレウムの紋につけると、自分も同じようにして血を塗りつけた。


「カエルレウム。お前にテリエルをやることは出来ん。だが、その代わり『家族』になろう。わし達はお前を家族と認め、護ることを誓う。そのために刻んだ紋だ」


 カエルレウムは神妙な顔でこくりと頷いた。

 ヴァルムは続けてテリエルに向き合う。


「テリエル。お前も誓うな?」

「……誓うわ」


 テリエルの言葉と同時に、血は紋へと吸い取られていき、淡く光を放った。

 文言は違うけれど、その反応は奴隷紋への登録と変わらないはずだった。

 カエルレウムとテリエルは少し呆然とそれを見ている。

 淡い光が収まると、テリエルは思い出したようにビヒトに聞いた。


「ビヒトは、登録しないの?」


 ビヒトは少し笑って、カエルレウムに視線を合わせるために片膝をついた。

 背筋を伸ばし、胸に手を当てて真直ぐに少年を見る様子は、忠誠を誓う騎士のようでもあった。


「家族はもう充分でしょう。私はカエルレウムの師であり、友であり、仲間であろうと思います。それぞれが、それぞれの役割を果たす。それが大事かと」


 全て縛られた中で生きてほしくない。

 何の繋がりなど無くとも、傍にいて、教え、語らい、一緒に悩める相手がいる。それはきっと、カエルレウムの強さに繋がるから。

 ビヒトにとって、ヴァルムがそうだったように。


 青い月の影響の残るここに辿り着いたのも、ビヒトの中に『星をんだ者』の血が残るのも偶然だろう。

 けれど、縁は感じる。

 感じたままに、ビヒトは幼い子の未来さきを見ようと誓った。

 できることなら、幸せな未来を。







 テリエルは、その日から人が変わったように勉強するようになった。医者になるのだと、目の色が違う。

 嫌がっていた礼儀作法も完璧にこなせるよう頑張っている。

 次の年に「気が合ったから」とヴァルムが連れ帰ってきた青年は、酷く商売上手で、あっという間に経営を黒字に乗せた。

 ヴァルムは安心して遺跡に潜るようになり、年に数回帰ってくるだけとなっている。

 使用人も増やし、近くに寮を作り、アレッタも大活躍していた。

 カエルレウムは……成長するごとに寝込む期間が長くなっている。


 そんな生活はしばらくの間続く。

 テリエルと青年の結婚が決まり、ヴァルムが彼等に店を継がせて行方不明になって、満月の夜に一人の少女がやってくるまで。


 ビヒトが見た未来は――また、別のお話。




 ― 天は厄災の旋律しらべ・終 ―




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番外編「誓いの日」https://kakuyomu.jp/works/1177354054886417840/episodes/1177354054886418204

こちらでテリエル目線で山でのできごとと、ヴァルムとした約束などが少し詳しく語られています。

興味ありましたら、どうぞ。


これでビヒトの物語は終わりですが、小ネタをまとめたものなどを少し後ろにつける予定です。

ここまでお付き合い、ありがとうございました!

ご縁がありましたら、また、別のお話で。

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