番外編「誓いの日」
※幼いころのテリエルとカエル。カエルのトラウマの元の話をテリエル視点で。
なんていい天気。
私は目の前の黒板にぐりぐりと太陽を描き付けた。
こんな日はこんな所で無駄な計算なんかしてる場合じゃ無いんじゃない?
アレッタがそろそろ山菜の季節だって言ってたし、お花だって咲き始めてる。
ちらりと隣を見ると、カエルが真面目な顔で計算機とにらめっこしてる。
窓際ではビヒトが『執事指南書』だか片手にこれまた眉間に皺を寄せていた。
つまんない。
こんな計算なんて、大人になればきっと出来るようになるのよ。
今やることじゃないわ。
大袈裟な溜息を聞きつけて、ビヒトがこちらを向いた。
「お嬢様?」
かしこまった声に思いっきり顔を顰めてやった。
「執事なんてやらなくていいのよ? 私はお嬢様なんかじゃないし、冒険者のビヒトの方が好きよ」
「……と、言われましても……手が足りぬのなら、やらねばなりますまい」
「人を雇えばいいだけじゃない」
ビヒトは少し困ったように私の隣に視線を移す。
「見合う人が見付からぬのですよ」
カエルはちょっと特別な病気を抱えている。
月の4分の1くらいはベッドで過ごすし、私は常に手袋を着用させられて、カエルに直に触れないように言い聞かせられている。
彼に直に触れることは命に関わることもあるから、と。
聞かされた時はちょっと怖かったけど、初めて会ったカエルは、珍しい深い紺色の髪と瞳を持った私より小さな子供で、うっかり握手を求めた私に「手袋をしてるときに」と身を引いていた。
その全く子供らしくない態度が面白くなくて――私の方がお姉さんなのに!――怖さなんて飛んでいってしまった。
手袋さえしていれば、だいたい普通に接することが出来るもの。
「やめやめ! こんな天気の日に計算なんてするもんじゃないわ。ね、山の方に山菜を探しに行こう?」
立ち上がってそう主張すると、カエルが冷たい目で私を見上げた。
「勉強に天気は関係ないじゃないか」
カエルは勉強が苦ではないようで、覚えろと言われたことは真面目に取り組む。
きっとビヒトの影響なのだ。彼は器用に何でもこなす。それを尊敬の眼差しで見ているのを、私は知っている。
さらに、私は彼のことをもう1つ知っている。
彼は、押しに弱い。
私がお爺様の孫だからか、それとも女だからか、私に逆らうことは滅多にない。
だから私はそこにつけ込んで、私のやりたいことをやってしまうのだ。
「関係あるのよ。カエルもお日様に当たった方が健康になるんだから」
そう言っておもむろに彼の腕を掴んで、ずんずんとドアに向かった。
「っ! リエル、離せっ」
ビヒトの溜息が聞こえたが、それをまるっと無視してカエルを引きずるように連れて行く。
「放して欲しかったら黙ってついてきてちょうだい。カエル、ビヒトに山菜の見分け方教えてもらってたでしょ?」
玄関を出る頃にはカエルも諦めたようだったので、手を離して駆け出した。
「リエル! 待って!」
カエルの声が少し遠くなる。
ビヒトが追ってくるのを確かめてるのだ。大丈夫なのに。私がビヒトを振り切れたことなんてない。
ちゃんとどこかで見ている。
途中からはスキップで道を行く。
時々道端の花に気を取られて足を止めると、カエルも追い付いてきた。
「私、アラブが1番好きだけど、この花も好きよ」
花びらの多い色とりどりの小振りの花を指差すと、私はまたスキップで移動する。
こんなことを言ってみても、カエルはお花をくれたりしない。
もう少し女心をベンキョウしてもいいと思うのだけれど。
目的の、川向こうにある少し開けた山裾の原っぱに着くと、私は鼻歌を歌いながら花冠を編み始めた。
私がお姫様でー、カエルが王子様。
あの濃い髪色に、伯父様の着るような白い衣装はきっと似合う。
お爺様はカエルと結婚することは許さないって言うけど、私たちが結婚出来る歳になるまでにカエルが治れば良いのよね?
ビヒトは優秀だし、すぐに治す方法が見付かるわ。
だって、優しくて真面目で勉強熱心。剣だってすぐに覚えそう。見た目だって悪くない。いつもはちょっと表情がないけど、笑うととても可愛いのよ?
成長すればきっと優秀な人になるわ。
どうしてお父様もお母様もカエルを嫌がるのかしら?
「リエル。山菜を探しに来たんじゃないのか?」
「これができたらね」
カエルはちょっと呆れて、少し離れた場所でナイフを投げる練習を始めた。
あんなことまでビヒトに教えてもらったのかしら? カエルが冒険者になる未来はちょっと考えられない。
「お嬢様。こちらに暫くおいででしたら、周辺を確認してきたいのですが」
「行ってらっしゃい」
「声の届く範囲には居りますので」
「大丈夫よ」
ビヒトはカエルにも声を掛けて、お嬢様をよろしくと言っていた。
殊勝に頷いているカエルを横目に見て、やっぱり私は面白くない。
年下で病弱なのはカエルで、面倒見るのは私の方じゃない?
出来上がった花冠を頭に載せて、私は山の方に足を向ける。
「カエルー。山菜探しに行くよー」
「……は?」
慌てたような声で外したナイフを拾い集めに行って、それからカエルは私を追ってきた。
「リエル! ビヒトを待たないと!」
「そんなに奥に行かないよ。声の届くところにいるんだし、大丈夫だよ。あっ! これ! このキノコは食べられるんだっけ?」
「あっ! リエル! 何でも触るな! それは見分けが難しいから、俺じゃ無理なやつ!」
なーんだ、と採ったキノコを放り投げた。
先のくるんと巻いた山菜や、色鮮やかなキノコ、食べたことのあるような形の葉っぱを指差すたびに、カエルは違う、とか、ええっと、とか一生懸命首を捻っていた。
そろそろ飽きてきたなー。と、ふと辺りを見渡すと、随分奥の方まで来てしまっているようだった。まずい。
誤魔化すように方向転換をして、元来ただろう方向に戻り始める。
「……リエル、ちょっと……」
カエルがふぅ、と息をついた。
疲れちゃったのかな?
どこか休めそうな所は、と辺りを見回したところで、どこからかぴぃぴぃと鳴く声がした。
鳴き声を頼りにある木の根元に目を凝らすと、まだ毛が生えそろったばかりのような小鳥が、羽をばたつかせて鳴いていた。
「小鳥! 大変、落ちちゃったのかな?」
「え?」
私は急いでその子を掬い上げると、木の上を見上げた。
だいぶ上だけど、巣が見えた。なんとか登っていけるかな?
木に手をかけようとして、両手が塞がっていることに気付いた。
何やってるのかしら。これじゃあ登れないじゃない。
「カエル、ちょっと持ってて!」
ひょいとカエルに小鳥を渡して、木に向き直る。そこに取りつこうとしたら、一際甲高いピーという声が聞こえて、静かになった。
「……リ、リエ……」
振り返ると、真っ青になっているカエルの手の中で小鳥が動かなくなっていた。
カエルは手袋をしていなかった。勉強中に急に連れ出したから、する暇がなかったのだろう。
ガタガタと震えだしたカエルは、小鳥を持ったままガクリと膝をつき、慌てたように首からかけていた通信具を取り出すと、「ビヒト……」と一言喋って、そのままふっと意識を失って倒れ込んだ。
「カエル!!」
そういえば、疲れた様子を見せていた。もしかしたら元々体調があまりよくなかったのかもしれない。
叩いても、つねっても、カエルは目を開けず、顔の白さだけが増していくような気がした。
カエルが死んじゃう……
私が、連れ出したから。
私が、小鳥を渡したから。
私が――
ぼろりと涙がこぼれた。
どうしよう。どうするんだっけ?
カエルは人や動物から生きる力をもらってしまう。自分の意思とは関係なく。
お爺様はそう言ってなかった?
だから、小鳥は死んでしまった。小鳥では、カエルには足りなかったんだ。
私は自分の手袋をむしり取った。
私の力もあげるから、お願い。いかないで。
カエルの手を両手でしっかりと掴む。
初めて触れた。
少し冷たい、小さな普通の手だった。
確かに何かがその手を伝って流れていく。
だんだん身体が重くなってきて、頭痛がしてきた。ぐるぐると辺りが回り始めて気持ち悪くなる。
カエルは、いつもこんな風に具合が悪いんだろうか。これではベッドから起き上がれるはずがない。
そのまま私も倒れ込んで、意識を失ってしまった。
◇ ◆ ◇
目が覚めると自分のベッドの上だった。
頭がぼんやりしていて体が熱い。熱があるみたいだ。
世の中はゆっくり回っていて、あの時ほど気持ち悪くはないけど、立ち上がれそうにはなかった。
目だけそろそろと動かして辺りを見渡すと、お爺様がベッドの横で座ったまま目を瞑っていた。
大きな体で怖い顔のお爺様は眠っていても怖いお顔で、知らない子が寝起きにこんな顔を見たら、泣き出すのではないかと要らない心配をしてしまった。
起こすのも悪いなと思ったので、私もまた目を瞑って眠ろうと思ったら、教会の鐘の音が1つ聞こえてきた。
ぱちりとお爺様が目を開く。
「……テリエル。気分はどうだ?」
「カエルは?」
私は自分のことよりカエルのことの方が心配だった。あんなに白い顔をしていたのだから。
「大丈夫だ。坊主の方が慣れてるし、対処も分かってる。ビヒトがすぐに駆けつけた」
私はほっと息をついた。
「テリエル」
お爺様はあまり見ない怖い顔――ううん。怖いのはそういうお顔なんだけど、そうじゃなくて――で私をじっと見ていた。
「もう2度とこんなことをしちゃいけない」
「どうして?」
私はカエルを助けたかっただけだ。助けられる手段があるなら、何だってする。
きっと、次の時も。
「坊主より、お前の方が危なかった。もしもお前が死んでしまっていたら、坊主は助かった喜びよりも失くした悲しみで潰れてしまう。母や祖母をどう亡くしたのか、あいつはだいたい知ってるんだから」
お爺様は子供だからといって下手に隠したり誤魔化したりしない。
知ってることはカエルにも話しているのだろう。
「怠くて頭が痛くて目眩がするだろう? それがどんなに辛いのか坊主は知ってる。例え自分の為だとしても、お前にそんな体験をさせたくはないはずだ。そして――」
お爺様はそこで一層怖い顔をした。
「約束を守れないのなら、ここで暮らさせる訳にはいかなくなる。わしがどんなことを言っても、お前の父さんと母さんはお前を連れ戻しに来るぞ」
私は布団の中でぶるりと震えた。
ここの暮らしから考えると、お城での生活は窮屈で退屈で仕方がない。
「きちんと身体を治して、今まで以上に頑張って、ここで暮らしていても世に出て恥ずかしくない人間にならねば、お前も、坊主も、認められない。解るか? 例えお前が自分の意思でカエルレウムを助けたのだとしても、お前が死んでしまっては悪いと言われるのは坊主だ」
「どうして……」
叫びたかったのに、口から出たのは弱々しい声だった。
「自分以外の命を、良く解らない
カエルは化け物なんかじゃない!
握った手は私より小さい子供の手だった。
涙が溢れて頬を伝う。
「護りたいと思うのなら、お前が彼のために倒れたり、死んだりしてはいけない。誰も、そうなってはいけない。約束してくれ、テリエル」
お爺様は大きな手で私の頭を優しく撫でた。
「もう2度と、こんなことはしないと」
頭では解っていた。
難しい話だったけど、そうしなければカエルと暮らせないというのは解った。
でも感情では認められなかった。
だって私は同じ場面に遭遇したら、何度でも同じ事をする。
カエルを助けるために何度でも。
はっきりとした返事をせずに、私はよく回らない頭で考えた。
幸い、と言うのか、ちゃんと普通の生活に戻れるまでひと月程もかかってしまったから、考える時間だけはたっぷりとあった。
その間、カエルには1度も会わせてもらえなかった。
すっかり元気になって久しぶりにベッドから出た日、お爺様がもう1度私に聞いた。
「テリエル。約束できるか?」
「約束するわ」
私は力強く頷いた。
カエルを助けてはいけないというのなら、もう2度とカエルをあんな風にしない。
誰か、じゃない。私が、カエルを治す。治せばいい。
誰にも文句は言わせない。
そう、決めた。
「じゃあ、もう1つ約束しよう」
お爺様はしゃがんで、私と目線を合わせて言った。
「カエルには紋を刻んだ」
嫌な予感がした。
「1つは両手首に。足りていれば、不用意に誰からももらわなくて済むように」
「……まだあるの?」
お爺様は慈しむような瞳でまっすぐ私のことを見ていた。
「1つは心臓の上に。誰にも、カエルレウムを渡さぬように。けれど、テリエル。その代わり坊主と添い遂げることは許さない」
まるで私の心の中を見透かしたように、お爺様はきっぱりと言った。
それを、子供の淡い夢だとは少しも思っていない。私のことを良く解ってる。
「カエルが治れば、許してくれる?」
最後の、抵抗だった。
十に満たない私の、小さな。
「治すことが出来たなら」
お爺様は解っていてそう言ったのだろうか。私がその道を選ぶと。
「だから、それまでは『家族』でいよう。誰にも引き裂かれぬよう、紋に誓おう。それで、いいな?」
私は渋々頷く。
夫婦にはどうせまだなれはしない。なら、一足先に家族になるのはまだマシな選択だと思ったから。
ビヒトが連れて来てくれたカエルは、沐浴着を着ていて、私を見てほっとした
自分の目で見るまで、私が無事だとは信じられなかったらしい。
ビヒトがそっと沐浴着の前を開くと、心臓の真上にどこかで見たような紋が、焼き付いたようにくっきりと描かれていた。
奴隷紋だ。何度か見たことがある。
「テリエル、手を」
ばっと、反射的に腕を背中に回す。
家族になるのではないのか。
私はカエルを奴隷にしたい訳じゃない。
お爺様を抗議の目で睨みつけると、お爺様は悪戯っ子のような顔をして笑った。
「手を」
こういう顔をするときは、お爺様は必ず良からぬことを企んでいる。
ビヒトも何も言わないということは、2人の間ではもう申し合わせが出来ているということだ。
不安は少しあったけど、結局私は手を差し出した。
お爺様は小指の先をナイフで少し切って、ぎゅっと血を絞り出した。
とても痛かったけど、何とか我慢した。
それをナイフの腹で削ぎ取るようにして、カエルの紋へ塗りつける。
続けて自分の指を切って同じようにした。
「カエルレウム。お前にテリエルをやることは出来ん。だが、その代わり『家族』になろう。わし達はお前を家族と認め、護ることを誓う。そのために刻んだ紋だ」
カエルは神妙な顔でこくりと頷いた。
お爺様は私の方を向いて、ゆっくりと促した。
「テリエル。お前も誓うな?」
「……誓うわ」
私の言葉と同時に、じわりと血は紋に吸い取られ、その紋が淡く光を放った。
私は奴隷紋の登録を見たことなど無かったから、その光を少し綺麗だなどと思っていた。
「……ビヒトは、登録しないの?」
素朴な疑問をぶつけると、彼は少し笑って、カエルに視線を合わせるために片膝をついた。
「家族はもう充分でしょう。私はカエルレウムの師であり、友であり、仲間であろうと思います。それぞれが、それぞれの役割を果たす。それが大事かと」
執事がだいぶ板に付いてきてしまったビヒトを少し残念に思う。
でも、彼が言うように彼がカエルの師である限り、冒険者のビヒトはいなくならないのだ。
いつか、あの紋を消す時、私達は本当の家族になっているだろうか。
それとも、紋を消すことなど出来ず、カエルは一生私達のものなのだろうか。
結果は同じようで全然違う。
だから私は頑張らなければいけない。
カエルをこの手で治して、そして――
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