番外編「あなたと共に」4

 「あとで」の「あと」は、思ったよりも日が経ってからになってしまった。

 縛り上げた悪漢たちをしかるべきところに突き出して、ビヒトさんが防犯のために施していたあちこちの陣を修正したり、追加したりと、主にビヒトさんが忙しかったせいでもある。

 押し入ったのは全部で四人。二人がかりで腕の立つという噂の執事を足止めして、魔術師とそのサポート役が子供を攫うという算段だったらしい。一人は罠にかかり、あとの二人はビヒトさんがあっさり倒したという話だった。

 じっとしてろと言われたのに、あの場で飛び出してきたテリエルは、寝込んでいるカエルレウム君に面会禁止を言い渡され、店が休みで地下にある商品の仕分けくらいしかやることのない僕の周りをうろちょろしてる。


「ランクにはがっかり」

「はいはい」


 だから、これも何十回も繰り返された会話の一つだ。


「カエルが狙われてるのに、どうして彼を助けてくれなかったのよ」

「あの場で君が出てこなかったら、どうにかしたよ」


 それでも間に合ったかは分からないけど。


「私じゃなくて、カエルを助けるべきでした!」

「はいはい。ごめんなさい」

「次の時はちゃんとしてね?」


 バン! と机に両手をついて同じことを抗議するお嬢様だけど、残念ながらそれには賛同できない。にこりと笑ってごまかすと、彼女の目が半分据わった。


「ねぇ、なんで私の方をかばったの? 女だから? お爺様の孫だから?」


 僕は彼女がその理由を本当は解っているものだと思ってたけど、どうやら違うらしい。不毛な会話は終わらせるべきだろうか。ふむ、と背筋を正すと、つられたのか彼女もぴしりと直立した。


「ひとつは、あのフードの男が君を見た途端、目の色を変えたから。あの場のターゲットは君だった」

「それなら、私は命の心配はないんじゃない? 最初におとなしくしてたらって言ってたし」

「君、おとなしくしてなかったよね?」


 今度は僕が半眼になる。

 彼女の口が結ばれたのを確認して、僕はやや首を傾げた。


「僕はただの商人だからね。君を人質に取られて、魔術を駆使して逃げられたらどうしようもない。それと、ふたつめ。カエルレウム君と話していただろう? 彼は君を守ると言った。僕には理由はよく分からないけど、君に傷一つつけられない、そういう理由があると解釈した。テリエルも彼に従って手を離した。その約束を優先しただけだよ」


 はっと彼女の目が見開かれる。


「あの時の話で……?」


 彼女が女の子だということももちろんあって、カエルレウム君の身の軽さに賭けてみたというところもある。あの中で一番の子を選んだだけだ。それは多分、口にすべきではないことだけど。


「そ。間違ってたとは、思ってないよ」


 これで納得するだろうと、僕は仕分けを再開した。

 しおしおと勢いを失くした彼女は僕の隣に座って数学の本を開く。彼女と同じ年頃の子よりはずいぶん先の勉強をしていた。


「……カエルは死んじゃダメなの」

「ん?」

「私が治すまで、治すから! そうしたら、結婚してもいいって、お爺様は言ったから! だから、ランク、はカエルを守ってね」


 揺るがない碧の瞳と決心に、つい笑みがこぼれる。


「次はないといいんだけど。二人が無事でいられる選択を、僕はするよ」

「ほんと!?」

「うん。応援するから、頑張って」


 この時、僕は彼女の満面の笑みにとても満足したのだけど、後々自分の発言に後悔する日が来るとは思ってもみなかった。



 ◇ ◆ ◇



 結局、ビヒトさんが指定したのは事件から七日後の夜だった。

 忙しかったのは三日ほどだったようだから、別にその前でもいいんじゃないかと思いつつ、テリエルの勉強を見て過ごす時間が増えた。

 約束の日も店のカウンターで本と皮紙かみを広げていた彼女は、一息入れるようにと女中頭のアレッタが持ってきてくれたクッキーをつまんで、少し遠い目をしていた。


「……今夜、ビヒトと話すんですって?」

「え? うん。ビヒトさん、何か言ってた?」


 ううん、と首を振って心配そうに僕を見上げる。

 何だろう。その表情をされる心当たりが全くない。


「……ランクは、私の味方だよね」

「なに? なんか悪いことでもしたの? 事と次第によっては、味方はできないよ?」

「……ちがうもん!」


 勢いよく立ち上がると、テリエルは勉強道具をかき集めて身をひるがえした。


「今日は部屋でやる!」


 話をするのは主にカエルレウム君のことだろうに、全く腑に落ちない。

 最近、難しい問題が解けた時に頭を撫でて褒めていたことを子供扱いだと怒っているのだろうか。もう少しクールに、さすがだねと褒めるにとどめるべきだったのか。それほど嫌がる様子はなかったと思うんだけど……

 ああ、それとも。それとも、カエルレウム君の胸の紋のことかな。あれがどういう紋か、彼女も知っているのだろうから。

 いくつか想定できる理由は浮かんでいるけど、ビヒトさんの答えによっては、僕だって黙ってる気はないんだから。

 勝手にちょっとヒートアップしながら、久々のひとりの時間は過ぎていった。




 夜、というか、ほとんど夜中。ビヒトさんが指定したのはそんな刻限だった。

 そんな時間なのに、カエルレウム君の部屋に来るように言われて心配になる。あれ以来、僕は彼の姿を見てもいないし、声も聴いてない。

 本当は、ものすごく容体が悪かったんじゃないだろうか。

 テリエルの意味深な態度も相まって、ひどく不安な気持ちでそのドアをノックした。


「どうぞ」


 ビヒトさんの声はいつも通りで、僕もできるだけ普通を装ってドアを開ける。


「そのまま開けておいてください」


 だから、毛布にくるまれたものを抱えて、こちらに向かってくるビヒトさんに面食らった。すれ違いざまに鍵を渡される。

 腕の中にいるのはぐったりとしたカエルレウム君で、そのままひとつ奥のドアへと向かう。


「え……ちょっと、ビヒトさん!? その状態のカエルレウム君を、どこへ!?」

「秘密の場所です。先日は思いがけず危険な目に合わせてしまったので、これ以上踏み込みたくないなら、鍵を返して回れ右をしてください」


 いつもは優しげに見える薄茶の瞳が、妙に冷え冷えとしていた。

 その言い様はさらなる危険があるぞという意味にも聞こえるけど、鍵は僕の手の中だ。

 彼はきっと僕の答えをある程度予想している。


「……ケインにも?」

「彼は怖い思いもしてないし、知ろうともしなかった。それでも問題ない。ここの多くの従業員は皆そうだ」


 これは僕への信頼なのかな。

 ……違うな。ビヒトさんの目は、まだそこまで僕を信じてるわけじゃない。僕の好奇心への信頼、というくらいかな。あるいは、ヴァルムさんへの。

 ふぅ、と息をついて、僕は肩をすくめた。


「お供しますよ。ぐだぐだ言ってる間のカエルレウム君が可哀想だ」


 ふっと笑うと、ビヒトさんは少し身体を避けてドアへと顔を振った。

 怖くないわけではないんだよ?

 でもさ、次に何が飛び出すのかって、バカみたいにワクワクする自分もいるんだよね。

 開かずの扉の鍵を開けるなんて、人生で何度経験できるかな?


「ランクィールス……普通の人間は好奇心が過ぎると身を亡ぼすぞ」


 開けたドアを彼のために押さえていた僕の口元を、ビヒトさんはすれ違いざまに親指でこすった。ほんの少し苦笑しながら。

 どうやら僕は微笑わらっていたらしい。慌てて顔を繕って咳ばらいを一つしたけど、もう遅いのは確実で。

 ビヒトさんに実力行使で口を封じられないようにしなくちゃと、彼を見失わないように後を追った。


 渡り廊下のような通路は、やがて手掘りの洞窟のようになって、あるところで突然開けた空間に出た。離れの位置関係から考えると、裏の山の中、ということになる。

 天井が崩れているのか、青白い光が差し込んでいた。周囲が薄青く見えるのは、そういう鉱石でも含まれているんだろうか。

 僕がちょっとその光景に見惚れているうちに、ビヒトさんは手前にあった木製の小屋の中へと入っていってしまった。何も言われなかったので、しばしその場で待つ。

 ぐるりと見渡してみると、どうやら地底湖があるようだった。水も薄青く見えるので、その色が空気中にも反射しているような気になるのかもしれない。


 湖の縁まで近寄って覗き込む。少し高さがあって、水面まで下りる階段があることが分かった。暗さのせいもあるけど、生き物がいるかどうかまでは分からない。

 岸から少し離れて中島のような場所があって、視線を上げるとぽっかりと穴が開いていた。まるでその部分が崩れて落ちて島になったみたいに。

 そして。

 そして、その穴から月が覗いていた。まんまるい、白いまだらのある、青い月。

 はたから見たら、僕はぽかんと口を開けてアホ面をさらしていたことだろう。

 だって、そんなものを見たのは初めてだったから。夜を駆ける月は満ち欠けがあれど、茶がかったものしか知らない。広いそらには望遠鏡で覗けばそんな星もあるかもしれないけど、肉眼で見えるなどと聞いたことがなかった。


 ……いや、待てよ。何かあった、ような。

 古いもの。古いお話。童話の中にそんな話が――


「ランク」


 呼ばれて思考は中断した。


「ビヒトさん! あれ、あれは……!」

「順に話すから。と、言っても、俺たちも詳しくは知らないんだが。とりあえずこれを」


 そういって渡されたのはタオルだった。

 ビヒトさんは東の方の簡素な民族衣装のようなものを着せたカエルレウム君を抱えたまま、岸と平行に作られた階段を下りていく。


「え……ちょ、ちょっと!」


 慌てて追いかけた僕が追いつく前に、彼は少年を水の中へと沈めた。

 ぶるりと背中が震える。カッと血が上り、ビヒトさんを押しのけて水へ飛び込もうとしたのを力ずくで止められた。


「ビヒトさん! なんてことを!!」


 テリエルが心配していたのはこういうことなのか?

 自らの足で歩くこともできないほど衰弱した子供を湖に沈めるなんて。いくらを刻まれているからといって、使えなくなったからと始末してしまうのか?

 二、三発殴ってやりたいのに、ビヒトさんに掴まれた腕はびくともしない。

 しかもビヒトさんはそんな様子の僕を見て笑って――

 ……ん? 苦笑、して?


「大丈夫だから。これが、カエルレウムには治療なんだ」

「――は?」


 ざばりと水の中から紺色の頭が飛び出した。こちらを見て笑うと小さく手を振る。

 ビヒトさんもそれに応えて手を振った。すいすいと水の中を進むカエルレウム君は確かに慣れた様子で。


「……どういうこと?」


 大混乱を起こしている僕を、とりあえず座れと、ビヒトさん自ら階段に腰掛けて誘った。僕としては従うしかない。


「カエルレウムは、あの光を摂取しないと生きていけない」


 ビヒトさんは天井に空く穴を指差した。


「空気中にあるものよりは、水に溶けたものの方が取り込みやすいらしい。けれど、あの光が注ぐのは月に一度で、こうやって沐浴しても、ひと月健康でいるには足りないらしい」


 僕は相槌を打つのも忘れて、青い月と、浮かんだり潜ったりしているカエルレウム君を交互にみやった。

 にわかには信じられない。でも、ぐったりしていたはずのカエルレウム君は確かに水の中の方が楽そうだ。

 僕は胃の中の行き場を失ったエネルギーをどこに向けようかと考えて、もう一つの捌け口にすがる。


「そういうことにしましょう。でも、それじゃあ、カエルレウム君のあの胸の紋は、ここに来る前につけられたものなんですね?」


 声が尖るのは、ビヒトさんの優秀さを知っているからだ。あれだけ陣にも紋にも精通しているのだから、それを無効にしたり消したり隠したりすることはできるはずだ。現に、この家の誰もカエルレウム君を奴隷として扱っている様子はない。テリエルと同じように、姉弟として接しているように見える。それなのに、わざわざそれを――服で隠れる場所だとはいえ――そのまま放置しているのが解せなかった。

 ビヒトさんはしばしのあいだ目を伏せる。まだ、迷っている証拠だった。


「そう、と言っても、信じないんだろうな……」


 それはビヒトさんにしてみれば、ひどく弱々しく、独り言のようで。

 けれど、次に瞼を上げた時には、そんな迷いなど見えもせず。


「ランク、あなたがここに来る一年ほど前、カエルレウムはテリエルを殺しかけました」

「……は……?」


 全く思いもよらない方向から、ぶん殴られた気がした。

 僕の中で、カエルレウム君の身の軽さとナイフ使い、それらが嫌な感じで繋がりそうになる。

 親のない子が犯罪組織に拾われて、要らない才能を開花させていく。都会ではそんな話もまことしやかに囁かれている。今回の犯人もテリエルを狙っていた。ヴァルムさんの店を潰すために、攫うのでも、見せしめでも、警戒されにくい子供を使って……なんて、あり得過ぎて身震いした。



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