番外編「あなたと共に」5

「そんな……カエルレウム君が誰かに雇われた刺客だったと?」

「は?」


 二、三度目をしばたいて、ビヒトさんは軽く吹き出した。


「いや、そうか。それでもいけるのか。まあ、ランクならすぐに矛盾に気付くのだろうけど。その豊かな想像力は、少し脇に避けてくれないか」

「……はぁ」


 彼も僕も肩から少し力が抜けていく。


「物騒な言葉を使ったけど、事故みたいなものだった。実際に動いたのはカエルレウムではなくて、テリエルだから。彼はこの場所から離れられる性質ではない。最初にそう言ったろう? 投げナイフや簡単な体術を教えたのは俺だし、体力さえ続けば、確かに立派な刺客になる才能はあるかもしれないが……彼はそうならないよ」


 話が突飛すぎて、上手く呑み込めてなかった。

 生きられない云々は置いておいて、カエルレウム君がここから離れられないのだとすれば、ヴァルムさんがこんな場所に店を開いた理由の一つは理解できる。

 僕の表情を確かめて、反論がないことに頷いてから、ビヒトさんは話を進める。


「あの光は水に溶け、水は流れたり染み出したりして大地を潤す。植物を育み、動物の餌になり、我々の口にも入る。量は多くない。でも確実に血肉に溶け込んでる。それがなければ体調を崩したり、死に至ってしまうほどには」

「死、に?」


 聞いたこともない話に眉を寄せる。


「ほとんどの人は気づいていない。それは徐々に溜まっていくもので、普通は無くなるものではないから。魔力のように使えば減るというようなものでもない。ただし、魔力のように一晩眠ればある程度取り戻せるものでもない。小さな積み重ねが、毎日の食事が、それを支えてる」


 充分すぎるくらいの前置きは、僕を不安にさせた。


「ヴァルムが連れてくるくらいだ。ランクも魔力は多い方だろ」

「う、うん。何ができるわけでもないから、無駄だなって家族にはよくからかわれて……」


 生まれた時、魔力量を確かめて一瞬だけ身内がお祭り騒ぎをしたそうだ。我が家系から魔術師が出るかもしれないと。

 だけど、それがヴァルムさんに誘われた一助だなんて思ったことはなかった。本当に持ち腐れているものだ。


「あの時、カエルレウムは具合の悪くなり始める頃だった。ちょっとしたことがきっかけで、意識を失ってしまったらしい。傍にいたテリエルは、彼を助けようと、その手に触れた。自分の分を分けるために。にも関わらず」


 ビヒトさんは口元を苦そうに歪ませた。


「俺は周囲を見回ってた。すぐそばにいたけど、カエルレウムに呼ばれるまで気づかなかった。足りなくなるから具合が悪くなる。足りない分は奪い取ればいい。はそう進化した個体のようだ。触れて他者から奪える身体を持ってしまった」


 ひゅっと、穴から冷たい風が吹き込んできたような気がした。


「じょう……だん……」


 そうでないことはビヒトさんの硬い表情から窺えた。

 家の中でも手袋をはめているカエルレウム君、手袋をしてるから大丈夫と言ったテリエル。


「本人がそう生まれたくてそうなったわけじゃない。幸い、ここにはこの湖があった。カエルレウムはできるだけ他人との接触を控えてる。痛ましいくらいに。彼らには他者からもらっても、足りないから」


 近づこうとしただけで、反射的に距離を取る、あの反応は。

 小さく息を吐いて、ビヒトさんは泳ぐカエルレウム君を見つめた。


「彼を産んだ母親、あとを任されてた祖母。知らぬ間に彼は手をかけていたことになる。これ以上は、と、叫んでいるように見える。……『タマハミ』という言葉を聞いたことは? 彼は、この辺りでそれを輩出する一族の、最後の生き残りだ」

「……あ!」


 さっき、思い出しかけたものをはっきりと思い出す。


「田舎の方によくある伝説だ。童話にも出てくる……『蒼月の姫』、だったかな」


 ふわふわした話が、自分の知っているものに形をとったとたん、急に目の前に下りてきた。

 人の命を奪う異形の化け物。それには怖さを伴うけれど、ビヒトさんの話は至極理論的な考察だと解る。何より、彼らは暮らしているのだ。その、伝説と!


を奪われた時、しばらくの間は魔力が補ってくれるらしい。だから、魔力量が多いと助かる確率が上がる……ヴァルムはそう言っていた。とはいっても、生理的嫌悪感が湧いてくるのは仕方がない。それをカエルレウムに悟らせたくもない。彼を怖いと思うのなら、国に帰ってくれ……ランクィールス?」


 ぐいと顔を拭われて、ハッとしてカエルレウム君を追っていた視線を戻す。


「あ……えと、大丈夫、だと、思います。えーと、でも、しばらく猶予はあった方がいいかも? 今、僕、ちょっと情報量に混乱してて、自分でもよくわからな……」


 くすくすと笑われて、自分がどんな顔をしていたのか気になり始めた。


「そうだな。その方がいいな。ランク、あんまり本業の顔でも彼に接しないでくれ」


 本業? 古物商? 確かに、伝説級のお宝みたいだとは思ったけど……

 あ。うん。そうか。そういう視点も、失礼か……


「善処します……」

「うん。まあ、今のカエルレウムには、そのくらいの方が気楽かもしれないけど。あの紋は、どちらかというと彼の精神安定のために入れたんだ。もしもの時は、誰かが無理矢理にでも止めてくれる。そういう安心感のために」

「じゃあ、登録はされてないんですか?」

「してるよ。ヴァルムと、テリエルが」


 理由が解っても、その事実は僕の胸に棘を刺す。


「ビヒトさんは、どうして……」

「俺には俺のできることがあると思って」


 そう言うと、ビヒトさんは青い月を見上げた。




 一刻ほどでカエルレウム君は水から上がってきた。僕をひどく心配そうな顔で見ながら立ち止まる。


「ランクィールスさん……あの……」


 ビヒトさんが話をするということを知っていたのだろう。何を口にすればいいのか言い淀んで、彼は少し下を向いた。

 僕はその隙にビヒトさんに渡されていた大きめのタオルを広げて、カエルレウム君の頭から被せてしまう。わしわしと髪を拭いてやると、くぐもった声がした。


「ランクでいいよ。よく噛まないね。びっくりしたけど、ぼちぼちやれるんじゃないかな?」

「ぼ、ぼちぼち?」

「ん」


 顔も拭き上げて、タオルを向こうへ押しやると、頬に朱を散らした顔が現れた。

 テリエルを守ると言ったキリリと勇ましい顔に彼女は惚れたのかと思ってたけど、こちらはこちらで庇護欲をそそられるものがある。


「じゃあ、あの、カエルで。長いから」

「うん。わかった」


 まだその距離に抵抗があるのか、緊張する彼の体をビヒトさんが横から手を出して抱え上げる。大きめのタオルは年齢の割に小さい彼を包むのに充分だった。


「風邪をひいたら困るので、行きますよ。ランクもよろしければどうぞ」

「え」


 何に誘われたのかも分からないまま、とりあえずついていく。

 一度離れに戻って、カエル君の部屋の前を素通りすると、今度は反対奥のドアへと入っていった。カエル君の着ているものと同じものを渡され、次のドアの向こうは外だった。

 左右に並んだ小さな小屋二つの向こうには、泉のようなものがあって、湯気が上がっている。下ろされたカエル君は先にひとりでその中へと入っていった。

 ビヒトさんは小屋の一つに向かっていて、僕に手招きする。


「温泉です。こちらはたまに従業員にも開放してますので、入りたいときは言ってください。冷えたでしょうから、温まりましょう」


 火山があって水も豊富。村にも大衆浴場があって行ってみたりもしたけど、こんな身近に。部屋付きの小さな浴室でも贅沢だなって思ってたのに、もしかしなくてもここは天国かもしれない。たっぷりのお湯に浸かるのは、ひどく気持ちがいい。

 僕はこの時もうすでに、国に帰ることなんて頭から消し飛んでいたのだった。



 ◇ ◆ ◇



 心地よい疲れにぐっすり眠って、次の日も普通に始まった。

 子供たちの少し遠巻きにするような雰囲気に首を傾げたけど、珍しく冷やかしの客が多かったので気にしている暇はなかった。

 数日が過ぎて、ひょっこりとヴァルムさんが返ってきた。着替えもしないまま店に顔を出す。新しい出土品はあったのかと、ワクワクと迎え入れると、開口一番こういわれた。


「魔術師のいる一団が押し入ったんだって? 災難だったなぁ」

「本当ですよ。ヴァルムさん、どんだけ恨まれてるんですか」

「わしじゃねーよ。ほいほい契約を決めるから、天秤にかけられてた別業者が、ことごとく断られたって逆切れしたらしくてな」

「はぁ?」

「あんまり派手に売るなって言っとったろうが」

「え? 僕ですか? 心外な」

「まあ、いいわ。ついでにシメてきたから、もうそうそう手は出してこんはずだ――時に、国には帰らんのか?」


 話の流れがよく分からなかったので、僕は首を捻る。


「予定はありませんよ。誰かの訃報でもない限りは、帰るほどの用事はないですね」


 ガラガラとひび割れた声で笑いながら、ヴァルムさんは僕の肩を叩いた。


「だとよ」


 目線が奥を向いているので振り向くと、執務室のドアが細く開いていて、碧い瞳と目が合った。彼女は慌てた様子で音を立ててドアを閉じて、駆けていく。


「……何ですか?」

「坊主の話を聞いたんだろう?」

「ああ、はい」

「国に帰るかどうかは保留にしとるというから、子供たちは気にしとったんじゃないか?」


 ポン、と手を打つ。そういえば言った。すっかり忘れてたけど。というか、ビヒトさんが子供たちに話しているとは思わなかった。


「気にしてもらえてたとは!」


 早く出て行けと思われてたわけではないよね? なんだか嬉しくなって顔が緩む。

 ガラガラともう一度笑ったヴァルムさんは、遺物の入った袋をカウンターに乗せると「風呂に行ってくる」と出て行った。

 客が途切れたのを見計らって、ほくほくと袋の中身を覗いていたら、扉のチャイムがリンリンと音を立てる。いいところなのに、と不満顔を隠して顔を上げると、立っていたのはカエル君だった。

 珍しい。


「どうしたの?」


 彼はさっと店内を見渡すと、カウンターまで早足で寄ってきて、声を潜めた。


「帰らないってホント?」


 テリエルに聞いたのか、ヴァルムさんに聞いたのか。少し眉をひそめているのは、留まってほしくない気持ちの表れなんだろうか。


「うん。元々、そのつもりだったよ?」

「大丈夫?」

「何が?」


 カエル君は言葉に詰まって、下を向いてしまった。


「ここには素敵なものがいっぱいあるからね。全部置いていくのは惜しいじゃない。それとも、僕がいると迷惑かな……そうなら、もう少し考えるけど」


 カエル君は慌てて左右に頭を振った。


「テリエルも、帰ってほしくなさそうだったし、それはない。ランクはテリエルの味方になるって言ったんだろう?」


 ここのうちには秘密ってものがないのかね? 報連相が行き届きすぎてて苦笑する。


「まずいなら、それも取り消しとくよ?」


 もう一度、カエル君は首を振った。


「いいんだ。テリエルには味方が少ないから……俺も、全部はうんって言ってやれないから、もちろん、みんなテリエルのことを思ってそう言うんだけど、わかってても辛いときはあるから……だから、ランクが味方してくれるのは助かる。ちゃんと、守ってくれるってのも、わかったから」

「あのね。君たちはまだ子供なんだから、無茶しなくていいんだよ? 僕はビヒトさんやヴァルムさんみたいに強いわけじゃないけど、彼らがが駆けつけるくらいまでの時間稼ぎはできる」

「俺はいいんだ。いざとなったら、手袋を外してしまえばいいんだから。だから、テリエルを――」

「カエル君」


 思ったよりもきつい声が出てしまった。

 カエル君はびくりと身体を揺らす。


「君は、そういうことを考えなくていいんだ。考えちゃ、ダメだ。僕ら大人が、二人とも守れるよう頑張るから」


 まあ、半分は見栄だよね。

 子供の方がカッコいいこと言ってるんだもん。

 実際、魔法を一発喰らわせちゃってるし、あんまり信用無いかなと思って、うつむいてしまったカエル君に付け足しておく。


「……まあ、ほら、でも、いつまでも子供じゃないんだし、大きくなったら助けてよ。投げナイフとか、まだ上手くなるでしょ」


 そっと顔を上げたカエル君ににっこりと笑っておく。一呼吸おいて頷くと、彼も晴れやかな笑顔を見せてくれた。

 いやはや。たまに見せる笑顔は破壊力あるね? テリエルが夢中になるのも解るような気がする。幼いながら真剣な恋心ににまにましていたけど、ふと、怖いことに気付いてしまった。

 彼女が言う「味方」は恋を取り持て、という意味で、僕はお気楽に「応援する」と答えてる。もしも。もしも二人が年頃になって、テリエルがそのことを忘れてなかったら――十中八九忘れなそうだけど――触れ合えない二人の仲を取り持たなくちゃならない? あの、それで我慢できるタイプだろうか……キスくらい大丈夫じゃない? とか、言い出さないだろうか。

 ぞくぞくと背を駆け上がる嫌な予感を、僕は頭を振って追い払った。




*********************


※ビヒトの背景はスピンオフ「天は厄災の旋律しらべ

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890158781

にて詳しく書いております。子供たちとのあれこれは6章なので、気にる方はそちらだけでもどうぞ。

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