蒼き月夜に来たるSS・番外編置場

ながる

aside_カエルレウム

※「蒼き月夜に来たる 6.タンケン」までのカエル視点



 その闖入者は地底湖の中島となっている岩の上から声をかけてきた。

 反射的にナイフを投げる。

 洞窟の上の大穴から動物などが入り込むことはたまにあったが、人間は魔道具設置後は初めてだ。

 この山を越えてくるなんてロクな人間じゃ無いだろう。

 よろりとよろめいて、岩の裏側に落ちる人影。

 トドメを刺そうと近づいていくと、そこに居たのは妙な服を着た異国の娘だった。


 ほんの少し躊躇った瞬間、彼女の周りの水が青く光を放った。

 ごぼりと彼女の口から大量の気泡が出ていく。

 水を飲んだな。

 このまま見殺しにしてもいいが……いや、死体の沈んでいる湖に浸かりに来るのは精神衛生上よろしくない。

 捕まえておくか、と手を伸ばして手首の紋がいつもより青を濃く光らせているのに気が付いた。


 この娘のせいか?

 あまり迷っている暇は無い。

 彼女の意識は既に朦朧としている。暴れられることは無いはずだ。

 沈みかける彼女の体を、二の腕辺りを引っ掴んで引き上げる。抵抗は無かった。

 階段の上までどうにか引き揚げて、兎に角水を吐かせる。顔を上げさせ、喉に指を突っ込んだ。

 頬にうっすら血を滲ませながら水を吐く彼女に、少し可哀想だとは思いつつナイフを向ける。


「何者だ? どうやって入った」


 ゲホゲホと咳き込みながら、重そうに腕が上がる。


「…………まっ……ゆっくり…………聞き取れな……」


 片言と言って良いほど辿々しい話し方だった。

 益々混乱する。俺の方が悪役みたいだ。

 彼女は目の前のナイフを見ても取り乱したりしなかった。それだけの体力が無かったのかもしれないが。

 それどころか手首の紋に興味を示して、あろうことかナイフを持った方の腕に手を伸ばしてきた。


 馬鹿なのか? 計算なのか?

 手を引くと、胸の紋にも気付いたようだ。

 舌打ちをして沐浴着を着込む。

 何だか気を削がれた。

 本当に事故で、誰かに突き落とされたとかかもしれない。

 場所が場所だけにピリピリし過ぎてるのやも……

 洞窟内とはいえ夜はまだ冷える。濡れたままでは自分もまた倒れかねない。


 そういえば、怠さが消えている。

 まだいつもの半分程の時間しか浸かってなかったのに。

 べしゃりと、間抜けな音がした。

 振り返ると、震えながら地面に伏している彼女。

 自分で歩ける状態ではない。


 抱えて来るか? 来られるか? ここは水の中じゃない。

 直接肌に触れないようには出来るとして……

 本人を前にしても、まだ少し躊躇した。

 意を決して力一杯引き上げる。

 ……飛んでいくかと思った。

 子供1人抱き上げたことの無い俺が、成人も近そうな娘をこんなに軽々肩に担ぎ上げられる訳が無い。


「え……おも……い?」


 戸惑う彼女の声に我に返る。

 彼女だけじゃない。自分の体も軽い。

 何だ、これは。何だこれはっ!


 平静を装って彼女に着替えを用意する。自分の分も持ち出して、外で手早く着替える。

 そのままずるずると壁に背中を預けて座り込んだ。

 急に普段以上に力の出るようになった体の違和感の正体を見極めるように、掌をじっと見つめる。

 吐かせるとき紋は反応してなかった。やはり、湖の中――光ったときか?

 不快感は無い。快調とさえ言っていい。ただ、頭痛も怠さも無い体に違和感を感じるだけだ。

 彼女が何者であるにしろ、殺さずに確保しておかなければならないだろう。お嬢なら、そうする。


 彼女は抵抗する様子も無く、しきりにここは何処か尋ねてくる。

 不安げに揺れる瞳と辿々しい言葉が迷子のようだ。

 ここが監獄半島だと聞いて、顔色が変わる。物騒な呼び名だが、今は観光の名所もあるのんびりとした所だ。震えるほど何が――


 ナイフを向けられたときより余程取り乱して、彼女はわからない、と言った。

 この小国を知らなくても、帝国を知らないはずが無い。

 俺も困惑する。記憶が曖昧なのか? 溺れさせかけたのが悪かったのか?

 だんだんこちらに反応を示さなくなる。

 俺は諦めて、隣の仮眠ベッドを整えた。

 今度は横抱きに抱き上げて運ぶ。やはり苦も無く持ち上がった。


 ベッドに下ろそうとすると人の沐浴着の胸元をきゅ、と掴み小動物が親の体温を求めるように、1度顔を擦り付けた。

 一瞬誘ってるのかと思ったが、既に彼女の意識は微睡みの中で、細かく震えていた腕の力もすぐに抜ける。目尻に溜まる涙といい、庇護を求める子供のそれだった。

 昔、山の浅いところで迷子になりかけたことを思い出した。あの不安感は少し解る。


 とは言え、ちょっと無防備過ぎないだろうか。もし、ここが盗賊のねぐらとかだったら――

 たらればを言い始めるときりが無い。

 頭をひとつ振り、汚れた彼女の足を綺麗にし、起きたときの準備まで済ませて、なんで俺が、とはっとした。

 お嬢の世話を焼いていた癖で、うっかり動いてしまった。

 今ではほぼビヒトの仕事となるそれだが、体調の許す限りは細々と言いつけられたものだ。


 今思えば、あれも執事教育の一環だったのかもしれない。

 俺は自分用の毛布を引っ掴むと、ビヒトに侵入者を確保したので帰れない旨を連絡する。もう寝ているだろうが、朝になれば来てくれるだろう。

 それから小屋の外に出てドアに閂を掛け、そこで毛布にくるまった。




 朝イチでお嬢の声を聞くと心臓に悪い。

 自分の体の自由のきかなさに半ば自棄になって、倒れるまで無理をしたばかりだったから、怒られるのは当然と言えば当然なのだが、俺の予定ではここで、ではなかった。

 少しだけビヒトを恨む。

 お嬢の怒りはそのうち、結婚して店を継いで、一人前の奥様然とした態度を求められることへの愚痴となる。


 誰にもどうしようもないことだ。夫のランクィールスが居てくれれば、少し甘やかしてくれるのだろうが、彼は今買い付けで他国だ。

 うちの使用人達は距離は近いが、そういうところで甘やかしてはくれない。

 毒を吐ききった辺りで、控えめなノックとあの~、という気の抜けた声が聞こえた。

 お嬢が化け物とでも出くわしたかのような顔でドアを凝視した。


「……賊?」


 ビヒトになんと聞いたのか分からないが、密偵の類を思い浮かべていたのだろう。気の抜けた少女の声では、そんな顔になるのも肯ける……か?

 閂を外してドアを開けてやる。

 きょとんとした顔が2つ見つめ合っているのは、少し可笑しかった。




 4刻の鐘の頃、昼抜きで館や庭を案内したので小腹が空いていた。

 厨房で明日用にと焼いていたチーズケーキを少し拝借する。

 ユエの部屋に戻ってノックしたが、返事が無い。声を掛けてドアを開けると、ベッドに倒れ込んでいるユエが見えた。

 一瞬死んでいるように見えて焦る。

 ただ寝ていただけだったが。


 朝からお嬢の生贄にされたり、庭の噴水ではしゃいだり、疲れもするか。

 動かすと起きそうだったので、足元に毛布を掛けておくに止めた。

 しばらく起きそうに無いので、本でも持ってくるか、と自分の部屋に戻る。

 ユエの暇つぶしになる軽いものがいいだろう。

 部屋のドアに手を掛けたところで、治療室からお嬢が顔を出した。


「カエル。ユエさんは?」

「はしゃぎすぎて、寝てる」

「あら。やっぱり子供なんじゃない?」


 くすくすと笑いながら手招きされた。


「今日はユエさんに触れた?」

「いや」


 そんなことを言いながら、脱脂綿を渡される。

 いつものことなので、そのまま口に含んで唾液を含ませる。


「今日は結構動いたでしょう? 調子は? 疲れてない?」

「全然。朝と変わりない。体が軽すぎて、空も飛べそうだ」


 金属のトレーに脱脂綿を吐き出して、嘘偽りなく報告する。

 計測器に器用にピンセットでそれを絞り、お嬢はじっと見守る。

 針は半分より右に振れたが、朝よりは真ん中に近い。


「いつもより減りが早いんじゃない?」


 眉間に皺を寄せて、ちらりと睨まれた。


「そりゃ、倍近く動いてるからな。不調ラインにはまだまだだろ?」

「もう! チェックは今まで通り毎日するからね!」


 それからふ、と研究者の笑みを浮かべてお嬢は続ける。


「あと、確認したいから今日中に紋の制御かけないでユエさんに触れてね」

「……それは」

「昨日、吐かせるのに喉に指突っ込んだけど、反応なかったんでしょ? 今日はどうなのか、知りたいの。都合良く寝てるみたいだし、簡単でしょ?」


 それでも逡巡する俺に、彼女は少し意外そうに目を細めた。


「大丈夫よ。昨日の今日であれだけの計測値を出せるのですもの。カエルが少しも彼女に影響はないわ。万が一影響が出ても対処できる程度よ」


 そういうことではない。

 今まで右手でやってきたことを左手で行え、と言われてるようなものだ。


「カエルを治せるかもしれない手掛かりよ。教会に宣誓と加護の確認の為の面会予約も入れたけど、何があっても向こうには渡さないわ」

「ユエの言葉に嘘があっても?」

「犯罪人には、それなりの対処というものがあるじゃない。地下にもはあるわ」


 こういう時のお嬢は怖い。

 そうさせているのが俺だということも、怖い。


「嘘があると思う?」

「判らない」


 今度は悪戯っ子のような顔をする。

 お嬢は、ユエは只の迷子だと思っているんだな。


「嘘がなければ、あなたが誘惑するのよ?」


 爆弾発言だ。

 いつ、何処からそういう結論に至った?!

 声もなく、お嬢を見つめる。


「優しくして、安心を与えて、カエルに夢中にさせるの。大丈夫。彼女、弟がいるらしいの。あなたのことを今は弟と重ねているはずよ」

「弟で……」

「ダメよ」


 全てを言わぬうちに一刀両断される。


「彼女をあなたに縛り付けないと。時間はかかってもいいの。彼女が帰る手段を見つける前ならば。あなたを連れてでなければ何処にも行けないように。それとも抱いてしまう? 子供が出来ればそう簡単に離れられないわ。幸い彼女は健康そのものだったわよ? 残念ながら、処女ではないようだけど……その方がカエルも罪悪感が少なくて済むでしょ」

「……っお嬢!!」


 ふるりと身体が震えた。


「恨まれても、自重しないわ」


 瞳が哀しげに揺れる。


「俺の気持ちは無視か?」

「私の結婚の話が持ち上がったとき、私の気持ちは汲まれたと?」


 その話をされるとぐうの音も出ない。そもそも俺は蚊帳の外だった。


「無視するつもりはないの。努力くらいはして? 今、私とランクが確かに夫婦であるように」

「俺ひとりの問題じゃない。彼女がどう転ぶかまでは判らない」

「だから、転ぶ方向は私が決めるわ。そういう話よ」


 狂気的な話をしているのに、自分の方が傷付いた顔をしている。

 溜息が零れる。


「俺が、どうしても無理だと言ったら?」

「……地下室に繋いで、毎日血でも抜くわ」


 血の気が引いた。お嬢にそこまでさせてはいけない。


「そんなことをするなら、自分の首を掻き切るよ……」

「ダメ!!」


 俺を睨みつける碧色の瞳から、はらはらと涙が零れる。


「お嬢。焦るな。まだ何も分かってない。俺も身体が軽いのは嬉しい。でも、何かを犠牲にしてまで得ていたいものじゃない。今までだってなんとかやって来れた。もう馬鹿なことはしないから、極端なことを考えるのはやめてくれ」


 おそらく、彼女が旦那と上手くやっていくのなら、俺がいなくなっても辛いのは最初だけで、実はその方が彼女も楽になれると思っていたことに気付かれたのだろう。


「……本当に? 無理して倒れたり、黙って家を出て行ったりしない?」

「しない。ちゃんとビヒトに教えてもらって、お嬢を手伝うから」


 想像以上に、今回倒れたことが彼女を追い詰めている。

 さらにユエのことが反動で舞い上がったに違いない。

 おちおち死ぬことも考えられない。別に、俺だって死にたいわけじゃない。

 身体が健康だと気持ちに余裕が出来るというのは本当なんだな、としみじみ思う。

 子供のように涙をぐしぐしと手で拭いて、彼女は笑った。


「でも、ユエさんがイイコだったら、誘惑してね」

「俺が、使用人ともまともに話したことがないと知ってて、まだ言うのか」


 本当に、呆れる。


「あら。給仕の練習をする時、うっとりしている娘は多いのよ?」

「あんなの一日中やってられるか」

「執事になったらやらなきゃいけないじゃない」

「どうせ、お嬢の執事にしかならないだろう?」

「今まではね」


 さっきの言葉で少し安心できたのだろうか。お嬢の表情がちょっと柔らかくなった。


「道が、増えそうですもの」


 ユエが起きたら困るから、と呼びつけた癖にさっさっと追い払われる。

 後はユエの宣誓が無事に終わることを祈るのみだ。

 俺は自分の部屋から爺さんの冒険譚を持って、ユエの眠る部屋へと戻ったのだった。




 ユエは微動だにせず眠っていた。

 ――抱いてしまう? と、お嬢の声がリフレインする。

 出来るわけが無い。

 他人にも、動物にも触れないように生きてきた。今更物陰で逢い引きする使用人達のように、ベタベタとした付き合いなど出来るはずも無い。


 意識して紋の制御をほどき、そっと彼女の手首に触れる。

 紋が刻まれた手首が少し熱を持ち、すぐに引いていく。

 ユエに変化はない。

 ふっ、と自嘲する。

 お嬢のことを何だかんだ言っても、結局俺はユエを利用することになる。ユエがここにいる限り。

 今のでそれが分かってしまう。

 お嬢はユエを手放さない。俺のために。

 ユエは……ユエは、どうしたいんだろう?

 そっと、手を離す。


 帰りたい、とは1度も言っていない。家族のことは覚えているようなのに、そこに帰れない事情があるのだろうか。

 それとも、目の前の事にいっぱいすぎて思い至らないだけだろうか。

 彼女が帰りたいと言ったら、俺は引き留めるだろうか。送り出すだろうか。

 答えの出ない感情の渦を、温くなったお茶とケーキで呑み込む。

 ユエが来て、まだ1日も経っていない。何を考えるのも早急だ。

 普通でいればいい。

 自分に言い聞かせるように、無理やり納得して、俺は何度も読んだ本の頁を捲りはじめた。


 ◇ ◆ ◇


 誰かを呼ぶ声が聞こえた。


「起きたか」


 本から目を上げると、ユエが開ききっていない目を擦りながら起きてきた。

 俺の後ろから本を覗き込み、ぎょっとした声を上げる。


「わたる、それどこの文字? そんなの読めるの?!」


 寝惚けてるのか、弟か誰かと間違われているようだ。


「あれ。髪切った?」


 嫌な予感がして、頭を退ける。

 案の定触る気だったようだ。

 また手が伸びてくる。避ける。

 また。しつこい!

 3度目は立ち上がって避けたが、どうしても触ってやるという気迫を感じる。

 なんでそんな無駄なことに拘るのか。


「え。あれ? 背、伸びた?」


 困惑しながら手を伸ばすのは止めない。

 俺は持っていた本を彼女の顔に押し付けてやった。


「いつまで寝惚けてる」


 こいつの弟は毎回こんなことに付き合ってたのか? 同情を禁じ得ない。

 と、同時に随分気安い関係だったのだなとぼんやり思う。距離が近い。

 普通の姉弟というものはそういうものだろうか。

 いや、そういえばお嬢は時々近い。とても心配したときや……怒ったとき。

 執務室でお嬢はユエとしばらく2人だった。

 何を話したのか――兎に角、ユエを自由に転ばすことが出来ると思ったんだろう。

 この様子を見ると、俺でも簡単に出来る気がするな。

 呆れる。

 ユエのこの危うさは、何かを忘れているからなのだろうか。


 夕日の色に誤魔化しきれない朱のさした顔を見ながら、冷え切ったお茶をカップに注ぐ。

 俺が。俺が自分をしっかり持てばいい。お嬢にも、ユエにも流されてはいけない。

 軽くなるはずのポットの重さが、ずしりと増した気がした――

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