番外編「子守唄の丘」後編
やっと2人きりになって、でも、一応辺りを見渡してから口を開く。
「猊下、気付いてましたね」
「どこに行ったかまでは知らんと思うが。街を見たいと随分駄々を捏ねていたから、半分は本気で嫌がらせだ」
「もう半分は?」
「休みたいなどと、ここしばらく言ったこともなかったから、他の神官たちの目と口を逸らしてくれたんだ。ナトゥラ、あちらの丘に行かないか」
フェエルは向かいの丘を指差す。
「何もないですよ」
「人は来るか?」
「この時期は、あまり」
花の時期は恋人たちがやってきたりもするけれど、雪が少ない土地柄なので余計、見る物もない。
フェエルが襲われた分かれ道を登っていく。
枯れた草叢に、座るのにちょうどいい高さの岩がひとつ。3人くらいは並んで座れる。そこに腰を下ろすと、正面に教会が見えるのだ。
「明るいうちに来てみたかったんだ。店通りの方も見えるんだな」
道は建物の陰になっちゃうけどね。
町の反対の方は川があって、だんだん深い山になっていく。
フェエルと並んで座って、しばらく黙って景色を見ていた。あたしにはもう、見慣れた景色。
「ナトゥラのご両親は、近くにいるのか?」
「ううん。山の向こうの少し大きな町に引っ越しちゃった。父が病院に通わなくちゃいけなくて。死ぬような病気じゃないんですけどね」
「……そうか。お前が歌った、子守唄……ここからの景色を歌ったものみたいだな」
「そうかも。ママが歌ってくれてたの」
フェエルは岩の上に身体を横にして、あたしの膝に頭を乗せた。
「歌ってくれ」
「せっかくのお休み、なんかすることあったんじゃないんですか?」
「いいや。さすがに寝不足だから、寝るつもりだった」
「こんな所で寝たら風邪ひきますよ」
「だから、湯たんぽを連れて来ただろう?」
「誰が湯たんぽですか!」
にやりと笑う顔を見ると、憎めない。
あたしは彼の髪を梳きながら、お望み通り子守唄を歌ってあげた。
鐘1つ分もそこにいただろうか。
本当に寝たのかどうかも判らないフェエルは、あたしが風邪をひくといけないからと起き出した。
立ち上がり、しばしあたしを見下ろす。
冷たい両手が頬に添えられ、すっかり傾いた陽が彼の髪をオレンジ色に燃え上がらせていた。
「あなたがこの先も、健やかで、幸せでありますように」
フェエルの唇が、そっと額に触れる。
その場所に、思わずピクリと反応してしまった。
「『聖滴』のとこじゃない!」
あたしの顔を挟み込んだまま、間近で動きを止めると、彼は片眉を上げた。
「『祝福』を重ねてやったんだ。言っとくが、俺の祝福は受けようと思えば、それなりに高価だぞ?」
「ちょっとずらしてくれればいいのに!」
「……不服と?」
「猊下の指の感触を忘れちゃう!」
「……俺を好きだと言ったよな?」
「愛してるわよ! だから、もう、早く帰って!」
泣いてしまう前に。縋ってしまう前に。
吐き出される溜息が、白く渦巻いてベールのように2人の間に広がっていった。
迷うように頬に触れていた指を、フェエルは瞳を伏せて離していく。
「芯のある女は嫌いじゃない。ナトゥラ、貴重な時間をありがとう」
「フェエル総主教補佐も、お元気で」
初めて会った時のように、スカートを少し持ち上げ、丁寧に挨拶する。
フェエルは総主教補佐の顔で踵を返し、そのまま振り向かずに丘を下りていった。彼が建物の陰に入って見えなくなるまで、その場で見送る。
その後、あたしはちょっとだけ泣いた。
◇ ◆ ◇
春が来て、枯れ草ばかりだった丘に、緑と色とりどりの花が咲き始める頃、あたしは胸のむかつきに辟易していた。
健やかで、なんて言ってたくせに、全然効果ないじゃない!
なんて悪態をつきながら、毎日を過ごす。
食堂で食べるご飯の量も減って、おかみさんが心配そうに声をかけてきた。
「最近食欲ないみたいだけど、調子悪いのかい?」
「最近、ずっと胃がむかむかしてて。寒かったり暖かくなったりしてるから、風邪のひき始めなのかも。でも、食べないともっと気持ち悪くなっちゃうし、ちょっとずつ食べるようにはしてるんだけど……」
「やだよ。元気が取り柄だっていうのに。他に不調はないんだろうね?」
「んー? そういえば、ここのところ、月のものが来てない、かも?」
おかみさんの顔がスッと表情を失くして、それから眉間に深い縦皺を刻んだ。
「ナトゥラ? 妊娠してる訳じゃないよね?」
「まさか」
一瞬、笑い飛ばして、ふと、可能性がないこともないことに気付く。
「心当たりは、ないんだよね?」
「…………ある、かも」
食堂の中が、嘘みたいに静まり返った。おかみさんは口をぱくぱくと金魚みたいに開け閉めしている。
「ど、ど……ど、どこの、どいつだい!!」
「あー。いや、まだ、決まったわけじゃないし」
「何言ってるんだい! おいで!」
そのまま、もう閉めていたお医者様のお家のドアを開けさせて無理矢理検査された。
結果は陽性だったから、そのまま周りはてんやわんや。
両親にはすぐ連絡はつかないし、保護者代わりということになっている主教様の元へそのまま連れていかれて、腕組みするおかみさんと、ちょっと目を白黒させてる主教様に挟まれて質問攻めにあった。
「妊娠? 誰の子か、判っているのですか?」
「えーと、たぶん」
「ここに連れてきて、今すぐ式を挙げちまいな! ほら、誰なんだい? よく誰も気付かなかったもんだよ!」
「式は……無理じゃないかな」
「妻子持ちかい?! 連れてきな! ぶっとばしてやる!」
あたしはふるふると首を振った。
「えっとね。神官なの。あの、だから……」
2人の顔が驚きに固まった。おかみさんが指折り数える。
「……聖水配分の時……」
あたしは頷いた。
「そう。あの、でもね。あたしが一方的にお願いしたの。世間で言われるような、神官の不誠実な行為、とかじゃなくてね。どうしても、好きだったから……」
「じゃあ、せめて知らせないと! 一緒に暮らせなくとも、神官なら相応の養育費は払ってもらえるだろ?」
「いらない」
「ナトゥラ。子供は勝手には育たないんだよ」
「解ってる。大丈夫」
「堕胎する気かい?」
「ううん。産むわ。絶対産む。ちゃんと育てる。そりゃ、周りには迷惑をかけることになるかもだけど……」
じっと口を挟まずに話を聞いていた主教様は、あたしを心配して口うるさくしゃべり続けているおかみさんを、宥めてすかして食堂に帰らせた。自分がちゃんと親代わりとして面倒も見るし、話も聞くからと。
同じ神官職の彼がそう言ったことで、おかみさんは少し溜飲を下げたようだった。
2人っきりになると、主教様は何度か深呼吸して、それからゆっくりと疑問を口に乗せた。
「私が見たところ、ナトゥラが喋りかけていたのはひとりだけだった。そんな風には見えなかったが、本当にあの時来ていた神官の中に相手がいるのかい?」
誰もいないのが解っているのに、あたしは辺りをもう一度確認してから、こっくりと頷いた。
「誰にも言わないから、正解だったら答えておくれ。総主教補佐かい」
主教様も、必要以上に声を潜めている。それがどんなことをもたらすのか、少し怯えてる顔だ。
あたしは祭壇の男神像を見上げた。いきなりそう言うということは、かなりの確信を持っているんだろう。
「誰にも言わないで。彼にも」
「誰にも言わないのは、賛成する。だが……御本人にも?」
しっかりと頷く。
「面倒をかけたくないの。勝手に押し倒したのに、余計な火種になるでしょう? あたし、何も要らないって言ったの。何にも残さないでって。思い出だけで良かったのに、一番嬉しいものをくれた。絶対、大切にする」
「だが、彼は……」
「悩まれるのも、取り上げられるのも嫌。弱みになるのはもっと嫌。黙ってるのが一番いい。あたしにも、彼にも。誰にも気付かれてないって、自信がある。気付くとしたら、彼に一番近い猊下くらい……主教様も、
「……たった3日だ。言われても、いつの間にそんなことになったのか信じられない」
あたしは何度か頷いて、お腹にそっと手を寄せた。
「ね。大丈夫。誰も、気付かないわ。主教様、私と一緒に口を閉じていて。中央から来た神官。嘘じゃないわ。誰かは言わなくていい」
主教様は、酷く長い時間悩まれていたけれど、結局、頷いてくれた。
フェエルの祝福のお陰か、悪阻はそれ以上酷くならずに、冬の訪れを前に元気な男の子が生まれた。
彼の髪から金に光るところを抜いたような、薄茶の髪に薄茶の瞳。地味な見掛けだけしっかり受け継いだみたいで、うっかり笑っちゃった。
あたしはせっせと働いて、毎日歌ってあげる。フェエルにも聴かせた、子守唄を。
◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇ ◇ ◆ ◇
〽小さな 花を あなたに ひとつ
きらきら 星の かがやき ひとつ
ふたごの お山 きそって せのび
さんかく お屋根 鐘の音 ひびく
風の歌で 眠れ
星の歌を 月が つま弾いてる
ゆらり揺られ 眠れ
夢の国の 扉 開けて
幼子の可愛らしい声が響いていた。
歌の内容とは裏腹に、彼は礼拝堂に置かれたベンチに登って降りて、一時も動きを止めなかった。
隣の執務室には、大人が2人。ドアは開け放たれていたが、机の上には防音の魔道具が置かれていた。
「すみません。おとなしくさせましょうか」
「いえ。彼が、噂の子供ですね」
マティス主教は肯定も否定もせず、中央からの監査官の顔を見ていた。
「……どのような噂でしょう」
「中央の、神官の子供だと。母がひとりで育てている」
「何か不都合が?」
「いや。騒ぎ立てるでもなし、穏やかに暮らしているようだ。どこにでもある話ではある。ただ……ナトゥラという娘の、子だと」
監査官は『看破』という加護を持っている。嘘は見抜かれる。
「それが」
「報告を頼まれている。総主教補佐、直々に」
「総主教補佐は、その噂を聞いて?」
「いや。こちらに来るまでは知らなかった。誰の子かご存知ですか?」
訊きながら、監査官はすでに答えを導き出しているような気がしていた。
「中央の、神官の子です」
監査官の眉が顰められる。
「マティス主教。大丈夫です。内密の話になります。彼の信頼があるからこそ、私が来ることになった。この5年、他の誰も様子を見に来なかったのは、それなりの理由があるのです」
「では、お伝えください。ナトゥラとその子は、元気に何不自由なく暮らしています。ご心配なさらずに。必要なら、所帯を持ったと、付け加えて下さい」
「私に虚偽の報告をしろと?」
「『悩まれるのも、取り上げられるのも嫌。弱みになるのはもっと嫌。』総主教補佐にはもう充分よくして頂いています。ナトゥラの気持ちを、汲んでやって下さい」
監査官の視線は机の上の台帳に落とされる。
毎年配られる予算。総主教補佐は、5年前からこちらには金貨1枚だけ多く出していると仰った。ただ、それは自分が個人的に出しているものだから、帳面上どうなっていても追及しないようにと。
こちらの台帳ではこの5年、金貨1枚分だけ特別費として分けてあった。いくらかは使っているが、ほとんどは繰り越されている。
「こちらの出費、何に使いました?」
「1度、彼が流行病にかかりましたので、その薬代と治療費に」
監査官は嘆息する。
「このお金の出所を彼女は知って?」
「いいえ。絶対に言うなと。病気の父親にかかる金を考えたら、何かあっても親には頼れないだろうからと、何かあった時のために、と……彼女には私が貸したことに。返されても困るのですが、どうしようもなく……」
マティス主教も同じような息を吐いた。
それから、じっと監査官を期待を込めた目で見つめる。
重すぎる荷物を一緒に持ってくれと。
「私を巻き込まないでくれ」
「もう、遅いと思われます」
監査官は苦々しい顔をして、もう1度深く息を吐き出した。
面会の申し込みは、最後の鐘が鳴るぎりぎりの時間で通った。
部屋に通されても総主教補佐は書類から目を離さずに、器用に魔道具を発動させる。
「ご苦労だった。聞こう」
「監査は滞りなく。多い1枚分は特別費として繰り越されていました」
総主教補佐は顔を上げずに頷いた。
「……例の件ですが」
それにはちらと視線を上げて、軽く手で促す。
「恙なく暮らしているようです。……子供が生まれていました」
ぴくりと顔を上げて、しばらく監査官の顔をじっと見ると、1度目を伏せ、そうか、と呟いた。
「妙なことを頼んだ。下がっていい」
「総主教補佐、あの」
鳶色の瞳が、もう1度監査官に向けられる。
「あの……予算は、続けられるので?」
「そうだな。出来得る限りは。次の監査までまた5年ほどある。その時に君がいればまた頼もう」
今度こそ、下がれと手を振られて、監査官は部屋を出る。
言えなかった自分を少し恥じた。
総主教補佐は危ない仕事もご自分で動いたりする。彼女達の身の安全と、彼のその立場を思えば、これでいい。だが、ひとりの男としては伝えたかった。彼女はあなたの息子を大切に育てています、と。
こんな誤解させるような言い方ではなく。
ご自分の目で確かめられる機会があれば、一目瞭然だっただろう。
けれど、あの年、『神眼』の加護を持つ幼子を猊下が育てると言い出した。まだ半人前な総主教猊下を支えるだけでなく、およそ子供らしくないその子も、影ながら見守らねばならなかった。今も、とても中央から離れられる状態ではない。
少しずつ信頼のおける者を増やして、手足として使い始めたのも最近だ。
なんだかんだ言いながら、眠る子供を見る目は優しい。きっと、自分の子なら尚更……そう、思うのに。
最善だと分かってはいても胸が痛む。
いつかあの子は父を捜しに来るだろうか。ぎこちない再会を、果たせるのだろうか。
それまで私達には何ができるのだろう。
細い繋がりを断ち切らないように。
子守唄の丘・おわり
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子守唄、せっかく2番まで考えたのでこちらに。タイトルは考えてない。
お好きなイケメンボイスをあてて下さい(笑)
小さな 花を あなたに ひとつ
きらきら 星の かがやき ひとつ
ふたごの お山 きそって せのび
さんかく お屋根 鐘の音 ひびく
風の歌で 眠れ 吾(あ)が子
星の歌を 月が つま弾いてる
ゆらり揺られ 眠れ 吾(あ)が子
夢の国の 扉 開けて
小さな 花の はなびら ひとつ
ふわふわ 風に 運ばれ きえた
野山を 駈ける 小さな お靴
お帰り 良い子よ 鐘の音 ひびく
母の胸で 眠れ 吾(あ)が子
父の腕が 皆を 抱きしめてる
ゆらり揺られ 眠れ 吾(あ)が子
夢の国の 扉 くぐって
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