番外編「あなたと共に」8
「あなた、まさか、一緒に住むだけで満足していないの? そこの彼さえも利用しているだけなの? 正気なの? 命がかかってるというのに……ダメよ! それだけは許さない!」
「何の権利があって言うの!? 誰の許しもいらない。私は自分でその道を開くわ。そのためにここに来たんですもの!」
「私はあなたの母よ? あなたの命を守る権利はあるわ」
「母親面するなら、娘の幸せが何かわかりなさいよ!」
「少なくとも、無意識に娘の命を奪えるものが、娘を幸せにできるとは思わないわ。そんなことになるくらいなら、あなたに憎まれても、私が先に彼を殺してあげる」
似たような顔で、でも、年を重ねた分、声を荒げたテリエルよりも数段凄みが伝わる声だった。脅しじゃない。本気なのだと、多分全員が思ったに違いない。
一瞬だけ怒りに言葉を失ったテリエルを見て、僕は音を立てて立ち上がった。
「テリエル。ちょっと酔っちゃったみたいだ。どこか、外の空気が吸えるところを知らないかい?」
彼女は「何を言ってるんだ」という顔をしたけれど、すぐに意図には気づいてくれたらしい。渋い顔をしながら、「こっちよ」と僕を連れ出してくれた。
そのまま一緒に化粧室まで行って、お化粧を直しておいでと背中を押す。
結局は、似た者母娘なんだろうな。
僕はがちがちに固まった両肩を回して何度か深呼吸すると、部屋に戻るべく踵を返すのだった。
ひとりで戻った僕に、ご両親は意外そうな目を向けてきた。
奥さんも反省の色が見えるので、旦那さんに叱られたに違いない。
「お見苦しいところを……」
頭を下げる彼にいえいえと手を振った。
「あなたはどこまで知っておられるのですか」
「おそらく、だいたいのことは……」
「なるほど。分かっていて、娘のお守り役もしてくれているのですね」
「あなたは、どう思いますか」
旦那さんの言葉に被せるように、奥さんは早口で割り込む。
「あの子が、望むことを……どう……」
「……彼女は、彼を治すために医者になるのだと毎日頑張っています。それは悪いこととは思えないし、もしも、治せるものなら、何の問題もないかな、と。と、いうのも、彼がきちんと自分を律していることは、こうして同じ屋根の下で暮らす僕やみんなが無事でいることからも解ってもらえるのではないかと思うし、実際のところ、彼は月の半分ほども寝込むこともあるんです。彼も彼女も無理なんてできないんですよ。貴女が殺すまでもなく」
奥さんはやや気まずそうにうつむいた。
「とはいえ、僕も彼女の気性に心配が無いわけではないので、時々釘を刺すのを忘れないようにしています。僕は、誰の哀しむ顔も見たくはないので」
「……どうしてみんな、そんなに信じられるの? アレは優しい顔をして近づいて、油断させて命をすするのよ……みんなが騙されていないと、どうして言えるの?」
顔を覆ってしまった奥さんを旦那さんが抱き寄せる。
彼女もカエル君と暮らせばきっと分かるに違いないのだけど。そうするには、きっと問題が多すぎる。
「ビヒトさんがつきっきりですからね。彼がビヒトさんのようになりたいと思っているうちは、全然問題ありませんよ」
「ビヒト……よく聞く名前だけど、私はその方をよく知らないの。何度か、遠目に見ただけ」
「では、言い換えましょう。彼はお嬢さんよりビヒトさんに首ったけですよ。今も、昔も」
ウィンクした僕の言葉に、ヴァルムさんが噴き出した。ほぼ同時にドアが勢いよく開いて、目を吊り上げたテリエルが入ってくる。
「ランク!? ひどい!」
僕としては、かなり彼女の味方をしたつもりだったのだけど、どうやらお気に召さなかったようだ。
テリエルが戻ってきたことで、奥さまの口角が上がるところも見損ねてしまった。
「もう! こんな時間無駄だわ。私、帰る」
そのまままた踵を返して出て行ってしまったので、さすがに僕は焦った。せめて、奥さんから謝罪の言葉のひとつでも引き出したかったのに。
「テリエル! 待って!」
誰も立ち上がらないので、僕はますます焦る。このまま帰してしまっていいのだろうか。みんなの顔をぐるりと見渡すと、ご両親は諦めの表情で、ヴァルムさんはニヤリと笑って軽く手を振った。
「任せる。こっちは気にするな」
旦那さんも小さく頷いたので、一礼してからショールと手荷物を抱えて彼女を追いかける。
ホテルを出る前には追い付けたので、ひどく怒らせている肩にショールをかけてやった。
「ごめん。お母様も余裕がないようだったから、ちょっとした冗談だったんだ。彼女もきっと言い過ぎたって反省しているよ?」
「だから戻れって?」
「ううん。帰るなら、送って行くから。ひとりで行かないで」
振り向いて僕を見上げたテリエルは、一瞬だけ泣きそうな顔をしてから、ぷくっと頬を膨らませた。
「ランクは私の味方だって言ったのに」
「うん。だから、お母様が納得しやすい理由を選んだつもりだったんだけど」
「……わかってるわよ。カエルは真面目だから、お爺様やビヒトの言うことをちゃんと聞いてるし、私みたいには私のことを好きじゃない。だけど、私はもっとカエルと一緒にいたいんだもの。そうちゃんと主張してないと、彼はいつか生きることをやめちゃいそうで……そんなカエルを殺してやるなんて、私のために言ったのだとしても許せない」
「お母様は知らないから。よく知っている君のことを優先するのは仕方がないよ」
「知らないということは、罪にならないということじゃないわ」
「……そうだね。許さなくてもいいけど、お母様は君がカエル君を思うのと同じように、君に生きていてほしいと思ってることは、忘れないで」
ひどく苦しそうにうつむいて、でも、テリエルは小さく頷いてくれた。
萎れていくようなその頭を、昔のように撫でてやる。本当はすっかりこの腕に抱き締めてしまいたいのだけど、僕に許されるのはこのくらいだろう。
人としては少し外れた
どうも僕は普通のものには惹かれないらしい。ひどく難儀なことだと苦笑して、僕は自分の内に膨らんだ想いを諦めと共に受け入れた。
◇ ◆ ◇
認めてしまえば、厄介なんじゃないかと思っていた問題は、実はそうでもないのだと気づくことができた。
どうやら、僕はテリエルに僕だけを見てほしいなどとはこれっぽっちも思っちゃいないということ。帝都からの帰りの船で、暇に任せて彼女を振り向かせる術を色々考えてみたけれど、どうやっても彼女が僕だけを見つめる姿に高揚を感じない。
僕はカエル君を治してまで振り向かせようとする彼女のひたむきさに惚れたのだ。そうであれば、彼女がカエル君を諦めてしまっては意味がないのだろう(たぶん)。
普通の恋愛で一番難しいところを解決しなくていいのは、幸運と言えなくもないかも?
とはいえ、彼女が彼を好きなまま、僕も受け入れてくれるという可能性があるかは、また別の話だ。
ない、とまでは言い切れないと思うけれど、難しいことに変わりはない。
付け入る隙があるとすれば……おそらく、カエル君の体質は治るような類のものではないということだろうか。
テリエルには申し訳ないけれど、あの家でそう信じているのは、彼女一人だけ。
他のライバルなど、彼女の方が目も留めない。つまり、焦る必要は全く無いわけで、僕は彼女にゆっくりと時間をかけて愛情を注げばいいのだ。今までよりも、もう少し甘く。
もう一度くらいは帝都に出て、二人の時間を楽しむのも悪くない。
その間に、ビヒトさんやカエル君にそれとなく根回しをしておこう。我ながら、少々恥ずかしい話ではあるけれど、彼らなら嗤ったりはしないだろう。
のんびりとした計画を立てて悦に入っていた僕だけど、ここに来てから子供たちに関わることで、計画通りに事が運んだことなど無いことをすっかりと失念していた。
「帰ってくるって……え? 帰ってくるんですか?」
村でののんびりとした生活に戻って、テリエルのいない生活が一年になろうとしていた頃だった。
ビヒトさんがやや呆れた表情で告げたことに僕は耳を疑った。
「そのようです。ヴァルム様のことですので、詳しくは仰いませんでしたが、確かに「帰る」と」
「それは、何かしでかして、退学、というような……? それとも一時的に?」
テリエルに限って、とは思うものの、不安になる。
ビヒトさんはゆるく口角を上げて、ゆっくりと左右に首を振った。
「お嬢様のことですので、おそらく何かと理由をつけて全試験を受けてしまったのでしょう。
「そ、そういうものなの?」
「私が知っているのは魔術学校しかないのですが、目標があって優秀な方は、さっさと必要な科目だけとって卒業していましたからね。まあ、あそこは研究方面になると、逆にわざと留年して学校に居続ける方もそれなりにいるのですが……」
「え? ビヒトさん、魔術学校を出てるの?」
「はい。帝都のではありませんが。
どうりで!
魔法が発動できなければ証はもらえない。でも、落ちこぼれなんていうのは嘘だ。陣を描けて付与までできる。いくらでも仕事はありそうなのに。
「それで冒険者は、珍しいんじゃないですか? また、どうして」
「ヴァルム様に出会ってしまったから、でしょうかね? 目先を変えれば、探し物が見つかるかもと思ったのですよ」
ふふと笑うビヒトさんの瞳が懐かしそうに細められる。
「……それで、探し物は見つかったんですか?」
「ええ。おかげさまで」
しっかりと頷く声に嘘も後悔もない。彼が今こうしているのも、ヴァルムさんへの恩とか惰性ではなく、彼自身が選んだ結果なのだろう。不思議な気はするけれど、なんとなく彼を理解できたような気がした。
「それは、良かった。じゃあ、もう冒険者には戻らないつもりなのかな?」
「どうでしょうね? 辞めたつもりはないのですが……必要になれば、やりますよ」
「なるほど」
僕たちは少し笑って、逸れていた話を元に戻した。
「えっと、じゃあ、テリエルは卒業して、医師の免状を持って帰ってくる、んだね?」
「おそらく」
「となると……? え? となると?」
何か問題があるだろうか? 僕の心の準備ができていないくらいで、他に何が?
うまく具体的なことが浮かばない僕に、ビヒトさんは真面目な顔で続ける。
「坊ちゃまを診察する大義名分を手に入れたということですよ。私もできるだけ立ち会おうとは思っていますが、ランクも気をつけて見ていてください。医師と患者のラインを越えないように」
気遣うような視線は、それだけじゃなく、僕ならその微細な違いを見極められるだろうという信頼も含まれているような気がして、少しくすぐったい。
僕が酒の力を借りてようやく二人に告白できたのは、ほんのふた月ほど前だ。船で風に当たりすぎたのか、疲れが出たのか、戻ってきてしばらく熱を出したりして、タイミングを失っていたのだ。ビヒトさんはさすがに病人の扱いに慣れていて、実家にいるときより手厚く看病されたくらいだった。
ともかく、話を聞いても二人は笑わなかったし、むしろヴァルムさんに何か言われたのかと心配されたくらいにして……この二人をもってしてこの反応だと、本人に分からせるのは至難の業なんじゃないかと思い始めてる。
うん。気は長く持とう。
ちなみにヴァルムさんにも伝えておいた方がいいか相談したら、二人とも全力で否定した。「絶対面倒なことになる」って。「いいから放っておけ」と声を揃えられて、血は繋がっていないのに親子のようだと僕はこっそり笑ったのだった。
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