番外編「あなたと共に」2

 夜に声がかかったのも初めてだし、地下へと誘われたのも初めてだった。

 ビヒトさんの表情は特に構えたものではないけれど、何故、今、と警戒心が先に立った。


「……地下、ですか?」

「ええ。ヴァルム様がそろそろまた留守にするから、その前にと」

「地下に何が?」

「酒蔵なんかもあるのですが……遺跡から持ち帰ったものを保管してます」

「あっ! い、行きます! 行きたいです! 行かせてください!」


 あんまり前のめりになったものだから、ビヒトさんは、こらえきれないというように吹き出した。そうして笑うと少し親近感が沸く。


「失礼しました。どうぞ、こちらへ」

「……あの。今日お嬢様が手伝いに来たのも、なにか関係があるんですか?」

「テリエル様が? ……いえ。偶然だと思います。何か失礼なことを言ってませんでしたか?」


 顎に手を当てて、少しの間考えると、ビヒトさんはゆるく頭を振った。


「いえ。特に。ケインは苦手だったようですが……」

「ああ……そうですね。彼もよく働いてくれたんですが。彼女とは合わなかったようですね。子供扱いされると、時々こぼしてましたから。実際、子供なんですけどね」


 二階から離れへの渡り廊下を抜けて、ヴァルムさんの書斎の手前を左に折れる。その先に階段が地下へと伸びていた。

 緊張なのか高揚なのか、胸が高鳴る。


「テリエル様とはやっていけそうですか?」

「あー。なんとか? たぶん」

「それは良かった。カエルレウム様がご迷惑をおかけすることはないと思うのですが、彼女は祖父の血が濃いようなので、私の目が届かないこともしばしばで」

「ふふ。それなら心配要りませんよ。僕、ヴァルムさんとは気が合いますから」

「……それもまた、困りそうですが」


 ビヒトさんの苦笑を見て笑う。

 真面目そうな彼は、ずいぶん振り回されたのかもしれない。

 ぐるりと奥まった部屋の扉を開けると、ヴァルムさんが待っていた。


「おぅ。急に悪ぃな。もっと早く呼んでやろうと思っとったんだが、こないだ辞めた奴は入れたことがないのだから、妙な軋轢になってもいかんと、そいつに言われて」


 太い指はビヒトさんに突きつけられた。


「狭いコミュニティだから、要らない不安要素は増やしたくないんだ! カエルレウムのことだって、妙な病気持ちだとあっという間に広がっただろ? そこへ、外から来た人間を雇うなんて、ますます村との繋がりが薄くなる」

「ここは元々人の入れ替わりが激しいから、そうカリカリするほどのことはねぇよ。定住してくれる人が増えるのは歓迎される。ランクなら問題ねぇ。あんまり村とべったりになんのも避けなきゃなんねぇ」

「……確かに。ケインとも絶妙な距離感で接してくれていたようだし」

「だから、大丈夫だと言っとろう?」

「まったく、その自信はどこから来るんだ」


 ため息をつくビヒトさんに、ヴァルムさんはカカと笑う。

 僕は話の内容よりは、ビヒトさんの変わりように驚いていた。テリエルが「怖い顔」と評していたように、ヴァルムさんの岩のようなごつごつした体の上の顔は厳つい。悪漢を捻り潰したのを見たこともあるけど、一瞬だった。

 その、世間でも有名な彼を前に委縮も遠慮もせず食ってかかれるのは、やはり彼も冒険者だったからなんだろうか。普段の執事の姿とはギャップがありすぎて、ちょっと脳が混乱する。


「ほれ、ランクが目を丸くしとるぞ。繕わんでいいのか?」


 にやにやするヴァルムさんを半眼で睨めつけて、ビヒトさんは言い捨てた。


「別に、隠してるわけじゃない。これは執事の仕事じゃないからな」

「確かに」


 にっと笑って、ヴァルムさんは木箱の積んである部屋の片隅にある机を指差した。


「ランク、見たものを書き写せ。使い道が判りそうなものはその旨書いておけ」

「はい。えっと、見たもの?」


 木箱を開け、中を漁って、ヴァルムさんは何かをビヒトさんに無造作に放った。

 灰白色のレモンを横半分に切ったような形のもの。つるりとした光沢は古代の遺物の特徴だ。貴重な物へのぞんざいな扱いにひやひやする。

 片手で受け止めて、目の前にかざしたビヒトさんの手の中で、それがぽぅっと光を放ったように見えた。


「え!?」


 今までヴァルムさんが持ち込んだものは、装飾品も多かったけれど、そんな風に素材自体が光るなんていうのは見たことがなかった。あたふたしている僕のことはお構いなしに、ビヒトさんは少し眉をひそめた。


「……こいつも、外に出せなそうだな」


 それを僕の目の前に差し出すけれど、手を放そうとはしない。受け取ろうと手を出しかけた僕の指先で、円形の部分から光る魔法陣が浮かび上がった。

 驚きすぎて固まった僕を可笑しそうに笑いながら、冒険者のビヒトさんが執事のビヒトさんの声音で告げる。


「書き写していただけますか? ランクィールス様?」




 いや、もう、勘弁してほしいよね?

 興奮と好奇心を出し切れないままに古代語の魔法陣を書き写させられるんだから。一文字間違えば発動しない類のもの。そのくらいは古物に携わるものとして解ってる。間違えないように、できるだけ早く……

 そりゃあもう一心不乱に写したさ。


「だ、大丈夫です」


 最後にもう一度確認して顔を上げる。

 じっと見守っていたらしいビヒトさんがにこりと笑うと、魔法陣はふっと消え失せた。


「あっ!!」


 どういう原理だかさっぱり分からない。ぽんと渡された物体を縦にして横にして眺めても、ボタンのようなものも無い。無駄と分かりつつ振ってみたりもしたけど、魔法陣はどこにも見えなかった。


「うわ、わからない! ビヒトさん、何したんですか?! これ、何ですか?」

「正確にはその魔法陣をちゃんと解読しないとわからないが、多分、罠かな。埋めて使うタイプの。単純に魔力を流してやれば、浮かんでくるんだ」


 ビヒトさんが手を伸ばして僕の手の中の物体に触れると、円い面に魔法陣が浮かぶ。

 はーっと声と息の中間のようなものが肺の中から出て行った。


「あ。いや、魔力? ビヒトさん、魔力を操れるんですか?」


 訊いてから、ビヒトさんの二つ名は「天災」だったことを思い出す。普段の執事ぶりからは対極にあるような名詞が急に現実味を帯びてきた。


「え。もしかして魔法が使えるんですか!?」


 魔術師なんていうものは、その辺をふらふらしているような職じゃない。国に抱えられ、軍の中枢にあって防衛と攻撃を担う重役ポジションだ。それも、数を減らしているというから、あちこちから声がかかってもおかしくないのでは。


「先走らないでくれ。魔法は使えないんだ。その分、陣は人より使えるというだけで」

「あ! じゃあ、店の護身具は仕入れた物じゃないんですね? 妙に洗練された紋なのに、質が抑えられてる気がしてたんですよ! あれ、わざとなんですか! もっと本腰入れたら、高級品として売れますよ?」


 ビヒトさんは珍しく驚いた顔をして、一度ヴァルムさんに視線を流した。


「な?」


 ヴァルムさんはにやにやしながら短くそう言っただけだったけど、ビヒトさんは小さく肩をすくめた。


「あの話から、そこに飛躍するのはすごいな。紋は陣とは少し系統が違うだろう?」

「どちらも『ことば』で魔素、あるいは魔力を操作するものじゃないですか。その道のプロなら使いこなせてもおかしくないでしょう? どうして『そこそこ』に抑えてるんです?」

「それは……」


 説明しかけて、ビヒトさんは言葉を止め、ニッと笑った。


「そこまで分かったんなら、分かるんじゃないか」

「え……」


 期待されてるのか、試されてるのか、挑戦的な笑みに興奮していた脳がすっと冷めた。


「……客の少ないここでは、売り上げが見込めない? ああ。元々やってくる冒険者の懐もそう豊かじゃないのか。それでも、その良さが解れば、口コミで噂は広がるはずだから……それをメインで売りたくない、んですか」


 ヴァルムさんの口笛が軽やかに響いた。


「ご名答。あまりにも商売にならなければ考えるところだが、今のところは護身具職人になる気はない」

「つまり、儲けよりも優先すべきものがあるんですね」


 それが何かまでは、さすがに今持つ情報だけでははっきりしなかったけれど、ささやかな反撃として僕は大きく頷いた。

 ヴァルムさんとビヒトさんなら、冒険者としてだけでも相当な財を築ける。そこから店を起こす理由。執事に転職する理由。それも、あたかも道楽のように。

 自らの体で精一杯壁になろうとしていたテリエルの姿が瞼に浮かぶ。

 あの少年は、何者だろう?




 行きついた疑問を尋ねる暇は与えられず、いくつかの商品を鑑定してより分けているうちに夜は更けた。

 面白いことに、同じ灰白色の物質でも魔法陣が浮かぶものと浮かばないものがある。店に出せるのは魔法陣のないものか、あっても危険の少ないもの。かなり古い文字だと思うのだが、ビヒトさんはある程度を読み取ってしまう。陣を描き、魔力を込め、発動させて火や水を見せられれば、僕の好奇心は目の前のことに注がれた。


 本当に、ヴァルムさんについてきて良かった。

 誰も見たことのないものに触れられる。一緒に語れる。それが、すごく楽しかった。

 徹夜も辞さないつもりでいたけれど、日付が変わる前には切り上げを宣言された。

 顔に出たのだろうか、ビヒトさんが申し訳なさそうに両手を上げた。


「ギリギリという訳じゃないんだが、魔力を空にするわけにはいかないんだ」

「……あっ」


 魔法陣を浮かび上がらせておくには、魔力を流し続けなければいけない。少量だったとしても、いくつ試した?

 彼は空じゃなければ――つまり動けていれば――いいと言うけど、店の周囲で不審人物の影はいくつか見てる。用心するに越したことはない。防犯のための陣も仕込んであるという話を聞いていても、大好きなものに囲まれて浮かれていたとしても、僕は少しうかつだったと言うほかない。

 

「すみません。そうだ。大丈夫なんですか?」


 魔力も少なくなれば体調に変化が出る。そんな基本的なことも、魔力と縁のない生活をする一般人ぼくたちは、つい忘れがちだ(そうにしたって、彼の魔力量は桁違いなんだと思う)。


「まあ、ヴァルムもいるし、今夜はゆっくり休ませてもらうさ」

「おう。任せとけ」


 威勢のいいヴァルムさんの声に、ビヒトさんは定規で測ったような礼をして見せた。


「では、ヴァルム様、ランクィールス様、一足先に失礼させていただきます」

「む。やめろやめろ。痒くなるわ」


 しかめっ面のヴァルムさんに、意地悪い笑顔を向けるビヒトさん。二人の関係が遠慮のないものだと改めて納得した。


「あ。僕、僕も、ランクでいいです」

「承知いたしました。では、そのように」


 僕に向けられるのはまだ儀礼的な笑顔だけど、少しは信頼してもらえたかな。

 ドアの向こうに消えていくビヒトさんの背中を見ながら、ほぅ、と息が漏れる。ヴァルムさんとは違う方向で、とんでもない人だ。


「驚いたか?」

「はい」


 素直に頷くと、ヴァルムさんもうんうんと頷いた。


「あれはなぁ、手を抜くってことをしねぇから。周りにはそうでもないのに自分に厳しい。時々、手を抜かせてやってくれや」

「え? どうやって? 僕がどうこう言ったところで……」

「そうだな……手のかかる小娘の面倒を一刻(一時間程度)ほど見るだけでも、いいんじゃねーか?」


 ニッカと笑ったヴァルムさんは、今日テリエルが店を手伝ってくれたことを知っているのだろうか。

 なんだか綺麗に騙されたような気分で「はぁ」と間抜けな声が出た。



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