番外編「あなたと共に」1
※お屋敷の甘々夫婦、テリエルとランクィールスの全く甘くない結婚までの軌跡。
ランク視点にしたら長くなりました……
子供がいる。そう聞いていた。
孫のお嬢さんと、家族を亡くして天涯孤独の少年。それから、留守を預かってもらっている友人。
彼の友人だというのだから、それなりのお歳のご隠居を想像して、自分なりにどうやって溶け込んでいこうか、あれこれ考えもしたのだけど。
子供たちの「そいつ誰?」という警戒心剥き出しの視線と、彼の息子と言ってもいいくらいまだ若々しい友人の頭を抱えたそうな表情は、意気揚々と家を出てきた二十歳そこそこの若造の不安を掻き立てるには充分だった。
気を取り直したようにきっちりと笑顔で挨拶をしてくれた執事は、どうみても三十を超えたくらい。子供たちも促して、それぞれと握手を交わした。
紺色の髪の少年は革の手袋をはめていて、ひどく怯えているようにも見える。彼が逃げるように離れると、勝気そうな金髪の美少女が、彼の前に身体を割り込ませるようにして僕の手を握った。碧い瞳が怒っているかのようだけど、唇は弧を描いている。
誕生日が来て十歳だと聞いていたので、その大人びた雰囲気に圧倒されそうになった。
「すみません。ちょっと……ヴァルム」
ビヒト、と名乗った執事さんは、にこにこと笑ってはいたけれど、呼ぶ声にはたっぷり毒が含まれていた。いつもの調子で飄々とついていくヴァルムさんの目が泳いでいるのに気が付いて、いっとき噂になった冒険者の名前が「ビヒト」だったことを思い出す。それなら友人と言うのも頷けるのだが、彼はもう引退してしまったのだろうか。顔を見たことがあるわけでもなし、同じ名なだけかもしれないけれど。
残された子供たちは少女が少年を守るように背にかばっていた。
「カエルが手袋を外さないのは、病気のせいよ。無作法じゃないの」
「え? あ、そうなんだ。気にしてないよ。えっと、お爺さんに聞いてなかったんだね? ごめんね。急に訪ねてきて……」
弟を守る姉の振る舞いに少しほっこりする。うちじゃ、兄さんたちはかばったりしてくれなかったから。弱肉強食。迫力ある見目でもないから、遠くから様子を窺って相手の顔色を見ることに慣れてしまった。
少女は少しだけ警戒を解いてしげしげと僕を観察した。
「まあ……お爺様はいつもあの調子だけど。何をしに来たの?」
「お店を預けてる人が辞めそうだから、よかったら働かないかと言われて……」
「え。そうなの? え?
「うん。住み込みにしてくれるっていうから、お言葉に甘えて……」
少年と少女はそろってぽっかりと目と口を開ける。次の瞬間には身をひるがえして、ヴァルムさんたちが向かった方に駆け出した。
ホールにぽつんと残されて、いたたまれなくなる。
祖父と孫以外は他人同士が住む家だから、もう少し馴染みやすいかと思ったのに、思ったよりも彼らの絆は深そうだ。これは自分の立ち位置をきちんと量らないと、せっかくの職を失くすかもしれない……
手元のトランクにトトンと指先を打ちつけて、今まで想定していたことを一度白紙に戻すことにした。
ほどなく戻ってきたビヒトさんは、軽く謝罪を述べると僕の荷物に手をかけて階段を上り始めた。
「全くお部屋の用意もできておりませんので、しばらくこちらでお待ちください」
「あ、僕やりますよ」
談話室、だろう場所に通されたところでそう言われて、反射的に答える。ビヒトさんはふっと笑うと、いいからどうぞと椅子を勧めた。お茶を淹れてくれて、お茶菓子まで用意してくれる。これは、客人としてしか扱う気がないぞと言われているんだろうか。
「今日のところはお疲れでしょう。バタバタしてしまって申し訳ありませんが、こちらにもお時間をいただけるとありがたいのですが」
「それは、もう……はい」
ヴァルムさんともう少し話す時間をくれってことか。
物腰柔らかでそつのない印象だけど……
一礼して出ていこうとするビヒトさんの背に僕は声をかける。
「あの。あなたは、あのビヒトさんなんですか?」
彼は一呼吸だけ空けて苦笑した。
「どのかは分かりかねますが、恐らくそうでしょうね」
「冒険者はもう引退なさったので?」
「そういうつもりもないのですが……ヴァルム様と付き合っていると、思わぬ道に進まされるのですよ。ランクィールス様もお気をつけください」
綺麗に作った笑顔が彼の苦労を物語っているようで、僕も笑顔を返すくらいしかできなかった。
ヴァルムさんの持ち込む古代の遺物に魅せられて、直接それに関わることができると単純に喜んでここまで来たのだけれど、もしかして、そう簡単な話じゃないのかな。「思わぬ道」なんてそうそうありそうもないのに……
僕は芽生えそうになる不安の種を美味しい紅茶で胃の中に押しやった。
◇ ◆ ◇
僕は客室の一つを与えられ、三食と上手くいけば昼寝付きの好待遇で受け入れられた。
一番喜んでくれたのは店番を任されていたケインで、持て余すばかりの暇のほとんどを喋ることに費やしていた。
おかげで、会ったこともない村人たちの人間関係がおおよそ把握できてしまったのだから恐ろしい。
暇すぎるのが唯一の難点、とはいえ、あまり仕事熱心ではない彼が何故手取りのいいこの仕事を辞めるのか、引っかかるところではあった。
「あー。惜しいとは思ってるんだ。でも、親戚のツテでパエニンスラの仕事を紹介されたら……ほら、嫁さんも都会に住みたがるっていうか……」
ああ、と納得しかけた僕などお構いなしで、彼はさっと辺りを窺って続ける。
「……ほら、体の弱い子がいるだろう? うつるようなもんじゃないって言われても、周りが気にするんだよな。元気にしてる時も不愛想だし、懐こうとしないし……お嬢様は可愛いんだけど、彼女は彼にべったりだしな。庭で見かけて遊んでやろうと手を出したら、ひどく怯えられて、彼女にも怒られて……同じくらいの姉の子は高く抱き上げてやると喜ぶんだけどなぁ。子供には懐かれる方だったから、それもショックなとこあるよ。ビヒトさんや家を空けがちな旦那様は、俺みたいなのにも優しいんだけどなぁ。あんたは一緒に住んでるんだろ? 上手くやってるのか?」
「一緒に、といってもあまり接点はないので。食事の時はまあ、普通ですよ」
病気がちな子の扱いは難しいよな、と取り繕うように締めくくられた話は、なんだか頭の片隅にこびりついてしまった。お嬢様の方は確かに勝気そうではあったけど、少年の方はそんなイメージだっただろうか。人見知りそうだなという印象はある。が、そもそも、雇われている家の子供とも仲良く、というのは田舎ながらの感覚なのか、より利益を手にしたいという欲望なのか。
つい、穿った見方をしてしまいながら、とりあえず「そうですね」と頷いておく。商売人なら、利益を追うのはあながち間違いじゃない。
ひと月ほどを一緒に過ごして、最後に「娼館でもいくか?」と誘われたけれど、話だけでお腹いっぱいになっていたので丁寧に断った。ついて行ったら、次の日には村中に誰と寝たのか知られていそうな気がする。
彼が去り、静かな日々がやってきて、ようやく商品たちとじっくり向き合える時間ができた。
方位磁針のキーホルダー。卵型の文鎮。護りの陣の入った腕輪やチョーカー型の護身具。護身具は冒険者が多い土地柄ということで試験的に置いているということだった。宣伝は足りないが、冷やかしに来る
ここにあるのはレプリカが多いのだけれど、ヴァルムさんは地下にあるという本物を見せてくれると約束してくれていた。今から楽しみで仕方がない。
にまにまと締まらない顔をしながら商品の埃を払っていると、ドアの閉まる音がした。外に続くドアならチャイムが鳴るはず。おや? と店内を見渡すと仏頂面のお嬢様がつかつかと寄ってきた。
執務室に通じる方のドアから入ってきたらしい。
「珍しいですね。どうしました?」
「カエルが寝込んでるから、暇なの。手伝うわ」
「え……えと、ありがとう?」
ケインがいるときは来たことがないのに。
「なぁに? 辞めた人が来るまでは私が店番してたこともあるのよ。あの人の話は面白くないから避けてただけ」
「へぇ……ちなみに、どんな話を?」
「どんな服が似合いそう、とか。美味しい揚げ菓子の屋台の話とか。もっと外に行きたいだろう、とか。機嫌をとりたいのが見え見えでうんざり」
ほうほう。つまり、そういう話では彼女の機嫌はとれないと。
彼女は鳥の毛を束ねたはたきを手にすると、低い棚の商品をさわさわと払った。
「僕を手伝ってくれるということは、少しは認められたのかな?」
「馬鹿ね。判らないから手伝いに来たんじゃない。食事中は無駄話しないイイコちゃんなんですもの」
「はは……手厳しいね」
「お爺様は時々突飛なことをするから。今までは楽しいと思ってきたけど、今回はちょっと心配。カエルのことも知らされないまま来たんでしょう?」
「病気のこと? うん。まあ、そうだけど。身体が弱いとは聞いていたよ」
少女は真剣な瞳で僕を見上げた。
「もしも、帰りたいんだったら言って? 私、船の乗り方は覚えてるから」
これは、何か試されているんだろうか。
ようやく遺物のあれこれに触れられると思っているのに、ここで帰りたいわけがない。
小さく首を傾げて、彼女に視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「お休みが欲しいなら、ちゃんとお爺さんにお願いするよ?」
「お爺様はお顔が怖いから、言い出せないかと思って」
危うく吹き出しそうになったのをどうにかこらえた。
「ああ。心配ないよ。お爺さんとは本当に仲良くさせてもらってたんだ。彼の持ち込む古代の遺物が本当に魅力的で。僕のうちはそこそこ大きな古物商でね。上に兄が二人いる。父もまだぴんぴんしてるし、後継ぎは僕には回ってこない。好きなものの近くで仕事がしたいと思ったから、お爺さんについてきたんだよ」
例えば――と、方位磁針のキーホルダーを手に取って彼女の前に掲げる。
「これはレプリカだけど、本物は大きな魔力を感知して、その方向を指すようになっていたんだって。魔獣を狩るときとか、あるいは旅の途中で襲われないようにとか、考えるとワクワクしない?」
思わず熱弁してしまってから、キョトンとした彼女の顔に少しやりすぎたかと慌てて咳払い一つしてごまかした。どうも、女性陣にはこの手の話は受けが悪いので、あまり口にしないようにしているのだけど、話し始めるとついうっかりは日常茶飯事だ。
立ち上がって掃除の続きを始めると、彼女のぼそりと呟く声が聞こえた。
「……ワクワクする」
ちらりと視線を向けると、そっぽを向いて結んだ口元とは裏腹に、頬がほんのりと染まっていた。
うん。なるほど。お嬢さんも、結構な変わり者だ。
「そう……ランキュ……らんくぃーるしゅ……ああ! もう! あなたはちゃんと商品の説明も、由来も解っているのね」
舌が回らないのか、悔しそうな舌打ちを聞いて、笑いがこぼれる。
「ランクでいいよ。お嬢様。僕をちゃんと呼ぶ人は多くないから」
「あら。じゃあ、私もテリエルでいいわ。お嬢様はガラじゃないの」
視線を合わせて、微笑みあいながら僕らは二度目の握手をした。
彼女の瞳はまだ完全に気を許したものではなかったけれど、第一関門は突破かなと、僕は機嫌よく掃除を続けるのだった。
お嬢様のお許しが出たから、という訳でもないのだろうが、その夜僕はビヒトさんに「地下に行きませんか」と声をかけられた。
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