番外編「子守唄の丘」前編

※ジョットの両親の馴れ初め話。

 ここで書いておかなければいけない気がした。



 あたしの暮らす町には双子の丘があって、その片方に教会が建っている。

 昔は魔道具も今ほど便利じゃなかったから、鐘の音が町中に良く聞こえるように、そこに建てたんだって。

 神様も私達の事、見守りやすいでしょってママは言う。

 子供達が健やかに育つよう、このネブラの町では、新年初めの礼拝には必ず子供を連れていき、『聖滴せいてき』を受けることになっている。額に聖水をつけてもらうのだ。


 今年は、子供どころか大人まで、列をなして教会を囲んでいる。

 教会の向かいの丘からそれを眺めて、あたしは溜息をついた。


「猊下が来るからって、町中の人が並んだら、あたしの順番はいつになるのよ!」


 聖水配分のために、この町に総主教猊下御一行が訪れることを知らされたのは、半年前。

 大きな帝国の、片田舎の教会に猊下自ら足を運ばれるなんて、生きているうちに何度もあるもんじゃない。

 しかも、来るのは総主教職についたばかりの15歳の少女だというのだから、皆の関心が集まるのも無理はないんだけど。

 お小さいうちから、中央神殿の中でお祈りなどに従事していて、成人と同時に外へのお披露目を成された。

 その総主教猊下御自らの『聖滴』を受けられるとなれば、目の色も変わるというもの……

 あたしだって……


「あああ! もう!!」


 赤みの強い茶の髪をがっしがしとかき乱して、あたしは行き場のない怒りを足元の枯れた草叢にぶつけてやった。

 町にゆっくりと入ってきた馬車の窓から、猊下は小さくお手を振りながらお顔を覗かせてくれていた。輝く金髪に、幼さの残るかんばせ。瞳は薄いグレーとブルーとパープルの3色が混じり合い、そこに居られるだけで光を纏っているかのよう。


 去年成人を迎えたあたしとひとつしか歳が違わないから、上手くいけば言葉のひとつでも交わせるかもしれないと、ずっと楽しみにしてたのに。

 「もう子供じゃねぇんだから」と、朝一から機織りの仕事は下っ端に任せられ、その代わり、昼には上がっていい、だなんて親切ごかしもいいところだ。


 どんなに急いだって、朝から並ぶ人の列は昼を過ぎたって減っていない。

 総主教猊下が、せっかく求めてくれるのですからと、天の御使いのような事を仰って(いや、もう、絶対そうだよね!)、特別に希望者全員に与えてくれるようだと、耳にした。でも今から並んだところで、もうきっと今日中には無理だ。

 明日にはお帰りになる予定だから、希望者全員になんて、土台無理な話なのだ。

 動いてはいても、長さの変わらない人の列を暗くなるまで眺めてから、あたしは教会へと足を向けた。


 ◇ ◆ ◇


 教会の灯りは、いつもの倍くらい明るく灯っていた。

 夕餉の時間になるので、並んでいる以外の見物人は家路へとつき始めている。人波に逆らって入口を潜ると、この教会の主教様が少し疲れた顔をして立っていた。


「この後は夕礼拝になります。参加される方は……って、ナトゥラじゃないか。君なら朝から来ると思ってたんだが……何かあったのかい?」

「仕事だったの。せめて、礼拝くらいは参加したくて……この時間なら、少し人も少なくなるかなって……」


 主教様は何もかもわかったような顔で頷いて、おいでと脇から先導してくれた。

 一番前の、一番端だったけど椅子に座らせてくれて、頭をぽんぽんと軽く叩いて行ってしまう。もう成人したっていうのに、赤ちゃんの頃から知っているからか、いつでも子供扱いだ。

 だけど、今日に限っては感謝した。

 ギリギリまで『聖滴』を行う猊下を間近に見て、夕礼拝のために、列に並んんでいた人々に頭を下げ、「また明日」と仰ったのを確かに聞いた。


 地味なおじさん神官が(あ、いや。きっと偉い人なんだろうけど)小さな輪がたくさんついた、猊下の身長よりも長い錫杖を手渡して、礼拝は始まる。

 重さにお倒れになるんじゃないかとハラハラしたけれど、猊下は重さも感じさせずに軽やかに錫杖を扱っていらっしゃった。耳に染み入る涼やかなお声と、シャンシャンと綺麗な錫杖の音は、とてもいつもの礼拝と同じとは思えなかった。紡がれる聖句は、確かに同じものなのだけれど。


 うっとりと猊下の退出までを見送って、あたしは、わらわらと祭壇に群がって片付けをしている神官達の中から主教様を探し出して、駆け寄った。

 聖水の入った聖杯は、埃などが入らないよう蓋をされ、一旦執務室にあつらえた小さな祭壇に下げられる。扉は閉まっていても、夜の間も礼拝堂の入口には鍵がかからない。この町にそんなことをする不届き者はいないと思うけど、余所からでもいくらでも人はやってくる。

 無駄な騒ぎの元はないほうがいい。


「手伝います」


 中央から持ち込まれたものではなく、この教会で用意された、ろうそくや壇上に敷いていた布を手早く纏めて抱える。


「今日はいいんだよ。中央の方にお手伝いしてもらえてるから」

「お手伝いしたいんですっ。猊下が触れたものに触れられるなんて、今だけかも!」


 主教様は笑って、やれやれと肩を竦めた。

 程無く彼等は宿に戻って行ったので、いつものように水を汲んできて祭壇を拭き清め始めると、人のいなくなった礼拝堂に誰かが入ってきた。


「マティス主教。お疲れ様でした」


 ちらりと盗み見たところ、礼拝の時、猊下のお手伝いをしていた男の人だった。

 特に特徴のある顔ではないのだけれど、目の前をいったりきたりされていたので、なんとなく憶えてしまったのだ。

 柔和な顔で主教様に声をかけている。


「猊下が、言ったことには責任を持つ、と仰って……明日も『聖滴』を行っても問題無いだろうか」

「こちらは、願ってもないことですが……大丈夫なのですか?」

「ここが最後の教会ですから。少しばかり滞在が伸びても、なんとかなるでしょう」

「総主教補佐がそう仰るのであれば、いくらでも協力いたします」


 そうしゅきょうほさ?

 なんだかピンと来なかったのだけど、それが「総主教補佐」だと思い当たってから、あたしは思わずその人を振り返っていた。

 その気配に気づいて、向こうもあたしに視線を向ける。

 この、背も高くなくて、人混みに紛れたらすぐ分からなくなりそうな人が、猊下の補佐!? 事実上、ナンバー2?!


「マティス主教……こちら、シスターではないのですか?」


 さっと見分されて、居心地が悪くなる。


「ここは私一人でやってますので、彼女が時々手伝ってくれるのですよ。熱心に通ってくれてましてね。娘みたいなものです。ナトゥラ」


 手招きされて、近づいていいものかとちょっと迷う。でも、行かないのも失礼だよね。

 おずおずと近づいて、挨拶する。

 彼もにこりと柔和な笑顔を浮かべた。


「すっかり片付いてる。私の出番はなさそうですね」

「総主教補佐に、手伝いなど……! 他の方が終わらせてくれました」


 主教様が驚いて口を挟む。


「なに。私の仕事など、雑用ばかりですよ。お家は近いのですか?」

「分かれ道の辺りです」

「では、送って行きましょう。暗い中、女性を一人では帰せません。どうせ私も宿まで戻りますから」


 ちら、と主教様を見ると小さくこくこくと頷いている。

 お言葉に甘えて、もう帰れ、ということだろう。


「では、もう少しお待ちいただけるのですか? お掃除、終わってないので」


 主教様の顔が、笑いながら青褪めた。

 だって、途中にしてたら気持ち悪いじゃない。あたしも、神様も。


「お忙しいでしょうから、先にお帰りになって下さい。大丈夫です。慣れてますから」


 柔和な笑顔のまま、少し首を傾げたその人は、ふむ、と顎に手をやって、その手であたしの持っていた雑巾を取り上げた。


「え? あっ」

「ただ待つのは性に合わないので、さっさと終わらせましょう」

「総主教補佐!?」


 軽く腕をまくり、バケツに雑巾を突っ込む姿に、主教様が慌てている。

 あたしも慌ててもう1枚雑巾を取りに走った。

 あの猊下を補佐するくらいなのだから、この人も人間が出来てるんだ。自分が朝礼拝に出たくて仕事を押し付けた、機織り頭とは全然違う!

 こういう人もいるのだと、大人への認識を少しだけ修正して、あたしは鼻歌を歌いながら祭壇を磨き上げたのだった。




 結局、町の食堂まで総主教補佐に送ってもらった。

 帰りは大丈夫なのかと心配してくれたけど、食堂には誰か彼かいるだろうから問題無い。

 総主教補佐のお陰でむしゃくしゃしてた気分が少し良くなった。お礼を言って別れる。もうこんな機会はないんだろうなって、貴重な体験を噛みしめた。


 おかみさんの美味しいご飯を食べて、近所の酔っ払いを送り届けて、下宿の部屋に戻る。

 寒いけど、2階の自室から窓を開けて外を見下ろしていた。きんと冷えた空気が猊下の姿を思い起こさせる。

 素敵だったなぁ……

 溜息が白く渦巻いて、空へと上っていった。


 同じようにゆるくうねりがあっても、あのプラチナブロンドは細くて柔らかくていい匂いがしそうだった。

 雨のたびにぶわっと広がるこの髪とは大違い。お陰でいつも纏めていなくちゃ落ち着かない。

 もう寝るだけだからと解いていた赤茶の髪をひとつまみ摘まみ上げて、その視線の先に人影を見つけた。


 毛先から、人影に焦点を合わせる。分かれ道にある灯石あかりいしに照らされて、その人が黒い神官服を着ていることが分かった。

 こんな時間に?

 6刻の鐘は鳴り終わっている。飲みに出ていた人も帰る時間、ましてやその人物のいく方向には真っ暗な丘しかない。カンテラは持っているようだが、そちらの丘には何もないので、わざわざ夜に行くような場所ではなかった。

 教会に行くつもりで道を間違えているのかと、目で追っていく。


 その人物が灯石の光の届く範囲から、暗闇の中へ足を踏み出した時、その闇が蠢いた気がした。

 ガッと鈍い音がして、押し殺した声と争う気配。

 それがしばらく続いたあと静かになると、光の端に蹲る神官の足が見えた。

 これはなんだかまずいのでは、と上着を羽織って、急いで降りていく。


 バタバタと駆け寄って、神官服に手を伸ばしたところで、その手を掴まれてってなった。

 ふわって浮いて、ぐるん。

 地面に背中を押しつけられて、お腹に何かを乗せられ、息を詰まらせてるうちに、喉元に冷やりとしたものが当てられる。


「ひゃっ?!」


 思わず上がった声が良かったのか、お腹の上のものが少し軽くなった。


「……お前……!?」


 ちっと舌打ちがして、重さが消え、ぐいと引き起こされた。

 膝を立てた状態で座り込む体勢になって、軽く咳込みながら周りを見回してみる。2人の人物が倒れていた。黒い服の人は傍で片膝をついて蹲っている。


「……だ、大丈夫ですか? 襲われたように見えたので……様子を見に来たんですけど」

「……面倒な」


 心底嫌そうな声を出されて、心配するんじゃなかったかなとちょっとムッとした。

 顔を見てやろうと、その神官の方に身を乗り出す。


「……あ、れ? 総主教、補佐?」


 出会った時の柔和な顔が嘘のように眉間に皺を刻んでいる。

 もう一度倒れている人達を振り返る。ピクリとも動かない。

 視線を戻すと、総主教補佐の手にはナイフ。

 その手を口元に当てながら、あたしを値踏みするように眺める様子に、背筋にぞくりとしたものが走った。


 怖かったんじゃないの。反対。

 地味で目立たなく、柔和な顔を彼の裏の顔に、身体の奥で火が点いた。

 猊下のお傍にいる人は、こうでなくちゃ! って。

 そろりと顔を寄せる彼に、胸がトーンを上げる。


「あなたは何も見なかった。おとなしくお家にお帰り――」

「抱いて下さい!!」

「――……は?」


 低く、冷ややかに囁かれる声に、我慢出来なかった。がばりと抱き着くと、彼が動揺して身体を離そうとするのが解る。

 火が点いてしまった気持ちはどうせ治まらない。

 彼がこの町にいるのは、あとどれくらい?

 どうすれば、その気になってくれる?


は酔っぱらって口論になって、もみ合ってるうちに不幸なことになったんです。総主教補佐は、あたしにを下さってました。だから、ください」


 真剣に見上げると、鳶色の瞳が言葉の裏を見定めようと細められた。


「……隠蔽に手を貸すと? そんなことをしなくとも、黙って家に帰ればいい。正当防衛だ。このまま衛兵に知らせてお終い。綺麗な手を汚すことはない」

「本当に正当防衛になりますか?」

「なるとも」


 ふっと口元だけで自信たっぷりに浮かべた笑みに、胸がきゅっと音を立てた。

 教会で見せていた柔和な笑みの何倍も素敵だ。


「では、行きましょう。あたしも証言します。ですから、ご褒美に、どうかあなたをください」


 総主教補佐は訝しげに眉を寄せる。


「何故急に。何が欲しいんだ? 正当防衛とは言っても、人2人に手をかけた、若くもない俺に求めるのは、金か? 贅沢な暮らしのできる愛妾の座が欲しいのか?」


 神官は結婚出来ない。こっそりと、その真似事をする者達の妻の座を、愛妾と呼んで見逃してはいるけれど。

 法的には何の縛りもないものだ。必然、その椅子は脆い。

 あたしはしっかりと首を振る。そんなものはいらない。


「何も要りません。ただ、今、あなたに恋に落ちました。だから、この町にいる間……ううん。今夜だけでもいい。どうか傍にいて、一夜の慰めをください」


 彼は、訳が分からない、という顔で、しばらく呆然とあたしを見下ろしていた。




******************

朝礼拝=1刻=朝6時頃

夕礼拝=5刻=夜6時頃

3刻=お昼頃

鐘1つ分=1時間くらい

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