番外編「飲んで呑まれて」4
ビヒトさんは鬼コーチだった。
時間がないと言ってるのに、腕の角度ひとつにもなかなかOKがでない。にこりと笑ったまま、剣の先で肘や手首をちょいと直されて、心臓に悪い。
演舞くらいならばと安請け合いした自分を叱り飛ばしたくなった。
時間ぎりぎりまで仕込まれて、急いで着替えさせられる。カエル君と同じような、こちらは赤系の衣装だった。腰から下の衣装が細長い布をいくつも重ねたようになっていて、動くと舞い上がる。何度もある回転の動きに映える衣装なんだろう。
舞台用の化粧も施されたけど、鏡が無いので自分じゃ分からない。
カエル君がいつもの倍くらい派手な顔をしてるので、僕もそうに違いない。ちょっと不安だ。
「『
本物って、ドコで見たんですか。
ガルダ君はそこで興味深そうに見てますけど!
突っ込んではいけない気がして、僕は型のおさらいなどしておく。
「オマエが、俺?」
「え? うわ。えと、ごめん、なさい?」
ひょいと覗かれて、びっくりしてのけ反る。
「ガルダは決められた型を覚えるのは嫌だって言ったじゃない。ジョットさんに文句つけないでよ?」
「文句なんてつけてない。ちゃんと、カッコよくやれ」
「が、ガンバリマス」
本物以上にはできません! って、ちょっと涙目になって、ふと、思った。本物?
少しだけ観察する。ああそうか。これ以上はない見本だ。立ち方ひとつ、視線の動き。
ガルダ君は僕が見ていることに気付くと、にやりと笑って軽やかに飛び上がった。くるりと1回転する。短い厚手のジャケットに、スリムな黒のパンツは、ひらめく布なんてどこにもないのに、彼の周囲で炎が揺らめいている気がする。
「カッコよくやれ」
足は広めに、つま先は少し外側。それから、肩を開いて、顎を上げる。
「できるだけ」
ガルダ君はフンって鼻で笑った。
舞台の真ん中で、カエル君と背中合わせに位置取る。
演者が違うことに気付いた観客が、少しざわめいている。
うぅ。緊張してきた。
ああ、だめだ。ガルダ君は顔を下げない。
演奏が始まると、僕は音楽に集中した。自分の中にガルダ君を取り込んでいく。
彼もそんなに大きくない。僕と同じか、小さいくらいのはずだ。それが時々大きく見えるのは、自信に満ちた表情と迷いない大きな動きから。
足を踏み出す。心持ち、大股で。
緩やかな舞の後、僕らは相対する。睨み合いの間に、僕は
剣を抜く。お互いの位置を入れ替えながら、片手で、時には両手でそれを回す。
舞用の剣は、片刃の少し湾曲したものだ。
くるりと回って、一合。
逆に回って、もう一合。
舞は後半になるにしたがって、スピードも増す。剣の重さに振り回されないように、でもその速さを殺さないように。
頭上に掲げる剣の角度、ビヒトさんに直された感覚が解る。
カエル君の
炎に囲まれても、燃えることなく、熱く滾って反撃となる。
笑う。笑う。
ナーガの冷やりとした表情とは対照的に。
瞳を燃やす。
ガルダは、闘いを楽しんでいる。
最後の討ち合い、打ち合わせよりも高く飛び上がった。かなり上からナーガを打ち据えることになる。
あ、と思った時には遅くて、でも、カエル君は咄嗟に合わせてくれた。
ゆるゆると舞を緩めて、正面を向いて伏せていく。
最後の一音がびぃんと響いた後、どっと空気が揺れた。
何事かと顔を上げて、総立ちの観客に呆気にとられる。
反対側で同じように伏せているはずのカエル君を振り返ると、彼も戸惑ったようにこちらを振り返った。
えぇっと……こういう時は……
とりあえず立ち上がって、カエル君と並び、四方に頭を下げた。
後はとんずらするに限る!
そそくさとテントに引っ込もうと足を速めていたら、後ろからカエル君の含み笑いが聞こえてきた。
「ジョット、ガルダみたいだった」
「あー。ごめん。ちょっと、調子に乗りすぎた。最後も、合わせてくれてありがとう」
「いや。あれくらいの方がらしくて良かった。役者になれるんじゃないか」
「見本が目の前にいたからね。所詮、猿真似だよ。ビヒトさんの教え方が上手かったし。でも、褒めてくれてありがとう。ほっとした」
テントで衣装を脱いで、顔を洗っていると、やってきた村長さんや、ユエちゃんや、ビヒトさんに、お褒めの言葉を頂いた。
次の出番で控えていた『鬼神』にも背中をバンバン叩かれながら、良かったぞと声をかけてもらえたし。
気になるのは、ガルダ君の反応だけど……
テントの入口近くで、そわそわと次の2人が打ち合わせしているのを見ていた彼は、僕がそこに近付くとちらりと視線を寄越して「まあまあだな」って言った。
うん。きっと、これ以上の褒め言葉は出てこないよね。
「ありがとう」
上着を腕にかけたまま、マフラーだけ巻いて、垂れ幕に手をかける。
「あれ? ジョットさん、どこ行くの? 一緒に模擬戦見ようよ」
「今、ユエちゃんたちと一緒に出たら、面倒なことになりそう。ヴィヴィちゃんに奢る約束もしてるから、彼女探しに行くよ。また後で行けたら行くね」
「あっ。そうだ。いつの間にヴィヴィと仲良くなったの? その話も聞きたいんだけど!」
「いい金づるだと思われてる気しかしないよ」
「えー」
苦笑しながら、口を尖らせるユエちゃんに手を振って、僕はそっとテントを抜け出した。
何だか人垣が出来ているけど、手伝いの振りをして顔を伏せて抜けていく。化粧を落としてしまったから、よく知らない人なら多分バレないと思うんだよね。
案の定、訝しんでも確証を持てないのか、誰にも捕まらずに人垣を抜けることが出来た。
……ちょっと、寂しい。
人の少ない辺りでコートに袖を通していたら、その腕をぐいと引かれた。
「ジョット、さん?」
「え? うん。あ。良かった。今、探しに行くとこだった」
顔を向けると、ヴィヴィちゃんだった。あの人垣の中にいたのだろうか。
じぃっと見る瞳の中に、困惑が湧いてきて、彼女は少し首を傾げた。
「え? 探しに? 私を?」
「うん。会えたら奢るって約束だったから」
「奢るために探すんですか?」
「ん? あれ? 自分で探すこともない? んー。まあ、いいじゃない。会うつもりだったし。今日はいつもとは違う感じの服なんだね。そういうのも似合ってる」
ちょっと言葉に詰まって、ヴィヴィちゃんはほんのりと頬を染め、下を向いた。
いつもは裁縫をするからか、手元はすっきりしたものを着ているのだが、今日は袖の広いワンピースにフードのついたマントを着ている。スカートが膝丈で、編み上げリボンをあしらった細身のズボンを穿いていて、ユエちゃんがたまに着ているものに似ていた。
「い、今、そういう風に言うの、狡いです」
ん? と首を傾げる。
「……さっきの、赤い方、ジョットさんですよね? すごい、びっくりした」
「あー。判った? 誰も気づかないから、随分派手に化粧されてたんでしょ? 自分じゃ見てないんだけどさ」
「化粧っていうか……」
腕を掴んでいた手が、コート部分を摘まんで指先でもじもじと捏ねはじめる。
「まだ、誰も気付いてないんですね?」
「え? うん。多分。予定外の参加だったし。よく知ってる人たちは気付いてるかもだけど」
「ジョットさん、いつかは大都市に事務所を構えたいんですよね?」
「え? う、うん」
いきなり話が飛んで、軽く混乱する。
「自分とは別の仕事を、一生続けたいという女性をどう思いますか」
「え? ……別に、いいんじゃない? 母もずっと働いてるし、好きな事してる方が生き生きするよね」
ぱっと顔を上げたヴィヴィちゃんは、挑むような目つきをしていて、なんだか怯んでしまう。
「私も、いつか大都市に自分の店を持ちたいんです」
「う、うん」
「人脈があって、将来の方向性が似ていて、真面目に稼いでる。ちょっと地味で、そのくせ軽くて頼りなさげだけど、その程度なら許容範囲かなって思ってました」
あんまり褒められてる気はしないけど、方向性としてはもしかして、もしかする話?
その時、会場がざわついた。舞台の中央に進み出た人物は背の高い、銀髪の男性だった。
ヴィヴィちゃんも彼を認めたのを確認してから、彼を指差して聞く。
「君、ルーメン主教がタイプなんじゃないの?」
「ジョットさんはもっと大人っぽい色気のある人が好みですよね。でも、ユエちゃんを好きだった」
色々確定事項として言われて、冷や汗が出てくる。
「いや、ほら。理想と現実は違うし……」
「ですよね。神官は所帯を持つことも出来ません。
ルーメン主教が屈んで何かを設置して、舞台を下りる。すぐに剣を担いだお爺さんと、執事服じゃなく、もっと動きやすい格好をしたビヒトさんが代わりに舞台に立った。2人は周囲に一礼すると、一応、風壁は張るが、気を付けて見るようにと断りを入れ、ビヒトさんんが主教の設置した物を蹴りつけるようにして作動させた。
客席ぎりぎりは風が強いのか、全体的に見物人は後退する。
この場も風向きが少し変わった。
「あの……ヴィヴィちゃん? 僕、これ、見たいんだよね。何か買って……悪いんだけど、話は後に……」
ふるふると首を振られて、ヴィヴィちゃんは僕の腕にしがみつくようにした。
「いいですよ。見ましょう。でも、駄目です。さっきのあれを見ちゃったら、悠長な事言ってられません。他の人が、あなたの価値に気付く前に、私が予約します」
「予約?」
掴まれた腕にぶら下がるかのように力を入れて、彼女は背伸びをすると僕の頬に唇を押し当てた。
「今日はもう離しません。そして、来年はジョットさんから誘わせてみせます」
言葉を失くして、ちょっと舞台から視線を外した間に模擬戦は始まったようで、いきなり空気がびりびりと震えた。
思わずヴィヴィちゃんを庇うように抱き寄せて、舞台に背を向ける。
はっと気づくと、満足そうな笑顔で彼女は僕の背に腕を回した。
「覚悟して下さい。逃がしませんから」
少しだけ途方に暮れる。追いかけたことはあっても、こんな風に求められたことはなかった。
それも、純粋な恋心とはちょっと違うだろうということは、言葉の端々から感じられるし。
周囲の冷やかしの視線の中、どうにか彼女を座らせ、自分は立ったまま現実逃避するように、模擬戦を観戦する。
繋がれた手が不快というわけではなかった。
視線を向けた舞台の上では打ち合いが始まっていて、お互い、どうしてまともに攻撃が当たらないのか不思議だ。
ビヒトさんは体術も交えてフェイントや死角からの攻撃を仕掛けている。対してお爺さんは圧倒的パワーでそれを迎え入れて、ある時はどうしてそちらに動くのか判らないタイミングで攻撃を避ける。野生の勘、なんだろうか。
軽やかに見える打ち合いは、剣が合うごとにびりびりと辺りを震わせ、2人が本気を出したら、風の壁なんて何の意味もないのだと身体が知る。
めまぐるしく位置を変え、打ち合い、払い、宙を舞い、そんな攻防がいつまで続くのかと、拳に力を入れたまま声も失くしていく観衆。
やがて、ビヒトさんの持つ剣がうっすらと光を纏った。
空は夕景で、手元は薄暗くなり始めている。だから、それは誰もが気付いたことだった。
光は段々明るくなって、ある時からパリっと刀身に薄紫の光が走る。
もちろん、その間、お爺さんが黙って見ていることはない。彼からの攻撃を避けながら、小さな隙には蹴りや肘を当てに行き、ビヒトさんはタイミングを計っていた。
2人が一度距離をとった時、刀身には薄紫の細い光がいくつも絡みつくまでになっていた。静まり返った会場に、パリパリと何かが弾けるような音が小さく聞こえている。
ビヒトさんは右足を前に、自分の左腰の辺りに剣を据え、抜刀する時のような構えを取った。お爺さんは黙って正眼に剣を置く。
数秒の静寂の後、ビヒトさんがおもむろに剣を薙いだ。
刀身に纏われていた光がそこから離れ、真直ぐにお爺さんに向かっていく。
観衆が息を呑んで、小さな悲鳴も上がる。僕の繋がれた手にも力が入った。
お爺さんは黙ってその光を下から払い上げた。瞬きする間もない素早い動きだった。
光は剣に弾かれたように真直ぐに空に登っていき、風の檻などものともせずに、黒いシルエットになった雲に突っ込むと、パッと一瞬だけ昼のような明かるさが戻ってきた。一拍置いて、ドン、と音がして、雷が雲の底を這うように、薄紫の光が八方に散っていった。
声もない。
視線を戻すと、ビヒトさんは刀身の砕け散った、剣だった物を持ったまま、お爺さんに肩を竦めている。
「……すごい」
掠れた声をようやく出すと、続けて周囲も音を思い出したかのように、総立ちで拳を突き上げて、地を揺らすような声を上げていた。
「ビヒトさんて、凄い人だったんですね」
ヴィヴィちゃんの手が少し震えていて、僕はもう一方の手でそれを宥めるように撫でて、観衆がまだ舞台に注目しているうちに、彼女を立つよう促した。
「今のうち。さあ、何が食べたい? 喉が渇いちゃったかな」
ヴィヴィちゃんはちょっと驚いた顔をして、でも黙って立ち上がる。
「……覚悟、決めましたか?」
「まあね。まあ……ゆっくり、ね」
苦笑すると、彼女は僕の手を引いて足を速めた。
「じゃあ、何か買って、ジョットさんのお家まで帰りましょう」
「へ?! え、ちょっと、違う違う。ゆっくり! ゆーーーっくり!」
さすがの僕でも、ここで既成事実を作ってはいけない気がする。
不満気な彼女の手を引き留め、巻いていたマフラーをほどいて、彼女に巻いてやる。
「次の休みは? そこからデショ。お酒がいい? 温かいお茶? 飲みながら、約束を決めよう?」
妥協すべきか悩む顔を見て、こういうのもアリかもしれないと思える自分も大概だなぁって思う。
父も、こんな気持ちだったんだろうか。
だったら、きっと、そんなに悪くはなかったんだ。
近いうちに、一度帰ろう。
夢うつつで聞いた名が、母の知るそれと同じなのか、確かめる為に。
飲んで呑まれて・おわり
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