番外編「飲んで呑まれて」3
誰かにぎこちなく抱締められる夢を見た後は、心地良い眠りに浸っていた。
結構量を飲んだ気がするのに、目覚めても二日酔いじゃなかったのは、いい酒だったからだろうか。それとも、子守唄のお陰?
干していた服はまだ湿っていたので、とりあえず寝乱れた服を整えて、礼拝堂まで行ってみた。
まだ朝の鐘が鳴る前だと言うのに、ルーメン主教は皺ひとつない衣装で祭壇を整えていた。
「おはようございます。よく眠れましたか?」
「……おかげさまで。結局、僕、寝ちゃったんですね」
「思っているより、アルコールが回ったのでしょう。お帰りになりますか? それとも、折角ですので、その格好のまま礼拝に参加していかれますか?」
今日は休息日だ。仕事はやらなくてもいい。
今までだったら、もう帰るところだろうな。
でも、もう一度、ちゃんとルーメン主教の礼拝を見てみたいと思った。
僕にそう思わせるんだから、凄いよね。この人は。
「参加していこうかな」
ルーメン主教はいつものように微笑んだまま、頷いた。
「では、アトリウムの入口を開けてきてもらえますか。その後はこちらで少し手伝って下さい」
神官服でぼぅっと突っ立ってる訳にもいかないってことだろう。
僕は頷いて、背筋を伸ばして踵を返した。
1刻の鐘と同時に始まる礼拝には、早い時間にもかかわらず人が入っていて、席の8割方は埋まっていた。
信心深い人ほど、あの礼拝に何度も来たくなるに違いない。
余韻に浸って少しふわふわしながら片付けを手伝って、それまで閉じていた口をここぞとばかりに開放する。
「2刻にもやると、大変じゃないです?」
人が入る礼拝は、教典を朗読したり説教したりする時間も取られる。聖句や祝詞を唱えて祈りを捧げるだけの、昨日のものとは少し違う。
「総主教は日に4度礼拝をしますよ。錫杖も身の丈ほどはありますからね。それに比べれば、何ということもありません」
「そ、そうなんですね」
やっぱり、基準が違うんだなと、肩を竦める。
「お手伝い、ありがとうございました。お休みなのでしょう? 記念に衣装は差し上げますよ。近いうちにお母様に見せてあげてください。家を出てから何度帰りましたか?」
「え。いただいて大丈夫ですか? っていうか、だから、母には……!」
「見せてあげてください。大丈夫ですよ。無理は、言われません」
ルーメン主教はこちらを見ずにそう言う。
確かに成人と共に飛び出して、1度も帰ってない。
むずむずと、腹の中で動く物が気持ち悪くて、言わずにいようと思っていたことが口を突く。
「……僕は、誰かに、似てますか」
しばらく押し黙っていたルーメン主教は、小さく息を吐くと、やはりこちらを見ずに静かに答えた。
「――……はい。そうした後ろ姿は見紛うほど。でも、恐らく気付く方は多くありません」
「聞いたら、教えてくれますか」
「お父様の話を聞きたいのならば、お母様に。私の知る人と、お母様の知る人はきっと違いますから」
「ひとりの、男の話を聞きたければ?」
主教はようやくこちらを見た。緊張感はある。でも、もう恐れはない。僕も黙って主教を見返していた。
「……そうですね。お酒でも飲んで、口が滑りやすくなれば……あるいは」
「わかりました。聞きたくなったら、挑戦します」
ルーメン主教はいつもの微笑みを浮かべて、片付けを再開した。
僕だって気付いてる。主教が敬称をつけずに呼ぶのは2人だけ。もしかしたら、カエル君のことは呼び捨てたいのかもしれない。でも、彼が嫌がるだろう。
昨夜、彼が口に乗せた名には敬称が付いていなかった。
それは、気になるじゃないか。
酒場での事件の時、1度だけ僕も呼び捨てられた。びっくりして、むず痒くてよく覚えてる。でも、それきりだったから、よっぽど気が動転して口が滑っただけなのかと思ってたけど、違うのかもしれない。ただの使える駒、都合のいい配役を当てられたんじゃないのかも。
そうやって、解り難い情をかけて、慣れない癖にそっと見守ろうと思えるほど、父は彼に近かったのか。どんな縁があるのか。
すぐには口を割ってくれそうにないから、長期戦だろうな。
冷やりとした空気に刺すような日差しが降り注ぐ中を、アパートへと足を向ける。立ち寄った市場の親父が僕だと気付くと、その格好を見て、げらげらと笑った。
◇ ◆ ◇
季節は移り、祭りの季節。
いつ新しいコートを下ろそうかと、眺めてはやめる日々。結局着慣れたジャケットを手にしちゃうんだよね。
その後、特に変わったことはない。
代書の仕事をして、手紙を運ぶ仕事をして。そこそこ忙しくしている間に山の葉が色づいて来ていた。
「ジョットさん、お祭り行かないんですか?」
「え? なんで?」
ヴィヴィちゃんが、仕事してる手元を覗き込みながら、聞いた。
「新しい服、買いに来てくれないので」
「……行くつもりではいたけど……服を新調するほどではないかな」
「一緒に行く人がいないと」
口元に人差し指を当てて、軽く首を傾げながら、なかなか辛辣なことを言う。聞こえないふりをしていたら、ちょっと拗ねた声を出された。
「コートも、着てくれてないですよね!」
「そっちは、なんかきっかけがなくて。それこそ祭りにでも着ていくよ」
「ひとりでですか?」
「会場に行けば、いくらでも知り合いはいるし」
強がって笑ってみたら、なんだか小さく溜息をつかれた。
「……主教様は行かれるのかしら」
「どうだろうね。あまり人の多い場所に自分から出る人ではないから。誘ったら、断られないとは思うよ」
ヴィヴィちゃんはびっくり顔で僕のことを見ていた。
「ジョットさんて……」
「え?」
「……いえ。じゃあ、当日会場で会えますね」
「そうだね。会えたら、何か奢るよ」
「じゃあ、張り切って探します」
そのまま、彼女は踵を返した。
「あれ? ルーメン主教に会っていかないの?」
「今日は帰ります。ジョットさんも、気が向いたらお店に来てくださいね」
「あー。わかった。後で顔出すよ。もう」
飲み代を少し節約すれば、小物くらい買えるかな。
結局、僕はその日、ヴィヴィちゃんに見立ててもらって、マフラーを1本手に入れたのだった。
収穫祭の会場は村の入口近くの、収穫が終わった畑だ。
村中の人間が集まってるし、今年は観光客も多いんじゃないかな。いっそ、売る側として参加した方がいいんじゃないかと思い始める。
ボタンの無い白いシャツに黒のベスト、前が編み上げになってるやつ。ベージュのズボンの裾はブーツの中に入れてしまってから、赤茶のコートを手に取って、もう1度繁々と眺めてみる。
少し細身でシンプルだけど、着るとシルエットがとても綺麗だ。襟から前立て、袖口には同色の糸で葉や花を連ねたような刺繍が施してあった。目立たないんだけど、光の加減ででる影が気に入ってる。
裏の部分には少し多めにポケットをつけてもらった。カエル君じゃないけど、仕事道具とナイフぐらい忍ばせておけるといいかなって。
僕にはちょっと派手かなと思わないでもないけど、色々意見を聞きながら選ぶのは楽しかったから、出費は痛かったけど、後悔はしていない。
コートを羽織って、前は開けたまま、こげ茶のマフラーをゆるく巻いて外へ出た。まだ4刻の鐘は鳴ってない。
毎年のことだが、会場は朝から人だかりができていて、夜通し誰かいる。
木箱を集めて作った小さなステージで、女性や子供や酔っ払いが歌や踊りを披露して、時には即興で組んだ楽団の伴奏で皆が歌ったりもした。
この村へ来た年、この祭りに参加したから知り合いが増えた。ひとりで行っても飲み相手に困ることはなく、例え余所者でも、夜が明けるまで寂しい思いをしなくて済むのだ。
ぐるりと会場を囲む屋台の数々に、その前に適当に置かれたテーブルや椅子や木箱やガンガン。好きなところに好きなように座って、中央のステージ(のようなもの)を眺められる。
陽気な音楽の流れる会場に入ると、わっと歓声が上がったところだった。人が多すぎて、ステージは見えない。
「ジョット!」
人混みを漕いでいると、どこからか声がかかる。
首を巡らせると同じアパートの住人だった。名前は、ええっと……
「なんだよ! 今日は随分とめかしこんでるな。デートか?」
「そう言うわけじゃないよ」
「まあ、そろそろ相手見つけたいところだよな! まあ、飲め!」
腕を引かれて、テーブルの上に並べてあるエールを押し付けられる。
一事が万事こうなのだ。名前なんて些細な事だった。
やれやれと腰を下ろすと、周りから次々とエールが差し出される。馬鹿話の合間に、そこにいない奴の恋文の代書を本人に内緒で頼まれた。
酒臭い男たち5〜6人に囲まれて、ああでもない、こうでもないと文面を作り上げていく。
「で? 誰から誰への手紙なのさ」
笑いをこらえながら宛名と差出人を聞く。
「差出人はロナードだろ」
「だったら、相手はスージーだ」
「上手くいったら、代書代はロナードに払わせろよ!」
ひとりがそれらしい封筒を買いに走り、どこからかスージーの居場所がもたらされる。こういう時の団結力ってなんなんだろうね。
仕事道具を仕舞っていると、また別の方向から声がかかった。
「おい」
視線だけで確認すると、赤い瞳とぶつかった。驚いて、テーブルに膝を打つ。
「ジョット、知り合いか?」
「ああ、まあ……」
「ユエが呼んでる」
くい、と親指で示されて、僕はその場を去ることになった。
なんでガルダ君が迎えに来るのかと、どきどきしてたけど、途中、食い入るように見ていた串焼肉を買ってあげたら、上機嫌で話してくれた。
「よく分からんが、お願いしたいことがあるって言ってたぞ。人混みの中探すのは大変だって言うから、俺が来てやった。ニンゲンは個体識別もできないなんて、不便だな」
「ガルダ君は、その為にここへ……?」
「ん? いや? 面白そうな事してるから、見に行きたいってジジイとユエに頼んだんだ。大人しくしてろって言われてる」
肩を竦める様子に、笑っていいものか悩んだ。
「ほら、そこだ。ユエ! 連れて来たぞ!」
屋台の横をすり抜けて、裏の方へ抜けていくガルダ君の後を追う。
「ありがとう……って! その肉、どうしたの!?」
「買ってもらった。盗んでないぞ。失敬だな」
「ええ? 買って? ……ジョットさん、ありがとう……って、ジョットさん、デート中でした?」
上から下まで眺め回されて、苦笑する。
「違うよ。コートひとつでそんなに印象違う?」
「違いますよー。あ、ロレットさんとこのだ! なになに? 口説きたい人でも出来たんですか?」
楽しそうに聞かれるけど、何? って聞きたいのはこっちなんだけど……
「そういうわけじゃなくって。ちょうど、新調したかったとこにヴィヴィちゃんから声がかかってね。それより、僕に何か?」
「あ、そうだった。ジョットさん、剣舞ってできます?」
「はい?」
そのまま、ステージに上がる人達の控室になってるテントに連れて行かれる。
中ではカエル君が青色のひらひらした衣装に身を包んでいた。傍にビヒトさんもいる。
「ジョット。急で悪い。ユエが、お前なら出来るんじゃないかって。演目やるはずだったやつらが、そろって腹下したらしくて……」
こんな直前に迷惑な……ってか、なんでそう思ったのかな?!
「帝都でパーティとか出てナンパしてたんでしょ? 剣を習ったんなら、見栄えのする剣舞もやってるんじゃないかなぁって」
「ナンパじゃなくて、一応仕事! お願いだから、他で言わないでね!?」
えへへって笑って舌を出すユエちゃんを一睨みする。
「で?」
「……やったことは、あるよ。でも、型を全部覚えてる訳じゃないから……」
剣舞はいくつかの型があって、それらを曲によって組み替えて舞う。んだよね?
ぱっとカエル君の顔が明るくなった。あれ以来、彼の表情はだんだん豊かになっている。頼られるのも、悪い気はしない。
「大丈夫だ。ビヒトに確認してくれ。もう少し時間はあるから」
「ビヒトさん出来るなら、彼がやればいいんじゃないの?」
「ビヒトは俺らの後、出番あるんだ」
「え? 何やるんですか?」
今まで彼がこういう行事に参加したことはないはずだ。あ、言ったら、カエル君も、ユエちゃんもか。
答えは、ちょっとうんざりした様子のカエル君が口にした。
「爺さんと、模擬試合」
『鬼神』と『天災』の模擬試合!? 何それ! 見たい!
「だから、失敗しても気にするな。俺達のことなんて、すぐに忘れられるから」
心強い(?)アドバイスをもらって、仕方なくビヒトさんに演舞の流れを聞く。
コートを脱いで、腕をまくっていたら「身体で憶えていただきますよ」と、笑顔で怖いことを言われた。
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