番外編「ビヒトの里帰り」1
※ 本編終了後3年くらい後の初秋。久しぶりに地元に帰るビヒトの話。
「天は厄災の
きっかけは一通の手紙だった。
ビヒトの一番上の兄、ヴィッツからは何かあるたび(とはいえ、それほど多くはないのだが)手紙が届いていたので、今度は何かと少し緊張して封を切る。
前回の報せはヴィッツが正式に家を継いだ時だった。それだけならよかったで済んだのだが、追伸に「話があるから一度帰ってこい」とかなり強い筆跡で書かれていた。
話の内容は見当がついたし、ビヒトはとてもこの地を離れられる状態ではなかった。
だから「急ぐ話でもないでしょう。今はここを離れられません」と、至極真面目に返事を出したのだ。
あれから何年経ったのだろう。そろそろ父が他界したと連絡が来てもおかしくない歳ではある。
少しだけ覚悟をして開いたものには、父ヴァイスハイトが熱を出し、柄にもなく弱音を吐いている、という話が簡潔に記されていた。だからどうとも言っていないのだが、それが余計に含みがある気がして、便箋を裏返して見てしまった。何かの魔法陣でも仕込まれているんじゃないかと。
――まあ、杞憂に終わったわけだけれど。
それはそれで、また気になる。
「なんぞ。難しい顔しおって。借金の督促でも来たか?」
厨房におやつを探しに行くらしいヴァルムが、通りかかってビヒトを覗き込んだ。
「いや。兄から、なんだが」
「お父上でも亡くなったのか?」
さすがに少し表情を引き締めて、ヴァルムは尋ねた。彼も一応面識がある。
「そうなら、あまり考えることもないんだがな……熱を出して寝込んでるらしい」
「……悪いのか?」
「そこまで書いてない。大丈夫だとは思うんだが……」
何か察したらしいヴァルムが、にっと笑った。
「まあ、行ってみればいいんじゃないか? どうせ今はテリエルもおらん。ランクも向こうにおるし、ここは閉めても構わん。いい暇つぶしになるわ!」
「ヴァルムも行くつもりなのか」
苦笑すれば、まずは腹ごしらえだと笑いながら、彼は当初の目的通り厨房へ向かった。
少し前、テリエルに子供が産まれて、彼女は里帰りしていた。一年ほどは手の多いパエニンスラで過ごすことになる。
本人は戻ってきてもいいようなことを言っているのだが、初孫(男の子だ)を見た両親が離すはずもなかった。今まで我が子とも離れた生活が続いていたのだ。そのくらい、してもいい。
当然、旦那であるランクもあちらで生活していた。こちらよりもよほど仕事はあるので、全く問題にならない。
使用人もいるのだから、ヴァルムと二人の生活はいろいろ持て余している。彼女たちが戻ってくれば、また余裕のない毎日になるのは分かっているので、いい機会かな、とはビヒトも思っていた。
暑い盛りは過ぎていて、少し長い休みも迷惑ではないだろうと使用人たちへ休暇を与える。
有給だと告げたのだが、女中頭のアレッタだけは、掃除くらいしてもいいかと懇願してきた。彼女もたいがい仕事中毒だ。
鍵を預けて、好きにさせる。
そこまでしてしまえば、あとの準備はするほどのこともない。数日分の着替えだけ持って、二人はさっさとパエニンスラまで出たのだった。
挨拶だけ慌ただしく受けてくれたラディウスは、夕食の約束だけをしつこいくらい念押しした。どうやら外せない来客が控えているようだ。その間にテリエル達にも報告にいこうと移動する。途中で、城の文官のお仕着せを着た女性が早足で頭を下げながらすれ違った。それがどうしたものか、少ししてバタバタと駆け戻ってきた。
ビヒトの前を塞ぐように回り込んできたので、ラディウスもまた変わったのを使ってるものだと足を止めれば、素っ頓狂な声が飛んできた。
「――ビヒトさん!? ですよね! 一瞬わからなかった! どうしてこちらに?!」
彼女と同じように、ビヒトも一瞬判らなかった。お互い驚いた顔を見合わせていると、少し後から来たヴァルムがガラガラと笑い声をあげた。
「嬢ちゃんも、その恰好しとると一瞬わからんぞ」
「え? そうかな? 馴染んでます?」
てれてれとした笑顔を見せて、彼女はスカートをつまみ、くるりと一回りして見せた。
「そういえば、ユエ様はお城で働いているのでしたね。聞いてはいましたが、やはり実際見ると違いますな」
いつもの調子で微笑んで言えば、ヴァルムは吹き出して、ユエは微妙な顔をした。
「ラフな格好のビヒトさんも珍しいですけど……その恰好でその口調、合わないです」
「そう……ですかな」
指を差されて、自分を見下ろす。
ここからは竜馬で移動するつもりだったから、冒険者時代のような格好をしていて前髪も下ろしていた。ヴァルムといるとつい遠慮がなくなって素が出てしまうようになったから、ユエのいる場でも砕けた口調になることはあったけれど……彼女に対してはどうも執事の自分が出てしまう。それだけのことなのだけど。
「私、冒険者のビヒトさんも好きなんだけどなぁ」
ちょっと期待のこもった目で見られたので、ヴァルムを振り仰いで冒険者を引っ張り出してみる。
「あー……お言葉は、ありがたく? どこへ行くつもりだったのかな? お嬢さん」
なんだかよくわからなくなって、ヴァルムに爆笑されたけれど、ユエははっと息を呑んで慌てだした。
「そうだった! 領主様に呼ばれてたんだ! ビヒトさん、まだいます? あとで、もう少しお話ししたいです!」
「夕食に招かれてるよ。ユエも呼ばれると思う」
今度は少しわざとらしくなく出来て、ユエはほんのり頬を染めた。えへへと笑うと、手を振って軽やかに去って行く。若い頃ならともかく、この歳になってそういう反応をされるのは、正直戸惑いもあるのだが、気分は悪くない。ただ、自分だけではなく、他の人間にもしているのだろうかという不安は湧いてくる。彼女は、ああ見えて人妻なのだから。
大きなトラブルは聞こえてこないので、大丈夫なのだとは信じたい。
「……カエルレウムも、大変だな」
「全くだ。この場にいなくて良かったなぁ」
「は?」
ヴァルムはビヒトの肩を抱くように顔を寄せ、悪い顔で笑う。
「どうだ? ビヒト。まだ頑張れば嬢ちゃんも口説けるかもしれんぞ?」
「馬鹿を言うな。そんな気はないさ。ユエのあれもそういう類のものじゃない。俺がカエルレウムの親代わりに見えているからだ」
「……なんでぇ。冷静に分析しやがって」
口を尖らせて、ヴァルムは離れていった。
「お前さんはからかいがいがないな。つまらん」
「だからモテないだろ」
「殴るぞ」
軽口をたたき合いながら目当ての部屋へ近づけば、元気な赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
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