番外編「継承~あるいは、希望を~」

※カエルの成人の年、テリエルが帝都の学校に入る前の春ごろ。

 ビヒトがカエルに贈った成人祝い。



 カエルレウムは人の気配に敏感だ。

 熱を出して朦朧としていても、ベッドサイドに誰か近づけば必ず目を開ける。その目が自分――ビヒト――を映せば、またすぐに閉じられるのだけれども。


「……起こしてしまったのなら、何か食べられますか?」


 ゆるゆると頭を振る様子は、まだ幼さが残る。ビヒトに甘えているようでもあり、成長を拒んでいるようでもあるその姿は、見ているのが辛い。

 どれだけ頑張っても、頑張ってしまうからこそか、彼が月に寝込む日数は増えている。28日のうち半分もベッドに潜っていれば、腐りもするというものだろう。

 おかげで、この春の成人式もうやむやになったままだった。


 イラついて、無茶をして、また寝込む。

 誰も(本人も)望んでないのに、その繰り返し。どれだけサポートできても、本人の体質だけはどうにもしてやれない。そんな歯がゆさだけがビヒトの心の内にたまっていく。

 ふと、父も自分のことをこんな風に見ていたのだろうかと、むず痒い気持ちも湧いてきて、青かった自分に苦笑する。


「……いいから、仕事に戻れよ」


 ふてくされたような声でこちらに背を向ける様は、ビヒトにも覚えがあるものだった。

 自分は優しくされるに値しない。相応しくないという想いは根付くと厄介だ。


「明日の晩には湖に行けますから。ちゃんと食べて、満月直後に寝込むなんてことはやめてくださいましね。坊ちゃまの仕事配分はもう決まってるのですから」

「決まってたって、別にビヒト一人でもできるじゃないか」

「出来るのと、余裕があるのでは違いますよ。頼りにしているので、あまり無茶はなさらないでください。それに、成人祝いもしなくては」


 もぞもぞときまり悪そうにしていたカエルレウムは、成人祝いという言葉に少しだけこちらを振り返った。


「お忘れですか? 今年、成人ですよね?」


 そこまで生きられるかと心配しながら、なんとかやってきた。無茶を抑えられれば、もう少しは楽になるはずだ。

 熱で上気した頬を少し深い色にして、カエルレウムはまた向こうを向いた。


「お、憶えてる!」


 誕生日は冬だが、成人の年の春にまとめて祝うのが通例だ。小さな目標だったけれど、達成できたということは、たぶん、今しばらく彼の支えになるはず。

 ビヒトはくすくすと笑いながら、カップに栄養価の高いジュースを注ぐ。


「では、私は業務に戻りますが、水分だけでも取ってくださいまし。次は夕飯を持ってまいります」


 小さなうめき声のような返事は、ふてくされた色が消えていたので、ビヒトは内心息をついてその場を後にした。



 ◇ ◆ ◇



 満月の夜、地底湖には青い月が現れる。カエルレウムを支えて、担いで、何度通ったことだろう。さすがにもう着替えは自分でするし、よほどでなければ担ぎ上げることもない。湖に入るのを見届けて、屋敷へと戻ることも多くなった。

 ビヒトは久しぶりに月の見える穴から外へと出て、念のために設置してある防犯の魔法陣をチェックする。一度も作動したことのない陣は、そもそもこの場所に外から入り込むことは難しいのだと教えてくれる。何度かあった襲撃の際も、誰もここには近づかなかった。

 それでも、その陣は残しておく。カエルレウムが一番無防備になる場所には、用心に用心を重ねてもやりすぎではない。

 中へと戻り、ビヒトはカエルレウムが水から上がるのを待った。


「何か心配事でも? 今日は戻らないのか? 俺は問題ないぞ?」


 冷え切って、唇を紫色にしたカエルレウムが、震えながら訝し気に口にする。


「祝いを、考えてて。久しぶりに一緒に風呂に浸かろうかと」


 執事としてではなく、冒険者の頃のようなビヒトの口調に、カエルレウムは少しだけ目を見開いた。


「べつに……かまわないが……」


 戸惑いなのか、照れ隠しなのか、先に立って戻っていく。ビヒトはその後をゆっくりとついて行った。

 同じ岩風呂に浸かっても、カエルレウムとの間には常に少しの距離がある。それはカエルレウムにとっての安心の距離なので、決して無理に詰めようとはしない。


「なんだよ。最近はずっと執事モードだったのに」

「家としてのお祝いは、ちゃんと用意しておりますので。問題なければ明日。

 ――それとは別に、俺からも祝ってやりたくて。体術もナイフの扱いも上手くなったから」

「ビヒトには全然敵わないけどな」

「そこは、まだ師でいさせてもらえると嬉しいんだが」


 笑うビヒトに、カエルレウムも少し表情を和らげる。


「……まだ、居てくれるのか?」

「半端にはしておけない。ヴァルムも留守が多いしな」

「俺が、もう少しちゃんと守れるようになれば……」

「焦る気持ちも解る。だが、それで倒れる回数が増えては意味がない。ちゃんと、自分と折り合いをつけてくれ」


 じっとお湯を見つめる様子に、言っても無駄だろうなとは思う。あの苛立ちは、そう簡単に無くなるものではない。

 変わってやれるなら――

 老いに向かうこの身体、その体質を引き受けてやってもいいのに。

 そう思いつつも、それが叶わないことは重々承知している。


 湯気を上げる上気した若い体躯にシャツが羽織られるのを待って、ビヒトはその伏し目がちな紺色の瞳の前に細身のナイフを三本差し出した。

 カエルレウムが確かめるようにビヒトを見る。


「沐浴着にも何本か仕込むといい。俺も離れていることが多くなったし、何もなくとも安心だろう? 錆びにくい材質を選んでる」

「祝いって、これ?」


 にやりと笑って、さっそく手の中でくるくるとその感覚を確かめ始めるカエルレウムに、ビヒトは不敵な笑みを作る。


「もうひとつ」


 そう言って、ビヒトはさっきまで身に着けていた太めのベルトをカエルレウムの腰に巻いた。背中側に短剣が収まったままのものを。

 戸惑うカエルレウムに、その短剣を抜き取って横にして掲げ上げる。


「大きさの割に、軽いはずだ。長剣よりはカエルレウムに合っていると思う。魔力感知の感覚も少し上がる。お前はほとんど魔力がないようだから、そこまで変わりはしないだろうが……」

「これ、ビヒト、の」

「遺跡からいただいてきたものだ。折れたり欠けたりしないから、研ぐ必要がない。俺が一度使から切れ味は少し落ちてるが、それでも普通の刃物より切れる。少しずつ慣れていけ」


 カエルレウムの手を取って、それを握らせる。

 しばらくまじまじと眺めてから、カエルレウムは不安気に顔を上げた。


「貴重な物なんだろ? ここから出られない俺が持つようなものじゃ……」

「ここはお前が守っていくんだろう? 俺は他の剣でも問題ない。いつまでもそれに頼っているようじゃ、さらに上は目指せない」

「上って……爺さんみたいなことを」

「あれを止められる人間でいないとならないからな」


 片目をつぶるビヒトに、カエルレウムは苦笑する。


「追いつける気がしないじゃないか」


 それでも何度か握りを確かめて、嬉しそうに腰の後ろへと収める。


「ありがとう。大事にする」


 自分の命も。

 そっと心の中で語りかけて、ビヒトは大きく頷いた。


「成人、おめでとう」



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