番外編「ビヒトの里帰り」7
夕食にヴァルムとガルダもどうかと誘われたのだが、ガルダはどこかに出かけたままらしい。「いけない」と素っ気ない伝言が届いたのだと、ヴァルムは肩をすくめた。ヴァイスハイトやヴィッツは会いたかったと肩を落としていたものの、ビヒトは小さくホッと息をつく。
やってきたヴァルムの風貌に、ヴィッツの孫たちが怯えて泣きだす一幕もあったけれど、会食は概ね和やかに進んだ。ヴィッツの息子夫婦と年が近いユエも話に花を咲かせているようで、ビヒトもなんだかんだと注がれる酒に身をゆだねていた。
飲みすぎたのか、カルトヘルがテーブルに伏したところでお開きとなる。ヴィッツが小言を言いながら肩を貸していた。もう一晩泊まっていくことになるわね、と母リリエが小さく笑いながらビヒトに耳うちをする。
「父さまが寝込んだ時に手紙を書かないのかと勧めたのはカルなのよ。このくらい大丈夫だと父さまもヴィッツも言っていたのだけど。私も、危篤でもないのにあなたが来るとは思ってなかったわ」
それで、なんだか微妙な文面だったのか。
「たまたま都合がついたのですよ。ヴィッツ兄上からは何度か話したいことがあると言われていたのに、来られませんでしたから……いい機会かと」
「あら、そうなの? 話は出来たの?」
「ええ、まあ。たぶん」
「仲がいいのか悪いのか、わからないわね。あなたたちは」
「そんなもんでしょう」
リリエは静かに笑うだけだった。
◇ ◆ ◇
酔い覚ましに散歩してくる、と、すっかり馴染んでいるユエを横目に、ビヒトはヴァルムと外へ出た。
昼の間の情報を交換しながら歩いていく。
「と、父上にユエを任せてみたんだが、案の定興味を示してたな」
「ふぅん? 魔力がないっちゅーことにも興味を?」
「あることが当たり前できた人間は……俺もそうだが、無いとはどういうことなのか想像もつかん。引退した人間にはちょうどいい思考対象じゃないかな」
「のめり込みすぎても厄介じゃねーのか?」
「長く留まるわけじゃない。そう心配ないだろう。ガルダは? どうしてたんだ?」
「あいつは朝飯食ったらさっそく湖に向かってたぞ。周囲を一通り調べて、「会ってくる」って水に入って行ってそれっきり」
肩をすくめるヴァルムにビヒトも瞬間言葉を失った。
「会って、って……そういや、伝言はどうやって?」
「鳥が来たぞ」
ビヒトは、ああそうかと額を抱え込む。湖に変化はない。……と思う。
賑わう酒場の前でヴァルムと別れて、月明かりを頼りに湖の奥へと歩を進める。多少暗くとも、それほど難はなかった。年月が経っていても、よく知った場所だ。
静かな夜だった。
湖の表面には魚が作るのか、時折波紋が広がる。
人の気配はない。それでも、人が入り込まないような奥地まで足を延ばしてから、ビヒトは湖の岸まで近づいた。
湖面に映り込む月明かりに目を細めても特に変わったところはない。二、三度深く呼吸して、水の中へと足を踏み出そうとした……まさに、その時、月明かりの中へ一人の少年が浮かび上がった。
水面は乱れる様子もなく、気付けば、全身に薄く陽炎の膜を纏ったモノが水面に立っている。ソレは、すぐにビヒトに気付いてニッと笑った。空を滑るように近づいたかと思うと、その手がビヒトの頬を撫でる。
「なるほど。面影はあるな」
「何の話でしょう」
ガルダはふふん、と鼻で笑い、ビヒトの前へと降り立った。
「夜中に何をしてる? ヒトはそろそろ眠る時間じゃないのか」
「酔い覚ましの散歩ですよ」
「さんぽ、ねぇ。そんなに心配しなくとも、俺は動けないものを襲う気はない。つまらないからな」
「退屈でしたか」
「いや? 思ったより面白かった。気分がいいから、家まで送ってやろうか? 俺も少し飛びたい」
「それは――」
やんわり断りかけて、ふと、別のことが頭をよぎった。意外と酔っているのかもしれないと自分を嗜めるが、気分がいいというガルダなら別の場所にも降ろしてくれる気がした。
「――ワガティオ、には」
キョトンとした顔は普通の人間に見える。やっぱり図々しかっただろうかと続く言葉が出てこない。自分はユエやヴァルムほど気を許してもらえてはいない気がしていた。
「どこだって?」
「この森を抜けた、少し向こう。隣の町、なんだが」
町の方向を指差せば、ああ、と何でもないようにガルダは頷いた。
「さんぽ、だな」
散歩には少し距離がありすぎるが、彼の感覚ならそうなのかもしれない。余計なことは言わずに、ビヒトは「頼む」と少しだけ頭を下げた。
闇色の鳥に鷲掴みされて運ばれ、放り出されるように降ろされる。高さの加減はしているようなので、ビヒトは空中で姿勢を整えて着地した。すぐに立ち上がり、片手を上げて感謝を伝えようと上を向いて、少々立ちくらんで足を踏ん張る。酒に負けるとは歳かなと苦笑すれば、目の前に逆さまになってにやりと笑う少年の顔が近づいた。
「なんだ。怖かったか?」
「いいえ。酔い覚ましだと言ったでしょう? 歳ですよ。戻らないのですか?」
「お前がひとりで国を出て何をするのかと思ってな」
「面白いことはありませんよ?」
「そうか?」
肩をすくめてから歩き出したビヒトに、ガルダもついてきた。
とある店の前まで来ると、ガルダは顎に手を当てて「ほぅ」とヴァルムのような声を上げた。
「じじいはよくこういう店に寄るがな。お前は珍しいな」
「世話になった人がまだいるのか気になっただけですよ。私よりも年上でしたからね。いなかったら帰ります」
だから帰ってもいいぞと言外に言ったつもりだったのだけれど、ビヒトが視線を向けた時にはガルダはもう入口へと向かっていた。
「……いや。付き合わなくとも――」
聞く耳も持たず、ガルダはさっさと店の扉に手をかけた。
子供の姿で先導させるわけにもいかない。ビヒトは慌ててガルダより先に店へと踏み込んだ。
「いらっしゃい……って、お客さぁん?」
甘ったるい声が、すぐにトーンを下げる。受付のお姉さんの言いたいことも解るので、ビヒトはポケットに入っていた銀貨をカウンターに滑らせた。
「昔、ここにいた
受付の女は素早く銀貨を握りこむと、いかにも仕方ないという風にロビーにいた数人の女性に目配せした。
「こっちで待ってましょ」と華やかな声が聴こえる。ヴァルムと来て慣れているのか、ガルダはおとなしく従っているようだった。
「昔って、どんくらい? あんたの顔、見たことないけど」
「もう、三十年近くなってしまうかも」
「はぁ?」
女は呆れかえった顔をして、それからビヒトにたっぷりと憐みのこもった笑顔を作った。
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