番外編「すれちがい」前編

※パエニンスラで暮らし始めたユエとカエル。都会での暮らしは色々刺激的?!

 カエル視点で。

(襲われるカエルと誤解されるセリフが書きたかった。後悔はしていない。)



 それは、今年初の雪が降るんじゃないかという頃。

 パエニンスラの生活にも慣れてきた、そんなある日のことだった。


 ユエは城で通訳の仕事を貰っていて週に4日程登城している。最初こそ緊張していたものの、領主が何かと計らってくれたらしく、最近ではひょんなことから親しくなったという友達の話題を頻繁に口にしていた。なかなかおしゃれが出来ないというその友達の為に、わざわざレモーラのロレットに手紙で何やら連絡するというマメさだった。


「妬くぞ」


 封蝋されたその手紙を彼女の手から取り上げて、びっくり顔の額にキスを落とす。ほんのり頬を上気させて左右へと視線を彷徨わせたユエをぎゅっと抱きしめると、言い訳のような言葉が聞こえてきた。


「友達だよ? 誰にも相談できなかったって頼りにされたら、力になってあげたいでしょ?」


 ユエは頼りにされることをとても喜ぶ。その気持ちは、解らないでもない。でも、パエニンスラ都会レモーラ田舎とは違う。彼女が利用されてるだけじゃないと、誰が言えるだろう? 彼女には傷ついてほしくない。そんなに弱くないとは知っていても。

 俺が彼女を心配して過保護にし過ぎることに、最近は――いや、前からか――軽い反発も返ってくる。


「――カエルだって、もう普通の生活で誰かに触れることを怖がらなくていいんだから、もっといろんな人と付き合ってみればいいんだよ」

「必要があれば、そうする」


 少し、方向性の変わった会話に喉の奥に何かが引っかかった様な違和感を覚える。

 確かに、ユエに毎日「もらう」から俺の中の「何か」は満量どころか溢れているに違いない。もう何に触れてもいたずらに命を奪う心配はないんだろう。


 仕事の中でどうしようもなく他人に素手で触れなければならない場面もでてきていた。神経質な人間ほど、何か仕込める手袋をしたままの対応に難色を示したからだ。半裸にされたこともある。そういう奴は大抵、胸の紋を見てどうにでもなると思うのか鼻で笑って態度を軟化させたりもするのだが。そんな時も手首の紋は問題無くその効果を発揮していて、触れることへの恐怖心は少しずつ薄らいでいた。


 もちろんそんな奴の護衛はめったにないし、フォルティス大主教も人を選んでくれてる。ある程度の事情は話してあるので(タマハミの一族だとは流石に言えてないが)最近は男性不信の女性の警護に当てられることも多くなってきていた。仕事に忠実で無駄に触れたり話したりしないのがいいと、人伝てに広がってるとか、なんとか……


「必要はあるよ。カエルは私にしか触れられなかったから、もしかしたら勘違いしてるかもしれない。触れられれば、私じゃなくてもいいのかもしれない。確かめるなら、結婚してしまう前の今のうちだよ」


 自分で、表情が険しくなったのが分かった。ユエが何故そんなことを言い出すのか解らない。春になったら、ちゃんと夫婦になろうと約束もしたし周りもそういう風に動いている。そんな、波風を立てるようなことを何故わざわざ促すのか――

 ユエを開放して、じっと確かめる様に見つめてくるその瞳を見つめ返す。


「必要ない。浮気なんてしない。出来ないのはよく解ってるだろう?」

「……そうじゃなくて……」


 俺ひとりに縛られるのが、窮屈なんだろうか。確かにひとりで受け止めるには、俺は少し重すぎるかもしれない。ふたりで暮らし始めて、それを実感したのかもしれない。


「取敢えず、行ってくる」


 小さく溜息を吐いて、郵便屋に届ける手紙をひらりと振り、俺は家を出た。


 ◇ ◆ ◇


 隣町の教会に向かう馬車の中で、浮かない顔の理由を尋ねられ、俺は隣に座る従者の方をちらりと見ながら口籠る。他人に聞かせる話じゃない。

 だいたい、神官という奴等はどうしてこうも鋭いのか。自慢じゃないが、表面を取り繕うのは上手い方だと思っている。最近はユエにも読まれたりするので、若干自信を無くしかけてはいるのだが。


「どうせ着くまで暇なんだ。聞かせてみろ」


 フォルティスはにやりと笑うとひとりで座っていた席を少し詰めて、手の中の魔道具を揺らした。彼にはしょうもない恥ずかしい話を聞いてもらった過去があるから、断るのも今更だ。


「――って、ユエが……どういうつもりなのか、俺には分からん」


 フォルティスは少し笑うと、俺の腿を叩いた。


「女性ってのは、幸せすぎても不安になるらしい。結婚前なんて、誰が何を言っても不安定になったりするもんさ。ユエさんだって、そう言って促しても君がちゃんとユエさんだけを見てるって言って欲しかったのかもしれないぞ」

「言った。浮気なんてしない。出来ないって。そうしたら、そうじゃない、と」


 彼はそこで初めて少し眉を顰めた。


「彼女に何か最近変わったことでもあったのか?」

「さあ。城で出来た友達の話は多くなったが」

「あぁ。じゃあ、君にもう少し友達を増やしたいんじゃないか?」


 快活に笑う。


「ユエさんが言いそうなことだ。こっちではまだ親しくするような人物はいないんだろう? ジョット君はルーメンにこき使われてるしな。自分だけ親しい人が増えていくのが後ろめたいんだろう。先日も城の文官と騎士団用の護符を買い付けに来てくれてな、上手くやっているようで安心したんだ」

「文官と?」


 初耳だ。


「彼についてきたようだったが。そのうち彼女の仕事になるのかもしれないな」


 ユエの『繋ぐ者』の加護はとても強い。偽造も見破れるほどなんて、他に聞いたことがなかった。だからお嬢の推薦とはいえ、身元のはっきりしない彼女を城がすんなり雇ったのだ。

 教会で働かれるよりは、と思っていたが、あまり目立ってほしくもない。魔力の件も知られればやっかいだ。


「そんな顔をするな。あんまり過保護にすると嫌がられるぞ」

「……わかってる」


 そうだ。わかってる。都会に出てきたら、ユエはもっと価値が上がる。彼女はあまり解っていないようだが、その理解力に時々驚かされることがある。詳しく説明しなくとも、大概はあぁ、あれね。とユエなりの納得があるようだ。するりと飲み込めることにこちらが戸惑う。覚えも悪くない、愛想もいい。美人と言えなくとも愛嬌のある異国の顔立ちは好意的にとられがちだ。

 俺といなくとも、彼女ならやっていける。わかっていて、離せない。


「じゃあ、ちょっと離れてみたらどうだ?」


 苦笑しながら、大主教は提案する。


「離れる?」

「2泊3日の片道の護衛案件があるんだが。それくらいなら彼女もひとりで大丈夫だろう?」


 いつもなら断るところだ。

 ……でも。ユエにもひとりの時間があった方がいいのかもしれない。


「距離的には1日かからない場所なんだが、ちょいと扱いの面倒なお嬢様でな。噂を聞きつけて、カエル君がいいと指名してきたんだ。いつもなら断るところだろうが、どうする?」

「……ユエに何かあれば、俺は帰るぞ」

「それでもいい。どうせもうひとりつける予定だからな。心配なようなら、ガルダ君でも呼べばいいじゃないか」

「アイツはアイツで心配だ」


 アハハと楽しそうに笑って、彼は魔道具を解除した。


「俺も様子を見に行くし、その時にでもユエさんから話を聞いといてやるよ。惚気られる気しかせんがな」


 俺は少し安心して頷いた。彼が神官だから信じてる訳じゃない。神官に碌でもない奴が多いのはこちらにきてから身に染みていた。彼は数少ない金にも権力にも媚びない人間だ。神官になったのも亡くした奥さんと子供を悼み、慰め続ける為なのだと。彼の護衛を務めるようになってその言葉を信じられると思ったから、ユエのことも任せていいかと思える。


 『神眼』持ちのアイツとは違って――


 アイツは好きも嫌いも無いと言いつつ、ユエを利用しようとした。でも、一緒に行動していれば嫌でも分かる。あの瞳を、綺麗だとうっとり見つめるユエのことを何とも思わないはずがない。

 自分でさえ、好きになれないそれ・・を無邪気に綺麗だと笑う彼女にどんな気持ちを抱くのか、俺が一番知ってる。だから、アイツはユエを助けるし、守ろうとするんだ。


 それが解っても、アイツに託したくないのは単にユエを近づけたくないから。神官としては真っ当だと解っても、故郷を分け合うために見つめ合うふたりなんて見たくない。


 子供っぽい。わかってる。比べられたくない。

 いつも、俺のもとへ戻るようユエを促しているのも知っている。促されたからといって簡単に戻って来ないユエも。だから、嫌いだ。


 記憶になくとも、彼女の故郷と繋がりのあるアイツにユエが興味を示すのも解る。本当はもっと知りたいんだろう。遠慮させてると気付いているのに、快く送り出してやれない自分も嫌だ。二度と帰れない故郷のことなのに――


 だから、アイツは、嫌いだ。


 他人ひとはこういう思いをどう処理しているんだろう。それともこんな思いはしないんだろうか。


 ――私にしか触れられなかったから――勘違いして――


 勘違いってなんだ。何と、間違うんだ。触り魔だというユエには違いが判るのか。子供達と、俺、の?

 出発点に戻った俺の思考が、何か答えを出しかけたとき、馬車が止まった。


「まだ何かありそうだが、それは今度飲みながら話そう。その方が口も滑る」


 その瞳に慈愛の色を濃くして俺を一瞥すると、大主教らしい威厳を引っ張り出してフォルティスは開けられたドアを潜っていく。友と呼ぶには歳が違い過ぎて気が引ける。兄。義兄あにくらいが妥当だろうか。彼がその職に戻ったように、俺も護衛の顔に戻る。教会の鐘の音が冷たく澄んだ空気に響き渡った。


 ◇ ◆ ◇


 城にほど近い大通り沿いの集合住宅の3階。居間の他には寝室だけだが、コックを捻ればお湯の出る風呂が付いていた。もう少し広い家も見たのだが、ユエはそこがいいと言った。狭い方が掃除も楽でしょ、と。


 別に、一軒家を借りて下働きを雇っても、後々を考えれば良かったのだが、そうなるとどうしても城からも教会からも遠くなる。ユエはお屋敷にしか住んだことのない俺をしきりに心配していたが、俺はベッドがあればそれでいいと思っていた。


 住んでみると、狭い家は何処に居てももうひとりの気配を感じられて、なんだかくすぐったかった。半信半疑だったユエの手料理も、割とまともで、そう言ったらひどく拗ねられた。食べなれた料理とは違う物がよく出てくるが、不味いわけではない。調味料が足りないと、よく文句を言っている。

 玄関を開けるとふわりとバターのような香りがした。


「おかえり! 今日、寒いよね? わ、つめた!」


 朝のことなど無かったかのように、玄関までやってきたユエは俺の頬を両手で包み込む。じんわりとした暖かさに目を細めた。


「ユエが冷えるぞ」

「じゃー早く着替えて。寒いからシチューにしちゃった」


 ふたりでいると給仕も作法も何もなく、生活に慣れるのに手一杯だった俺はいつの間にかそれを当たり前に受け入れていた。余裕が出てきたから、そろそろ休みの日だけでもさらっておかないと執事の仕事を忘れそうだった。


「……来週、泊まりで行く仕事が入った」


 これだけは、と欠かしてない食後の茶を淹れながら報告する。ユエは俺の手元から視線を上げてきょとんとしていた。


「どうしたの? 断れない仕事だったの?」

「いや……受けない方が、良かったか?」

「私は、別に。こっちにも慣れたし、何日かカエルがいなくたってちゃんとやっていけるよ。1泊?」

「2泊、3日」

「3日くらい大丈夫」


 こくこくと大げさに頷いて、ユエは差し出されたカップに口をつけ、ふわりと笑った。

 本当に大丈夫なんだろう。ここの生活に馴染むのは彼女の方が早かった。独り暮らしをしていたという話も嘘や誇張ではないんだとようやく納得できていた。


「ガルダでも呼ぶか? フォルティスは様子を見に来てくれると言っていたんだが」

「え。大主教が自ら来てくれるの? だらだらできないじゃん。ガルダは……寂しくなったら呼ぶよ。ずっとカエルと居たから、どのくらいで寂しくなるのかわかんない。3日くらい平気だと思うけど」


 カップを持ったまま小首を傾げる。


「俺はもう寂しい」


 噴き出したユエは慌ててカップを置いた。オレンジの液体はゆらゆらとその淵から零れそうなほど波打っている。


「来週でしょ? 私、今、目の前にいるのに」


 肩を震わせるユエの隣まで回り込んで、笑ったままの唇をついばむ。

 ユエが変なことを言うから――


「……カエル、お風呂」

「後で」


 抱き寄せて、手を組んで。ユエを感じる。


「……もぅ」


 呆れたような、笑いを含んだ声。

 ユエはこういう時いつも一段冷静だ。それは経験の差なんだろうか。外の世界で色々見てきたから、余裕の無い俺を子供のように思ってるのかも。結婚も、周りを詰められたから断りきれないと思ったのかも。

 そっと、身を離して彼女を窺う。

 伏せられていた睫毛が持ち上がる。少し、疑問の顔。


「――結婚、したくないか?」


 ぱちぱちと不思議そうに瞬く。本当に不思議そうに。


「したくなかったら、こうやって住んでないよ? 急にどうしたの?」


 ユエが変なことを言うから――

 うまく説明できなくて、なんでもないと誤魔化しながら、ユエをベッドへと運んだ。

 不安をこうやって誤魔化すのは、本当はいけないのかもしれない……

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