番外編「ビヒトの里帰り」2
ふにゃふにゃとした体はどこに力をかければいいのか全く分からなくて、変に肩が強張ってしまう。居心地が悪いのか、その子はすぐにむずかりだした。
「ビヒトにも苦手なことがあるのね。ちょっと意外」
面白そうに碧の目を細めて、彼の母親はその子を受け取って、すぐにヴァルムに差し出した。
握り潰してしまいそうな雰囲気があるのに、どっしりとしたその体躯に赤ん坊はすっぽりと収まって、うとうととし始める。
経験の差、なのだろうけど心のどこかが面白くない。それを感じ取ったのかどうか、ヴァルムはにやにやと笑った。
「お前さんならすぐ慣れるだろう。自分の子を作ればええ」
「そうですね。ヴァルム様が面倒を起こさなければ、今頃はベテランでしたでしょうね」
「なんでわしのせいよ!?」
部屋の中は小さな笑い声で満ちているので、あながち間違ったことは言っていない。
「それで。ビヒトがそんな格好をしてるということは、どこかに出かけるのかしら?」
テリエルの母親がお茶を淹れてくれて、ソファへと促される。ありがたく従って、テリエルへと視線を向けた。
「はい。父が寝込んでいるらしく。酷い様子ではないようなのですが、いい機会ですので少し顔を見てこようかと。使用人たちにも休みを与えてきました」
テリエルのご両親の手前、執事の姿勢を崩さずにいたのだが、当のテリエルは途中から口を覆って肩を震わせ始めた。
「……テリエル」
旦那の苦笑にこらえきれないというように笑い始め、軽く目尻を拭った。
「だって……その恰好では冒険者のビヒトを思い出すのですもの。脳が混乱するわ。いいのよ、ビヒト。お爺様と話すときのままで」
と、言われても。と、ビヒトも困惑する。執事の自分ももうだいぶ染みついたものだ。「はあ」と情けない返事をすれば、彼女はまたひとしきり笑った。
適当なところでヴァルムを置いて座を辞する。騎士団と魔術部門へも顔を出しておきたかった。
◇ ◆ ◇
夕食の席でラディウスと交わした世間話を隣で聞いていたユエが、あからさまに身を乗り出してきて苦笑してしまう。ラディウスが末席までやってきて居座っているのも悪いのだが、そろそろ戻るよう促さないと、こういう場が得意ではない奥方にも迷惑がかかりそうだ。彼女はユエと気が合いそうだなとは思うものの、世間的にそう大っぴらにもできまい。
ラディウスを追い払ってユエに向き直れば、好奇心満載の瞳がきらめいていた。
「何を聞きたいのですかな? お嬢さん」
「はい! ビヒトさんの故郷ってどこですか!」
元気よく、生徒さながらにビシッと手を上げて問う様がおかしい。
「ここからまだ東、アレイア大公国というところです。そんなに大きな国ではありませんが、歴史あるところですよ」
「魔法の国、と聞こえましたっ」
両手を握りこぶしにする様子に、そういえばユエは魔術にはさっぱり馴染みがないのだと思い出した。魔力がない、というのは、そういうもののない世界で生きてきたから。知らないものには疑問も持ちようがない。それが、今、チャンスを得たとばかりに訊きたがっている。その勢いに少々気圧されはしたものの、特に隠しているわけではないので説明を試みる。
「そうですね。魔術学校がありまして、魔術師を多く輩出している国でもあります」
「ま、魔術師!」
酒気ではなく、興奮で頬を染めて、彼女は両の手を組み合わせた。
「カエルの! ……えっと、紋、も、お爺さんとビヒトさんで作ったんですよね? つまり、お二人とも魔法が使える?」
高くなった声を、途中で自制して、その分彼女は身を寄せた。
ビヒトはいいえと首を振る。
「私が扱えるのは、本来『陣』と呼ばれるものです。魔法の力を書き留めて、魔石で魔力を込め、魔法が発動できない人でも使えるようにしたものです。紋は人体に作用させるためのものですので、厳密には体系が違うのですよ」
「……えっと、魔石、は、魔蓄石で合ってますか?」
「ああ。そうです」
「そうかー。お祭りの時のは、じゃあ、どこかに陣を仕込んであったんですか?」
ああ、と思い出す。あれは、ユエには少し説明が面倒だ。
手にしたものに魔法が付与できるのは今のところ自分だけ。おまけに、雷の魔法は禁忌とされている。
「あれは……そうですね……うーん……我が家は、父も
「ふぇ!?」
ぐいと思案に暮れていた腕にしがみつかれて、驚く。
「……ユエ様」
小声で窘めたけれど、彼女は手を離さなかった。
「ビヒトさん、里帰りするんですよね?」
「……はあ」
「私もついて行かせてください! そんで、冒険者の頃のお話をぜひ、お聞かせいただきたい!!」
「……はあ?」
鼻息も荒く縋りつく様子は周囲には奇異に映っていることだろう。そう思って辺りを見渡したのだが、ユエの奇行は今に始まったことではなかったようで、皆、見て見ないふりをしていた。ラディウスなんかはあからさまに笑っている。
「そんなことを申しましても、ユエ様にはお仕事も……」
「いい、いい。ちょっと世間を見てくるのも大切だ。アレイアは確かにユエにとっても勉強になると思うしな。一年も二年もかかるわけではあるまい?」
面白がるようなラディウスの後押しに、何故だか焦りのような感情が湧いてくる。
「カエル様も、なんと仰るか……」
完全に言い訳めいていたけれど、彼なら渋る気がした。
「連絡しておきます。今、ちょうど護衛で出てるので。ビヒトさんと……お爺さんも行くんですよね? お二人と一緒なら、文句はないと思いますけど?」
こてりと傾げられた首に、それ以上の理由が出てこない。
「ビヒトさんも通ったんですよね? 魔術学校。見られるのなら、見てみたいです!」
そう言ってもいないのに、話の前後から正しく推測できる。ユエは頭が悪いわけではない。
彼女を連れての道程に不安はなかった。それが身体の奥深くから湧いてくるのは、この場では口にできない理由によってだ。
ガルダも言っていた。彼女は異質だと。
ビヒトは「お断りだ」と告げるために息を吸い込んだ。
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