番外編「帰郷」1

※ジョットの里帰りです。近いうちに、なんて言ってましたが、結局次の年の冬になりました。



 帝国の端っこの、ちょっとした山間やまあいに僕の生まれた町はある。

 双子の丘があって、その片方に立っている教会にはよく預けられていた。主教様ひとりの小さな教会だから、手の空いた近所のおばさんやお婆さんたちが代わるがわるやってきて、世間話をしては帰っていく。

 今思えば、そうやって僕を見張っていたのだろう。やんちゃな子供だった僕は、登れるところには登り、潜れるところには潜っていたから。


 乗合馬車を下りると、なんだか閑散としていた。

 いや。多分、いつもこんなものなんだろう。レモーラの方が小さな村なのに、最近は礼拝に来る人が増えているから、特に朝なんかはちょっとした祭りのようなのだ。立ち寄ったパエニンスラも、馬車を乗り換えた帝国のサンクトゥアも都会だったから、どうにも寂しく感じてしまう。

 初冬の冷たい風が吹き抜けて、僕はコートの襟を立てた。

 しばし呆然と街並みを見渡して、それから「そうそう、こんなだった」って苦笑する。9年? 10年? そんなに経つんだと、少しだけ親不孝を後悔した。

 都会で一旗揚げて、呼び寄せるつもりだったのに。まあ、あの人は呼んでも来ないかもしれないけど。

 観光地ではないから、屋台から声がかかるようなこともない。

 よいしょ、と荷物を持ち直すと、母さんの行きつけの食堂へと向かった。


「すいません」

「はーい。お食事? うちは宿はやってないから、部屋は向かいのホテルか教会に頼みなね!」


 他の客の相手をしながら、僕の荷物を一瞥しておかみさんが言う。ちょっと、小さくなったかな?


「鍵を預けてると思うんだけど」


 苦笑して訊けば、彼女は僕を二度見してからあんぐりと口を開けた。


「……まさか、ジョット? ジョットかい?! 何だい! すっかり都会の人みたいになっちまって! ナトゥラは田舎でのんびりやってるなんて言うから……」


 バタバタと傍までやってきて、身体検査するように上半身をパタパタと叩かれる。しまいに顔まで挟まれて、こういうのが鬱陶しかったんだよなって思い出した。


「ご無沙汰してます。一張羅を着てきたから、ちょっといいとこの人みたいでしょ」

「ホントだよ! ちょ……ちょっと座って、なんか食べていきな!」


 そう言って荷物とコートをむしられて、無理やり座らされる。

 これ、どうやってかわしてたんだったかなぁ?

 思い出そうと首を捻っているうちに、目の前にミルクが置かれた。


「……そこは、エールにしてよ」

「ん?! あっ。そうかい? 飲むのかい?」


 何人かいた常連さんが、こらえきれないように笑い出した。


「ちびだったもんなぁ。結局、あんまりデカくならんかったなぁ」

「遺伝ですよ。もう。勘弁してよ」

「何してるんだって? 羽振りは……良さそうだな」

「代書屋やってます。今は、教会関係で仕事回してもらえてるんで、収入安定してて。ようやっと帰ってくる余裕ができたってとこですよ」


 名前はわからないけど、見覚えのある面々に答えていく。


「そうか。ナトゥラも安心だな」

「そういえば、嫁は? いねぇのか?」

「まだですねぇ。フラフラしすぎて」

「けっ。これだから都会に染まった奴は!」


 一人がエールを分けてくれて、改めて乾杯する。話題はどこそこの息子や娘も成人して、なんてことに移っていった。

 タイミングを計ってたのか、たまたまなのか、話の節目に麦と野菜の煮込んだものと小さな鍵が目の前に置かれる。


「部屋は覚えてるかい?」

「やだなぁ。忘れるほど広い町じゃないでしょ」

「そうだけどさ。ナトゥラも分かってるなら仕事休んで待ってればいいのに」

「早めに切り上げるつもりではいるみたい。多分、晩飯にまた来るよ」

「水入らずで食べればいいのに」

「あの部屋狭いでしょ。僕も教会に泊まるつもりだし」

「そうなのかい?」

「別荘みたいなもんだから」

「はっ! この子は! 罰が当たるよ!」


 ケラケラと店中に響く笑い声を聞きながらスプーンを口に運べば、なんだかとても懐かしい味がした。




 教会で待つ約束だからと、それでも一応皿を空にしてから立ち上がる。

 「またな」と飛び交う声は、この町を出た日と少しも変わらなかった。

 それぞれの丘へと向かう、道が二股に分かれるところの手前に母さんの住むアパートはある。あの一間だけの部屋で、どうやって二人暮らしていたのか。思い出すのは教会で遊んでいる記憶ばかりだ。

 母さんに(ずうずうしくも)頼まれた荷物とお土産をベッドの上に積み上げて、軽く手をはらう。ルーメン主教から預かってきたものもあるのだけれど、それは直接渡した方がいいだろう。


「ホント、みんな人使いが荒いよね」


 口に出して一息つくと、滞在先の教会へと足を向けた。

 三角の屋根を見上げながら、ふと、子守歌を思い出す。あれは、ここの景色を歌ったものらしいけど、ルーメン主教はどこで知ったのだろう。割と、地方色の強いものなのに。

 それも、主教様に訊けば分かることなんだろうか。


 何度か補修されているとはいえ、もうかなり古い建物は、近くで見ると歴史を感じてしまうくらいだ。

 別荘、なんて言ったけど、2つ目の家と言ってもいいかもしれない。心の中でただいまと呟きながら、その扉を開けた。

 並ぶ簡素な木製の椅子の一番前、男神像が良く見える場所に、神官服姿の男性が座っていた。頭は薄くなり、もう肌色の方が多いかもしれない。残った髪も色が抜けてしまっている。


「主教様」


 声をかけると、ゆっくりとその人は振り向いた。


「ああ……ちょっと待ってくださいな。なんだか、息が切れて。年を取るといけませんな」

「……大丈夫ですか? 顔色があまり……」

「少し休めば、大丈夫。さて、ご用は……」


 ここでもよそ向きの対応に少々苦笑してしまう。そんなに変わったつもりはないのだけど。コートのせいなのかな。だとしたら、ヴィヴィちゃんに感謝しなくちゃ。


「主教様、ジョットです。お疲れならもうしばらく休んでいてください。部屋はわかりますから、勝手にします。大丈夫ですよ。あちこちで教会にはお世話になってるので」

「ジョット?」


 見開いた瞳は、少し濁っていて、すぐに細められた。


「おお。いたずら坊主がかしこまっとるから、気づかなんだ」

「主教様まで。僕もいつまでも子供じゃないですよ!」

「今は……監獄半島にいるんだったか」

「はい。ルーメン主教にお世話になってます」

「ルーメン……テル・ルーメン、か。私は、噂しか知らないのだが……」

「良くしてもらってます。一度帰るように勧めてくれたのも、彼です。噂ほど酷い人ではないですよ」

「そうだろう……いや、そうであって、良かった」


 主教様の言葉にはずっしりとした重みがあって、微かに浮かんだ笑みには、どこか荷を下ろしたようなニュアンスが感じられた。


「とりあえず、荷物置いて着替えてきますね。話はそれから」


 主教様は黙って頷いた。



 * * *



 着替えにちょっともたついて、ふと窓に移った姿を見て髪の分け目を変える。

 以前、ルーメン主教がしたように。

 話はしてくれなくとも、反応はあるかもしれない。教会ここに泊まることにしたのも、半分はそのためだ。手伝いますって言えば、神官服だって不自然じゃない……たぶん。

 ドキドキしながら礼拝堂へ戻ると、主教様はまだ同じ場所でうつむいて座っていた。ルーメン主教を思い出しながら、いつもより気持ち背筋を伸ばしてゆっくり歩く。

 彼が顔を上げたら驚くだろうか。誰かと見間違えたりしないだろうか。

 歩みとは裏腹に早くなる鼓動を押さえつけたい衝動にかられながら、一歩一歩と近づいて……その場に辿り着く前に、主教様は前のめりにゆっくりと倒れていった。


「……主教様!!」


 反射的に駆け寄り、その顔を覗き込む。

 真っ青な顔に額には脂汗。胸をきつく握りしめる様子に、声を張り上げる。


「誰か!! 主教様が!!」


 手伝いの人がいないかと思ったのだけれど、返事はない。医者を、と立ち上がったその裾を主教様は掴んだ。


「そ…………きょ……さ」

「え?! 今、医者を呼びますから!」

「むかえ、に……ジョット……ジョット、が。これを……あの、子……に」


 首にかかっていた細い鎖を最後の力で引きちぎり、震える手で僕の手に押し付ける。


「主教様、これは?!」

「立派に、なりま、した……よ」


 ふっとその手から力が抜け、床に落ちていく。裾を掴んでいた手も緩んだので、とりもなおさず僕は駆け出した。勢いよく扉を開けた先に人がいるなんて思いもしないで。


「きゃ……」


 すてん、と転んだその人に、僕は慌てて手を差し伸べた。


「あっ……ご、ごめんなさい。大丈夫ですか?! あの、大丈夫なら、お医者さん呼んできてくれると――」


 赤茶の髪の間から見えた瞳が、驚きに見開かれた。


「……フェ……!!」


 なにか叫びかけて、その人は両手で口を塞ぐ。

 それは人の名前だろうかと頭を掠めたけど、今はそれどころじゃなかった。


「母さん! 医者! 主教様が倒れた!」




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