107 重い枷
「……何を。まさか。
「ほぅ。そんな話があったか。なんとなくそう思っただけよ。深い意味はねえ」
そうだ違うと否定しようとして、言葉が出ない。
ビヒトは確かに聞いていたのだから。
『けれど、繋がりは切れなかったの。それはそこにあって、ないものとなった。各地に残った綻びを、最小限の影響に留める為に眷属は遣わされた』
青い月は確かにそこにあり、けれど、確かめに行くとそこにはない。
各地に伝承が残っていて、けれど、普通の人に影響はほとんど無いように思える。考え始めると、どこまでも関連付けてしまいそうだった。
「まあ、ともかくな、お前さんなら、出来ると思うんだ」
はっとして、ビヒトは何の話だったか思い出す。
「紋は、正直手掛けたことがないんだが」
「だが、かじってはいるだろう? わしも出来る範囲で協力はする」
当然だと頷いて、先を促す。
「まず、と言ったな。まだあるのか」
「こういう紋を、胸に」
紋の効力にもよるが、心臓に近いほど影響が大きい。ヴァルムが懐から出した
「どういうことだ?」
「反対か?」
「当たり前だ!」
それは、一般的に『奴隷紋』と呼ばれているものだった。主従契約の従者にほとんど自由の無い、強制力の大きな紋。詳しくないビヒトでも……おそらく、カエルレウムでも判るものだ。
そんな物を施さなくとも、カエルレウムはヴァルムやビヒトの言うことをきちんと聞いている。なんなら、言われなくとも自分を律している。今以上の枷は必要ない。
ヴァルムは、笑んだままひとつ頷いて人差し指を立てる。
「――たとえば、村の誰かに坊主のことがバレたとする。パニックが起きて、坊主を殺せと人々が押し寄せた時……これがあれば、彼は御せると信じさせられる。
「だからと言って!」
「もうひとつ。テリエルと、テリエルの母親に納得させられる。二度とこんなことが起こらないと。彼女だっていくらか坊主と過ごしてる。彼がただの子供だと、どこかでは分かっているはずだ。この紋を受け入れたと知れば、その覚悟は伝わるだろう」
「母親はそうでも、テリエルが受け入れるとは思えない」
「受け入れさせるさ。わしらは家族になる」
「……は?」
奴隷紋と家族という言葉がどうにも結びつかなくて、ビヒトは眉間に皺を寄せた。
「嫁は無理だ。だが、姉弟のようになら、暮らしてもいい。彼女にはそこで手を打ってもらう」
「そんな詭弁が通るか? 彼女だってこの紋のことは知ってるだろう?」
「もちろん。だから、お前さんの協力が不可欠だ」
「お断りだ。カエルレウムには必要ない」
「だから」
ヴァルムはくつくつと笑う。
「テリエルは、お前さんがそう言うと信じてるから、紋はこれに似ていなければならない。一見して誰もが『奴隷紋』だと思えるものでなければ」
「似て……」
そう言われて、ビヒトはようやくヴァルムの目論見が解った。
「じゃあ、効能の無い紋を入れるというのか?」
「いや。契約は結びたい。テリエルとカエルレウムがきちんと信じられるようにも」
「カエルレウムは、受け入れると思うか……?」
「今の状態では、入れた方が落ち着くと思う。誰かが止めてくれる。そう思わせられる」
たとえそう振舞わなくとも、奴隷の立場のほうが安心するという状況は哀しいという他ない。だが、確かに今のままではテリエルだけでなく、ビヒトもヴァルムも遠ざけかねない。どころか、自分の命も諦めてしまいそうだ。
ビヒトの勝手な願いではあるけれど、そんなことにはなって欲しくない。
生きることまで、諦めてほしくない。
「……なんの契約にするんだ?」
「家族の繋がりをつける。普通、身分証でしか確認できねえもんだが、今のままでは、わしらはどうあがいても他人だ。養子縁組では書類上のやりとりしかねえ。それを、魔力を介すことで身分証にも刻まれる契約にする」
「基本は奴隷紋と同じということか……命令系統は排していいんだよな? 追加登録は……」
「どっちも無くてええ。そんで、永久契約だ。永続じゃねえ。紋を消しても続くやつにしろ」
真剣に紋と向き合い始めたビヒトに、ヴァルムは気安く注文をつける。
「ちょっと待て! 永久は奴隷紋では禁止されてるだろ! どう誤魔化せと……」
「削る分はいっぱいあるんだ。少しくれえ足したって……」
「全く違う紋になるだろ! くそ。永続を繰り返すよう流れを変えて……いや、それなら紋を消せばそれまでか……」
「ここと、ここと……ここもいらねえな」
「いらなくとも、そう見える何かは刻んでおかなきゃならない……ああ、もう! 資料がいる。もうすぐアレッタも来るし、店も開けないと……」
一旦
「また夜に。ヴァルムは休め」
「おう。一眠りしたら交代する」
頷きながら、ビヒトは外していた首元のボタンをきっちりと嵌め直した。
◇ ◆ ◇
満月が来て、カエルレウムの体調は良くなった。
テリエルに会えないことで不安は拭えないようだったけれど、紋の話をすると真剣に耳を傾けていた。腕の紋は二つ返事で承諾する。胸の紋は概要だけの説明になってしまうので、少々困惑も見えた。
「家族? 俺を?」
「そうだ。テリエルに二度と同じことをさせないためでもある。坊主をどこにもやらず、何かあった時に守るためでもある。ある……が、見た目はこういう紋になる。無理にとは言わねえ」
ヴァルムの示した紋は一般の奴隷紋だ。実際に使用するものは難航していて出来ていない。
書斎の本を片っ端から覗いているカエルレウムにとって、それが何かはすぐに分かったようだ。しばらくじっと眺めた後、ヴァルムとビヒトを順番に見つめる。
「テリエルの母のように坊主を怖いと思う人間が、怖さのあまり坊主を排除しようとした時、お前はわしのものだと、あるいは、テリエルのものだと知らせれば、相手の恐怖を和らげられるかもしれない。その体質を悪用しようと近付く者を遠ざける手助けにもなる。よく、考えろ。簡単には決めるな」
「テリエルは帰らないの?」
「あいつは帰ると言わねえ。今回のことは、風邪をこじらせたってことになっとる」
もう一度、紋に視線を落とすと、カエルレウムはゆっくりと頷いた。
「わかった。考える」
幼いカエルレウムにそれほど思考の余地はないだろう。
それでも、その表情から反発や苦悶は感じない。ヴァルムの言う通り、今は何かに縛られるという状況の方が安心するのかもしれなかった。
テリエルは起き上がれるようになるまで七日ほどかかり、ベッドから下りられるようになるまでには半月ほど必要だった。療養と予後観察と称して紋が完成するまでベッドに留めて、二人を会わせられたのはテリエルが倒れてからひと月以上が過ぎてからだった。
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