74 魔術学校の少年

「……は? …………はぁ?!」


 驚きすぎて、間抜けな声しか上げることが出来ないビヒトに、厩務員はやれやれと息をついた。


「前の貸し出しが帝都になってたが、間違いないか?」

「は、え? あ。そ、そうです」

「もちろん、その時は兆候は無かったんだよな?」

「たぶん。借りる時も何も言われませんでしたので」


 考えてみれば、帝都を出てからフルグルを冒険者組合ギルドに預けるのは初めてだった。ずっと、一般の宿を借りていたのだ。


三ヶ月みつきから四ヶ月よつきってとこだと思うんだが、ここじゃあ詳しく分からねぇ。まあ、本竜ほんにんは元気そうだから、行けるなら一度デカいとこに連れてった方がいいかもな。無理なら、こっちで専門の医者を回してもらうが。その様子だと、相手は分からなそうか」


 フルグルがその辺の野生種や安宿で一緒になるような一般の冒険者の乗る竜馬を相手にするはずがない。

 三ヶ月から四ヶ月前というなら……


「ヴァルム、の」

「ん?」

「しばらく、二頭でいた時間があった。可能性があるなら、あいつだ」


 特に仲がよさそうだと思ったこともないが、ヴァルムの竜馬が不審な怪我をしていたこともない。平和裏にコトは進んだのだと見える。


「全然、分からなかった」


 ヴァルムが同じ帝都から借りた竜馬だと告げてから、呆然と肩を落とすビヒトに「まあまあ」と厩務員は笑った。


「俺も竜馬の種付けは決闘のようだと聞いてるから、同じ立場なら気付けないに違いない。そういうことなら、彼女主導のことだったんだろうよ。ご機嫌だしな。順調そうだからそんなに気にすることはない。なんならひとつも被害が無いなんて目出度いことだ。ほら、散歩に連れていってくれていいぞ」

「あの。産まれてくるのってどのくらいなんですか」


 竜馬の生態に全く詳しくなくて、おずおずとビヒトは訊ねる。


「一年弱ってとこかな。来年の春から夏にかけてってとこだ。楽しみだな!」


 曖昧な礼を言って、ビヒトはフルグルの手綱を引く。楽しみも何も驚きしかなかった。

 身体の変化も気付かず乗り回して、何事もなかったことに安堵する。ぐずぐずと遠回りだが、ゆっくり来たのも偶然とはいえ良かったのか。


「……ああいうのが、好みだったのか?」


 確かに、頭が良くてヴァルムからの指示も黙ってこなしていた。フルグルに比べれば主張が少なくて、人間に例えるなら無口で渋いエリートタイプだ。フルグルには物足りないんじゃないかと勝手に思っていた。

 少し首を傾げたフルグルは、ヒトの言葉など解りませんと言うようにつんと顎を上げた。


「パエニンスラに置いてきた方が良かったのかな……」


 続いた呟きには、口先でビヒトの頭をどつく。


「……っっ」


 フルグルは振り向いたビヒトには目もくれずに、しれっと前を向いている。

 解っているのか、そうじゃないのか、いつも微妙な気持ちにさせられる。


「ともかく、そういうことならあまり無理はしないでくれよ」


 少し近寄って、首筋を撫でてやると、フルグルはクルルルと嬉しそうに鳴いた。

 観光客の流れとは反対に向かって、本当に散歩程度の速度で歩いていく。魔術学校の裏手から奥へと入ると、なんだか昔に戻った気がした。

 一度湖から離れて、また湖のほとりへと出る。よくそこで発動しない呪文を何度も唱えたなと、ビヒトは過去の幻を見る。


「――アクアグランス!」

「え?」

「……えっ? あっ! うわああ!!」


 幻だと思った後ろ姿は、どうやら本物の人間で、振り返りざまにフルグルを見て驚き、足を滑らせた。


「お……っと」


 ビヒトは間一髪その腕を掴まえて、晩秋の寒中水泳をなんとか阻止する。

 まだ小さな体に大きめのマントは新入生を思わせた。


「大丈夫か? 驚かせてすまん。こっちの竜馬は冒険者組合ギルドで調教されてるから、人を襲ったりしないから……」


 ふと、昨日もこの奥で誰かに驚かれたなと思い出す。


「もしかして、昨日のも君か?」


 まだドキドキしているのか、胸に手を当てたまま少年はがくがくと首を縦に振った。

 ちょっと可笑しくなって、でも笑っちゃ悪いと、ビヒトはにやける口元を押さえながらフルグルを振り返る。


「フルグル。好きにしてていいぞ。帰る頃、呼ぶ」


 クルルルと返事をして、彼女はそのまま奥へと駆けていった。


「こ……声……」

「可愛いだろ。でも、野生の奴等はあれで人を油断させる。近付いちゃダメだぞ」


 フルグルの後ろ姿を目で追っていた少年は、はっとして背筋を伸ばした。


「あ。ありがとうございました! えーと……あの……」

「気にするな。ただの通りすがりだから。練習、続けてくれ」


 カッと紅潮する顔に、当時の自分が重なる。


「ここ、あまり人来なくていいよな。でも、もう少し奥には野生動物も出るから、気を付けて。ナイフくらいは持ってるよな?」

「……はい」


 少し疑問の表情を見せた少年に、じゃあ、とビヒトは片手を上げた。


「あ……あの!」


 顔だけ振り向いたビヒトに、少年はいっとき怯んでから、弾けるように飛びついてきた。


「もしかして、この辺り詳しいですか? 冒険者さんですよね! 『雪待草ニワリス』の見分け方、教えてくれませんか!」

「……構わないが……あれは、授業では使わないよな?」

「えっ? あの、はい。授業ではなくて……その、小遣い稼ぎに……」


 尻すぼみの声と、もじもじと合わされる指。

 魔術学校に入っていて金を欲しがる人間の理由は、概ね二通りに分かれる。酒やパーティなんかの良からぬ集まりに注ぎ込みたいか、入学後の授業料の工面だ。実は、そこが払えなくてやめていく人間も一定数いる。

 少年はと言えば、見た目からいえば後者だろう。


「アルバイトは禁止されていないはずだが。普通の働き口を探すのは駄目なのか?」


 ピクリと少年の動きが止まる。少し怯えたような瞳はすぐに下を向いた。


「……詳しいですね? バイトだと、急な出費に対応できなくて。ギルドに持っていけば冒険者登録が無くても換金してくれるって聞いたから……」

「友達面したヤツに脅されてんなら、渡すことはないぞ」

「あ。そ、そういうことは、今のところなくて。と、いうか、話しかけてもこないっていうか……」


 ビヒトはふっと息を吐き出す。


「なら、いいが。少し奥になるから、離れるなよ」

「はい……すみません。諦めます……? ん? え?」

「ほら、離れるなって」

「は……はいぃ!?」


 慌てて駆け寄る少年の白黒する瞳が可笑しくて、ビヒトは少しだけ笑った。


雪待草ニワリスは花がついてると判りやすいんだが、そうすると毒の成分の方が強くなって値段が下がる。今の時期に探そうとすると、よく採ってるはずの冒険者でも間違うことがある」


 ひょいと屈みこんで、少年を手招きすると、ビヒトは二つの同じような植物を指差した。


「見分けがつくか?」


 どちらも細長い葉が複数伸びて、緩やかに地面へと弧を描いている。

 真剣な顔でしばらく見比べて、やがて少年は首を振った。


「……うぅ。判りません」

「だろうな。同じ植物だ」

「ええ!?」

「無理に違いを探さないとこはいいところだ。判らない時は採るな」


 解ったような、解らないような顔をして、少年は一応頷いた。


「じゃあ、次。これは?」


 少し場所を移動して、次にビヒトが指したのも同じような植物だった。並んだ二つはけれど、片方の葉が細くて株が小さい。

 今度は葉に触ったり、裏返して見たりして少年は顔を上げた。


「これも、同じじゃないですか?」


 ビヒトはにやりと笑った。


「そうだな。じゃあ、この辺りで違うものはどれか」


 いくつかを見比べて、少年はやがてひとつを指差した。


「これ、が違う気がする。葉の厚さが少しだけ厚い」

「正解。では、どちらが『雪待草ニワリス』か」


 少年はきょとんとビヒトを見上げた。


「これがそうじゃないんですか?」

雪待草ニワリスが見分け辛いのは、集団が好きな株と、似たような植物の間にぽつんと挟まるのが好きな株があるところだ。集団が好きな株は孤独な株より葉の厚さが薄い」

「めんどくさっ!」


 顔をひきつらせた少年に、ビヒトはにっこりと微笑みかけた。


「そこで、裏ワザがある。君に少々の才能があれば問題は急に簡単になるんだが……聞くかい?」


 才能という言葉に、一度自信なさげに俯いたけれど、少年は顔を上げて頷いた。


「お願いします!」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る