45 花の丘で

 竜馬は振り返って不服そうに喉を鳴らしたが、ビヒトが首筋を撫でてやるとまた上機嫌に前を向いた。


「これだ。顔の良し悪しで決めてる訳じゃないだろうなあ」


 笑う厩務員は確かに二枚目ではない。慣らされているとはいえ、舐められるような人物が管理するのは難しいので、竜馬の厩務員はそれなりの強さを持ち合わせている。結果、ごつくて岩のような印象の者が多いのだ。


「それって、この子メスだったりします?」


 竜馬の背に手をかけながら、マリベルが首を傾げた。


「ああ、そうだ。竜馬はメスの方が気性が荒い。発情期にオスが何頭か減るのは当たり前だな。あんまり減らされると困るから、メスの数は多くないんだが……希少な一頭だ。大事に乗ってくれ」


 「へえ」とビヒトとマリベルの声が重なった。竜馬ほんにんはすまし顔である。


「名前とかはあるのか? 指名するってのはみんなどうやってるんだ?」


 ビヒトは今回、前回と同じ竜馬で、と頼んでいた。その前まではそもそも指名できるとも思っていなかったのだ。


「正式には番号で管理してるんだが……足に金輪がついてるだろ? 特徴的なやつにはあだ名がついてる。そいつは『フルグル』。街々で違う奴もいるんだが、メスって特徴もあるから判りやすいみたいで、だいたいその名で通ってるようだ。蛇足だが、前回あんたたちが向かった辺りで捕獲された個体だから、ここの管理が一番長いな」

「なるほど。フルグル。今回もよろしく」


 色々納得して、まだ話も聞きたかったけれど、ビヒトはそういいながら竜馬に跨った。日帰りの予定なので、のんびりもしていられない。

 腕の調子を確かめつつ、手を振る厩務員に視線だけで挨拶してゆっくりと出発する。

 目の前のマリベルも、久しぶりの竜馬に緊張しているようだった。


 駆けたそうに時々振り返るフルグルを宥めつつ、しばらくは並足程度で様子を見る。マリベルの緊張が取れてきてから、徐々にスピードを上げた。

 今回は街道を行く事もあり、マリベルはきょろきょろと辺りを見る余裕もあるようだ。目ざとく道端の屋台を見つけては寄ってくれと頼みこむ。


 フルグルが嫌がるかと思ったが、マリベルが買ったものをちょこちょこ分けているので、そのうちビヒトが指示を出さなくても、屋台を見つけるとスピードを落とすようになった。

 取れたての野菜や果物、それらを搾ったジュース。小麦粉を溶いて薄く伸ばして焼き、卵や野菜、肉類などと一緒に巻いた軽食など、帝都で出ている屋台とは一味違って面白いのは確かだ。


「馬車移動だと、こうあちこちに止めてもらうのは無理があるから、フルグルに乗せてもらえて良かったかも!」


 真っ赤に熟れたトマトをフルグルの口に放り込みながら言うマリベルに、現金なものだなとビヒトは苦笑した。




 フローラリアには昼過ぎに到着して、そのまま『花の丘』と呼ばれる観光名所へと足を向ける。

 もう少し前の季節の方が咲いている花の種類が多いらしいのだが、ビヒトには丘一面に縞を描くように咲く花々のどこが少ないのか分からなかった。

 今の見頃は陽に例えられる黄色の花ヘリアンサスと、棒状に小さな花が並ぶ紫の花リベレで、近づくと蜜を運ぶ蜂たちが忙しなく花から花へと飛び交っていた。

 どちらも夏の日差しに負けない力強い色を大地に広げている。


 日差しを避けて森の遊歩道へと入れば、リスや小鳥などの小動物が目を楽しませてくれた。

 マリベルも子供のようにはしゃいでいて、見つけた物をいちいち指差してはビヒトに報告してくれる。森を抜ける頃には肩で息をついていて、ビヒトはこっそりと笑った。


「楽しいか?」

「え? うん……何? なんか変だった?」

「いや。気晴らしになってるならいい」

「あ。やだ! 忘れてたのに! 思い出させないでよ!」


 軽く振り上げられた拳を避けて、ビヒトは小さな木製のログハウスを指差す。


「ちょっと休憩しよう。中は土産物屋みたいだ」


 外にはテーブルと椅子がいくつか並んでいて、飲み物やつまめる物がありそうだった。

 ドライフラワーやはちみつ、はちみつを練り込んだパンやクッキーなど、小さな小屋の中は多くの商品で溢れている。花の香りか、お菓子の香りか、甘い匂いが立ち込めていた。

 花を模ったイヤリングにネックレス、透明な石の中に花を閉じ込めたブローチなどをマリベルは熱心に眺めている。


「欲しいのか?」

「ううん。デザインの参考に」


 真剣な表情に、ビヒトはそのままマリベルから離れて店の中をゆっくりと一回りした。

 まだその場から動いていないマリベルを見て、目を着けた蜂蜜酒を持ってカウンターに向かう。


「これと、ローズティーふたつ」


 少し割高だと思った名物の紅茶には、クッキーがついてきた。はちみつ入りだと店員が説明してくれる。

 盆を借りたビヒトがマリベルに声をかけると、やや驚いて外へと出て来た。


「何か買ったの?」


 ビヒトに倣って椅子に腰を下ろし、マリベルの目は紅茶に向かう。

 ビヒトは彼女の目の前にカップを置いてやった。


「蜂蜜酒。寝酒にいいかと。冒険者組合ギルドには酒だけは置いてないからな」

「ふぅん。これは?」

「ローズティー。クッキーには蜂蜜が入ってるらしい」

「へぇ……あ、ほんと! すごい、いい香り!」


 カップを持ち上げたマリベルの瞳がきらきらと輝いた。一口飲んで、そのままソーサーに乗っているクッキーに手を伸ばす。

 口に運ぶさまが先程森で見たリスに似ていて、ビヒトは笑いをこらえるのに苦労した。


「楽しそうだなぁ。混ぜてもらっても、構わねぇか?」


 からかうような、ドスの効いた声が降ってきて、ビヒトは振り返りざまに椅子から立ち上がった。腰の短剣に手をかけて、マリベルを背に庇う。

 大きな男の後ろでその服を引っ張っている少年と、申し訳なさそうに目礼した少年がまず目に入った。

 驚いて、声の主を見上げる。


「……ヴァルム?」

「よぉ」


 のんきに手を上げたのは間違いなくヴァルムで、後ろには苦々しい顔をしたラディウスと肩を落とすセルヴァティオが並んでいた。


「すまん……止めきれなかった」


 謝るラディウスに我に返って、ビヒトは警戒を解いた。


「いや。それより、なんでここに」

「ビヒトさん、彼女固まってますから、まず、挨拶を」

「え?」


 セルヴァティオの言葉に振り返ると、ヴァルムを見て目を見開いたまま、確かにマリベルが固まっていた。


「あ……だ、大丈夫だ。これが、待ち合わせしていたヴァルムで……」

「これとはなんじゃい」

「俺はラッド。こっちがティオ。ビヒトさんの友達。おーけぃ?」


 ビヒトの言葉にも、ヴァルムの言葉にも被せるように口を挟んで、ラディウスが一歩前に出る。

 固まっていたマリベルも、咄嗟にカップを置いて差し出された手に手を伸ばした。


「あ、ま、マリベルです」

「マリベル。よろしく。邪魔して悪かったけど、座ってもいいかな」

「ど、どうぞ」


 よく解らぬ間にラディウスが場を仕切っている。

 椅子をいくつか寄せて、とりあえず、全員が座った。


「ちょっと前から気付いてたんだけどさー。デートの邪魔とか野暮だろ? 予定通り帝都で会いに行くつもりだったんだけど……」

「父が、どうしても今声をかけると……」

「明日じゃ、娘さんはいないじゃねえか。こういうのは現場を押さえんと」

「現場って、なんだ」

「叔父貴は顔が怖いんだから、脅かす真似はやめろって言ったんだけどなー」


 ラディウスの言葉の端々にいつもと違うものを感じて、ビヒトはじっと彼を見つめた。


「ラディ……」

「ラッド。ティオの従兄弟のラッド、だ。忘れたわけじゃないだろう? 頼むよ〜」


 ビヒトの声に被せるように再び名乗って、ラディウスはにこりと笑った。

 セルヴァティオに視線を向けると、困ったように小さく頷く。念の為というか、ヴァルムと目を合わせると、二カッと笑われた。


「坊主二人連れ歩くのは久しぶりだ。もう肩には乗せられんがな。嬢ちゃんなら、まだいけそうだなぁ」


 急に話を振られたマリベルは、あたふたと突き出した両手を振る。


「え。いえ。遠慮します……!」

「大丈夫だ。ビヒトも負ぶってやったことがある」

「へ?」

「ヴァルム。成人前の話じゃないか。もう成人した女性には失礼だろ」


 ガラガラと空気を震わすような笑い声に、マリベルは小さく肩を跳ね上げた。


「そうだな。じゃあ、馴れ初めを聞こう。ここまで女っ気のなかったビヒトをどうやって誘惑した?」

「……へ?」

「ヴァルム!」


 腹立ちまぎれに手元のクッキーを投げつけると、ヴァルムは器用に口で受け止めてぼりぼりと噛み砕き、唇を舌でべろりとなぞった。




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