32 賑やかな道中
帝都では、ここひと月ほどで金や銀の値段が上がっていた。
少しでも利益を出そうと思えば売値を上げるか、仕入れ値を安く抑えるしかない。
鉱山のある北西の山までとはいかなくとも、その山から流れてくる川沿いの街まで行けば採れる砂金もあるはずだから、そこそこの値段まで抑えられるはずだ。と、少女は説明した。
「足代考えたら、あまり変わらなくなったりしないのか?」
「あら。必要経費は払ってもらえるのでしょう?」
「……そういうことか」
「あと、道中不安だから護衛代わりについて来てね」
言葉に詰まって、ビヒトは少女の得意気に上がった口元を見下ろす。
「……そういうことか」
経費も浮くし、荷物持ちの手も増える。信用と天秤にかけて、彼女は利益を取るようだった。もしかしたら、マスターのビヒトに対する態度が彼女に信頼の割合を増やしたのかもしれないが。
「俺は待ち合わせしている身だから、あまり遠いのは困るんだが」
「馬車を乗り継いで二日ばかりのとこよ。中一日買い付けても、五日ばかりで戻って来れるんじゃない?」
ヴァルムと言えど、さすがに五日でやってくるとは思わないが、こちらにだってやりたいことがある。
顎に手を添えて、ビヒトは暫し思案した。
「馬には、乗ったことがあるか?」
「え? い、一応?」
「じゃあ、足はこちらに任せてもらおう」
にやりと笑ったビヒトに、少女は少々怯みながらもわかったと手を差し出した。
◇ ◆ ◇
「うーそーつーきーーー!!」
「うるさい。黙ってないと舌噛むぞ」
軽やかに走っていく竜馬の背中で、少女はもうずっと文句を言っていた。
昨夜、結局家まで送り届けたビヒトに少女は「マリベル」と名を告げた。次の朝、時間通りに迎えに来た男に感心したのも束の間、家の前には爬虫類顔の生き物が鎮座していたというわけである。
「馬じゃないー! これ、馬とちーがーうー!!」
「馬より体力あるんだ。速いのが怖いなら、顔上げて遠くを見てろ」
「やーーーーー!!」
叫ぶマリベルも予想の範囲内だというように、ビヒトは笑ってさらにスピードを上げた。
「ヒドイ。鬼! 悪魔! か弱い乙女になんてことしてくれるのよ!」
「そんだけ叫び続ける元気があって、飯が食えてりゃ、何の心配もないだろ」
昼を過ぎた頃、休憩だと言って立ち寄った街で、二人と一頭は食事をとっていた。
「サイテー。あんたがモテない
「モテたいとも思ってないから、別に何とも思わん。だいたい、タダ働きなんだ。多少サービスが落ちるのは仕方ないことだろ。今回は速さを取った。それだけだ」
「チップでも払えば、少しは快適にしてくれるって言うの?」
「金額分の仕事はするさ。ま、だが俺は冒険者だ。この後はちょっと近道をするつもりですので、ご主人様?」
ひくり、と顔をひきつらせた後、マリベルはビヒトに向かっていーーーっと歯を剥いた。
宣言通り街道を逸れると、それまで煩いくらいだったマリベルがぴたりと大人しくなった。
揺れが増えて舌を噛みそうになるからかもしれないが、ビヒトはさすがに少し心配になる。
「……大丈夫か? 食い過ぎで気持ち悪くなってたり……」
裏拳が飛んできて、ほっとするも、その手が少し震えていた。スピードを落として様子を見る。
「この、森を越えるの?」
「ああ。突っ切ればかなり早く着く」
「この辺に野犬が増えて……商人を襲うようになったから、帝都に入ってくる物が減ったんじゃないかって……噂が……」
「らしいな。野犬くらいなら、群れでいても大丈夫だ。竜馬が蹴散らしてくれる」
「本当に?」
「彼等は強い。俺より頼りになるさ」
ぽんぽんと竜馬の身体をビヒトが叩くと、クルルと可愛らしい声が応えた。
「顔に似合わず、なんでそんなに可愛い声なのよ!」
「獲物を油断させるため、って聞いたな。野生の竜馬は危ないから、この声を聞いたら近付くんじゃないぞ」
「野生じゃなくても、普通は危ないじゃない!」
「そう感じるなら、それは乗り手が侮られてるんだ。確かにそういう輩にも近付かない方がいいな」
「……え? それって……」
マリベルの声を遮るように、ギャッギャッと竜馬が警告の声を上げた。目の前でマリベルの身体がびくりと反応する。
ビヒトはいつもとは逆の右側に下げていた剣の柄に手をかけた。
「手綱に腕を絡めてしっかり掴まってろ。振り落とされなければ大丈夫だ」
彼女が言われた通り手綱を握るのを見届けてから、ビヒトは前を向いて速度を上げた。
木々の間を駆け抜ける。
右の死角から、何かが飛び出して来た。「きゃっ」と身を竦めるマリベルに少し覆い被さるようにして、それを切り伏せる。
一匹飛びかかってきたら、後から続けとばかりに牙をむいて、野犬たちは次から次へと飛びかかってきた。
「ぃ、やぁーーーっ!」
涎の垂れる鋭い牙の並んだ野犬の口元を見て、マリベルはパニックを起こしかけていた。
「馬鹿! こんな時ばかり見るな!」
左手で彼女の目を覆い、前傾したまま胸元に引き寄せる。前から来るものは竜馬に任せて問題無い。右からは斬れる。左は――
「……ま、待って。待って。あなた、両手、はな……離して……」
「心配ならちゃんと掴まっててくれ! おとなしくしててくれるなら、左も使える!」
いいながら、左前方から来た個体に身体を捻って対処する。なんとか剣が届いてほっとする。そのまま右にもう一閃。
ふぇ、と情けない声を上げつつも、マリベルは手綱を握り直した。
一波越えたところで、ざっと辺りを見回したビヒトはその数の多さに眉を顰める。三十匹以上はいそうだった。なるほど。この数に襲われれば、普通の商人では対応できないに違いない。
ビヒトはそっとマリベルの目を塞いでいた左手を離して、その耳元に囁いた。
「俺が落ちたら、一番近い街で待ってろ。そこまでは竜馬が連れて行ってくれる」
「え? 何? なんで? 落ち……」
「思ったより数が多い。うざったいから、減らしていく――そういうことだ。お前も、よろしく」
ポンポンと竜馬を叩いてやれば、可愛らしい声が返事を寄越した。
第二波も先陣は右からだった。二匹立て続けに切りつけると、左、ほぼ真横から大きめの個体がビヒト目掛けて飛び込んできた。
少し体を下げて、突っ込んできた首根っこに腕を回す。野犬を抱えて、勢いのまま竜馬から滑り落ちた。
「や……っ……やぁ……!! ビヒトぉ!!」
「落ちるなよ!」
この世の終わりみたいな声を出しながら振り返るマリベルに、ビヒトは身体を捻って、飛びこんできた個体をクッション代わりにしながら、のんきにそう返した。
竜馬はスピードを落とすことなく一目散に森を駆ける。
「待って……待って……彼を、置いて行っていいの? むり……あんなに、いっぱい……」
マリベルはそう言うものの、あの場に戻る度胸は無かった。手綱にしがみついているのが精一杯で、零れてくる涙を拭う余裕もない。クルルと鳴く声は大丈夫とマリベルを慰めているのかもしれなかったが、彼女には伝わっていないに違いない。
野犬は落ちたビヒト目掛けて一斉に飛びかかったようだった。竜馬を追ってくるものは一匹もいない。マリベルが嫌な事ばかり想像しているうちに、森を抜け、街道に出て、竜馬はさらにスピードを上げた。
小さな村なのか街なのか、集落が見えてくると、疾走する竜馬に人々が気付き始めて指をさしている。
入り口付近で体格のいい数人が武器を手に待ち構えていた。
竜馬は足を揃えて横滑りしながら勢いを殺すと、背からマリベルを振るい落とした。
「うわ」
「ひゃ……!」
マリベルが待ち構えていた男たちの腕に収まるのを見て、そのまま竜馬は首を返した。元来た道を駆け戻り、あっという間に見えなくなる。
残された者達は、誰も彼も呆気にとられるのみだった。
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