33 不機嫌の理由
ビヒトが竜馬から落ちたのを確認すると、野犬たちは竜馬を追うのをやめた。一斉に向きを変え、ビヒトへと向かってくる。
ビヒトは出来るだけ引きつけてから、左手の腕輪に魔力を流した。
頬を掠める風は、次の瞬間には暴風となり、飛び込んできた野犬を纏めて引き裂いていく。辺りがあっという間に赤く染まり、後続の野犬たちは怯んで瞬間足を止めた。
ビヒトはゆっくりと立ち上がり、下敷きにした個体にもとどめを刺しておいた。
膨れ上がっていた群れの半数がビヒトに触れられもせずに引き裂かれた頃、野犬たちはようやくおかしいと気付いたようだった。低く唸りながらビヒトを遠巻きにし始める。
もちろんビヒトも黙って突っ立っている訳ではない。尻込みし始めた野犬たちへと踏み込んでは剣を振る。
それだけで、また数匹息絶えた。
ビヒトの剣を避け、後ろに下がったものだけがまだ命を繋いでいる。
その時、森の奥から遠吠えが聞こえてきた。
野犬たちはそれを聞いて、一匹、また一匹と引いていく。
最後までビヒトと睨み合っていた一匹が身を翻したところで、ビヒトは腕輪の力を解除した。
遺跡に行くつもりなら使う場面もあるかと、持参しておいたのが幸いした。
あの群れをあっという間に三分の一ほどまで減らせたのではないか。できれば、遠吠えの主であろう頭目を叩いておきたかったところだが……人間の足では追いつけまい。
すっぱりと諦めて、ビヒトは街道へ出るべく踵を返した。
しばらく歩いたところで、クルルル、と竜馬の声が聞こえてきた。
「こっちだ!」
ビヒトは声を上げる。
すぐに聞きつけて、竜馬がやってきた。
「ご苦労さん。助かった」
身体を撫でて、干し肉を食わせてやろうとしたら、竜馬は森の奥へと首を向けた。血の匂いがしているのかもしれない。
「生の方がいいってか……綺麗に食べないと、彼女失神しそうだぞ?」
甘えたような声に、まあいいかとOKを出す。
竜馬が満足する頃には、口の周りも胸元も真っ赤に染まっていて、ビヒトは苦笑した。
そのままざぶざぶと入られて、ビヒトは焦る。
「あ、こら。俺を下ろせ」
忘れていたと言う風に振り返って、竜馬は岸まで戻ってくれた。
ビヒトは岸に座り込んで竜馬の水浴びをぼんやりと眺める。黙っていると日差しに焼かれて暑い。そのまま一緒に入っても良かっただろうかと、少し後悔した。
今度こそ街道に出て、マリベルが待っている集落まで駆ける。
集落の入口付近にガタイのいい男が立っていて、竜馬を見ると駆け寄ってきた。
「さっき、こいつが女性を預けたと思うんだが」
「あんた、彼女の連れか?! 野犬の群れに襲われたって……」
「ああ、大丈夫だ。彼女は何処に?」
こっちだ、とその男はわざわざ先導してくれた。
近くの酒場に連れていかれて、とりあえず、脇に竜馬を繋いでおく。中に入るとおばちゃんの人だかりと、それを少し遠巻きにしている数名の男性がいた。
「ほら、連れが迎えに来たぞ。ちゃんと無事だ。良かったな」
その言いようにビヒトは首を傾げたが、振り返る女性達の痛いくらいの視線に、思わず進めていた足を一歩引く。
「……うそっ! だって、犬たちは一斉に飛びかかって……!」
「背丈はあるけど、強そうには見えないね」
「見たところ、大きな傷はないようだし……」
「怖かったんだね。ほら。よかったじゃないか」
彼女達に押し出されるようにしてマリベルはビヒトの前にやってきた。目の周りを赤く腫らして、洟を啜りあげている。
「……どこか、怪我してたか?」
「こっちの、セリフ!!」
堰を切ったようにぼろぼろと泣き出して、マリベルは拳を振り上げた。握ったまま叩きつけられそうになるそれを、ビヒトは軽く受け止める。
「おいおい。拳はやめろ。平手にしとけ」
「なんでよ、もー! 殴らせなさいよ! 何でそんなに涼しい顔してんのよ! どういうことよ!」
「下手に殴ると指を痛める。商売道具だろ?」
はた、と動きを止めて、マリベルはビヒトを見上げた。目が合うと、みるみる眉間に皺が寄って、平手が飛んでくる。
スパーンといい音がして、男性陣は目を覆った。
「気が済んだか? 何をそんなに怒ってるんだか……」
「そういうところ! そういうとこよ! 心配してるのはこっち! あんな無茶して……かすり傷しかないって、どういうことよ!」
「心配されて殴られるのは納得いかないんだが……別に無茶はしてない。ちゃんと勝算があるからそう動いただけで。減らしていくと言っただろう?」
「知らないっ。モテないんじゃないのね。何人泣かせてるのよ」
「……は?」
むくれて、それっきり黙り込んでしまったマリベルにビヒトは途方に暮れる。女性達は生温かい目でふたりを見守っているし、なんだか居心地が悪かった。
ビヒトがどうしたものかと視線を彷徨わせているうちに、案内してくれた男性が話しかけてきた。
「野犬に襲われたというのは、本当なんですか? 近頃、被害が多くなっているのは確かなのですが」
「ああ。三十から四十はいたかな。半分以下には減らしたから、被害は少し減るだろう」
「半分以下、ですか?!」
「護身具を持ってるんだ。一人の力じゃない。それに、リーダー格はいなかったらしい。撤退していったけど、追えなかった」
「いえ。もちろん、充分です。ありがとうございます」
「余裕があるなら、また増える前に依頼出して狩ってしまった方がいいかもしれない。頭は面倒な気がする」
「……はい。検討します」
ビヒトは頷き返して、不機嫌そうなマリベルを促した。
「ともかく、先に行こう。目的地はもうすぐだろ?」
「お兄さん、その子、犬は怖いみたいだから、帰りは別のとこを通っておやりね」
「そうなのか? 元から?」
マリベルは視線を逸らしたまま返事はしなかったけれど、結んだ口元がむにむにと揺れたので、間違いなさそうだった。
「……それは……悪かった」
「別に! 言わなかったし。もう、いい!」
マリベルは言い放つと先に酒場を出て行った。
ビヒトは丁寧に頭を下げてから、彼女の後を追おうとして、女性の一人に袖を引かれた。
「彼女、あんたが死んじゃったって酷く取り乱してたから、ほっとして感情のセーブが出来なくなってるんだよ。少し優しくしておやり。まあ、若いんだから、一晩も一緒に過ごせば、すぐ仲直りしちまうんだろうけどね」
「あ、いや、俺達は……」
そういう関係ではないと言おうとして、ビヒトは結局、曖昧に笑って誤魔化した。ここの人達には、そんなことどちらでも構わないだろう。
もう一度礼を言って外に出ると、竜馬の横でマリベルと案内してくれた男性が何か話をしていた。男性が先に気付いて、振り返る。
「もう行くかい」
「ああ。世話になった」
「いや。こっちこそ野犬、助かった。気を付けてな」
「もう、この先は街道を行く。ありがとう」
話している間に、竜馬は伏せて彼女を乗せる体勢になっていた。気付いた男性が彼女に手を貸してやる。
「すごいな。これだけ信頼されてるのは久しぶりに見たよ」
「そうか? ギルドの調教のお陰かな。頼りっぱなしだ。呆れられなければいいが」
「見事なUターンだったぞ。乗り手が生きてると思わなければ、ああはいかない。まあ、振り落とされたみたいになった嬢ちゃんは可哀相だったかもしれないが」
「そうなのか?」
眉を顰めて竜馬に視線を移すと、竜馬は心外だと言う顔をした。男性も喉の奥で笑っている。
「ちゃんと人の方に放ってくれたから、大丈夫だ。いい相棒だな」
「借りものだけどな」
「気に入られると、同じヤツに当たるらしいぞ。俺を出せって厩務員に主張するらしい」
「そうなのか?」
「まあ、酒の席で聞いた話だけどな」
笑う男性の横をすり抜け、ビヒトは竜馬に跨る。マリベルを抱え込むようにして手綱を握ると、スッと竜馬は立ち上がった。
特に気にしたことはなかったが、もしかしたらパエニンスラから来た時と同じ個体なんだろうか。
ちらりと振り返る竜馬と目を合わせても、ビヒトには見分けがつかなかった。
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