34 見たいもの

 目的地のリーパという街までは、もう、そう遠くないはずだった。陽のあるうちには余裕で着くだろうと、ゆっくり歩を進めていく。


「下を見ていたら、酔わないか? 顔を上げた方がいいぞ」


 まだ機嫌が悪いのか、俯いたままのマリベルにビヒトは一応声をかける。金茶の髪が振動とは別に小さく揺れた。


「顔を上げたら、あなたにぶつかるじゃない」

「別に、よりかかってもらってもいいんだが。その方が楽だろ?」


 マリベルは深々と溜息をついた。


「だから、そういうところだって……あのね。あたしはチビだけど一応年頃のオンナなわけ。それが、年頃の男の腕の中にいて、その男は顔も悪くないし……真面目で、優しくて、どうも強いらしいのよ。だけど、その男の方は女なんて興味ないらしくて、人として優しく扱ってくれるけど、女としては見てくれそうにないのね。そういう人物の胸の中に納まって、うっかり勘違いして恋心とか抱いちゃったら不毛じゃない。周りのは声をかけないんじゃないわ。かけられないのよ。だって、結果は見えてるんだもの。絶対、陰で泣いてるコいっぱいいるわ」

「……基本、女性の関わる依頼は受けてない。気を持たせるような言動も慎んでいるはずだが、人に対する礼儀まで欠きたくない。これは性分だ。仕方がない」

「解ってるわよ。だから、自衛してるんじゃない。いいから、放っておいて。このコももう怖くないから、静かにするし」


 マリベルは言いながら、遠慮がちにその首筋を撫でた。クルルと竜馬が声を上げる。

 そこまで言われてしまえば、ビヒトの出番など無い。言われた通りに彼女を放っておくことにして、彼は前を向いた。



 ◇ ◆ ◇



 夕陽のあるうちにリーパについて、宿を定める。

 それほど大きな町ではないのだが、この規模にしては宿屋が多かった。ゴールド街という、金銀や鉱物を扱う問屋街があって、商人が多く来るようだ。

 一般クラスの宿屋でも鍵のかかる金庫が常備してあって、その盛況さが窺える。

 個室が二つあっさりとれたのは、野犬のお陰かもしれなかった。


 夕食を共にした後は、二人それぞれの時間を過ごす。

 ビヒトは久しぶりに女を買った。マリベルの言葉に、ワガティオの花の香りの女を思い出していた。

 彼女もビヒトのことを『たちが悪い』と言った。薄々自覚してはいても、どうしようもない類のものだ。そちらに割く心の余裕がない。

 ひととき頭を空っぽにして、ビヒトは自分をリセットする。

 見るべきものを、思い出すために。




 明くる日、二人は問屋街へと出向いていた。道の両側に露天のように店が並ぶ。店の奥に入るのは、お得意様や大口の客なのだろう。店の前にはケースに入った目玉商品やお買い得商品が並んで目を引いていた。

 ビヒトには物の良し悪しや値段のことは判らないので、マリベルの三歩後をついて行く。

 小柄なマリベルは軽く見られやすいのか、行き交う商人たちからも店主からも侮られた態度をとられることが多かった。根気よく交渉するマリベルはそんな奴等より余程大人に見える。

 交渉中のマリベルの鞄に伸びる手を掴んで捻り上げると、短い悲鳴が上がった。周囲の視線に慌ててそいつは逃げだしていく。

 人混みに交じっているのは商人だけじゃないらしい。


「すごい、助かってるかも」


 何件目かの店に向かう途中、ぽつりと彼女が呟いた。


「あれで?」

「いつもの半分の時間で聞きたいこと聞きだせてるもの。下手するとスリにあって時間が潰れたり……」

「順調ならそれでいいが」

「うん。次の店で値段交渉上手くいかなかったら戻るけど、よろしく」

「気にするな。好きにやれ」


 頷いて、気合を入れた彼女は、結局次の店で仕入れをすることに決めたようだった。

 当たり前だが、金塊も銀塊も重い。ビヒトだけでは手に余りそうだったので、従業員の手を借りて宿まで運んでもらうことにした。

 次々と積まれていく袋の山に少し呆れていると、支払いをしていたマリベルが焦った声を上げた。


「え? 足りない?」

「もう一度数えてみるけどね。金貨、一枚分」

「え、ええ? わ、私の、数え間違い? もう金貨一枚分、まけられたりは……」

「もういいだけまけてんだ。銅貨分の端数くらいならなぁ……」

「で、ですよね」


 店主はマリベルの目の前でもう一度金を数え始める。その間に、マリベルはどこかに一枚落ちてないかと床に這いつくばっていた。

 ここの店主は比較的まともにマリベルの相手をしてくれていた。手元の動きも怪しいところはなかった。少し前に貨幣のレートが変わっていたから、その誤差が金貨一枚分になったのかもしれない。

 数え終って、その可能性に思い当たったのか、店主が確認する。


「この中身数えたの、いつだ? この春にレートが変わったの知ってるか?」

「え? は、春?」


 きょとんとしたマリベルに、やれやれと店主は拳骨を額に当てた。


「大きな変更じゃなかったからな」

「金貨一枚だな」


 ビヒトは自分の持ち分から、金貨一枚を店主に指で弾いた。

 店主は空中で掴み取ると、軽く歯を当てて確認する。


「……確かに。まいど」

「……ちょっと!」


 軽く眉を顰めて、ビヒトを振り向いたマリベルに彼は軽く片手を上げる。


「別に、注文するのは俺だし、出来上がって決まった金額から金貨一枚分引いてくれればいいだけの話だろ。ここでぐだぐだするよりずっと簡単だ」

「なんだい。にーちゃんこの娘の客かい?」

「ああ。ちょっと変わった注文つけたら、護衛までやらされてる。とんだぼったくりだよ」


 店主はハハッと表情を崩した。


「強かにやんねぇと、すぐに借金の山だからなぁ。金払いの良さそうな客で良かったじゃないか」


 マリベルは少し頬を上気させて、その場では不承不承頷いた。


「俺もお前も、損はしてないだろう?」


 仏頂面が直らないマリベルにビヒトはそう言うが、彼女は納得いかないらしい。


「自分に腹が立つのよ。余裕を持って用意したはずのお金が足りないことも、金のレートしか確認しなかったことも。纏めて買うから安くしてくれたんだし……それでもやっぱり高くはなってるんだけど……あそこで再計算になると面倒だったから、助かったことは助かったんだけど……」

「頑固だな」

「うるさいわね。『性分』よ!」


 タイミングよく、そこでマリベルのお腹が「くぅ」と声を上げた。

 昼もとうに回っている。ビヒトも空腹を感じ始めていた。


「宿まで戻ったら、昼だな。宿で頼むか……どこかで買っていくか?」


 マリベルは胃の辺りをさすりながら、赤い顔をして俯いている。


「……聞こえないふりしなさいよ。もう。サイテー……」

「『血肉を行き渡らせなければ、力は出ない』そうだ。マリベルは戦う準備はいつでもできていて感心する」

「嫌味?」

「いや? どんな時も食事を欠かさないのは、そういうことだろう? 俺は人に教えられたから。自分で解って実践できているのは凄いなと」

「……あたしも父に言われたのよ。この道はおそらく楽じゃない。体力は落とすなって。みんなにはただの食いしん坊だと思われてるけど」

「詰め込むのが辛い時もあるよな」


 しばらく黙り込んだ後、マリベルはキッとビヒトを睨み上げた。


「ほんっと、そういうとこ!」

「あら。昨日の。ねぇ、今夜もどう?」


 マリベルの声に被せるように、甘ったるい声がした。

 客引きの装いに、マリベルが固まっている。

 ビヒトは小さく息を吐くと、荷物を少し抱え上げて、ひと振り手を振った。


「今日はその気はない」

「そう。ざぁんねん」


 立ち止まることもなく、女の前を通り過ぎ、妙な沈黙のまま宿に着く頃、マリベルが沈黙に耐え切れなくなったというように顔を上げた。


「なんで、玄人はいいの? 後腐れ無いから?」

「そうなんだろうな。たまに、面倒なヤツもいるが、だいたいはプロ意識があるから。時々、何も考えたくない時があって……初めての時、もの凄く色々悩んでた時期で、それがその時だけ真っ白になった。その感覚が抜けないんだろう。あとは、多分、溺れたくないんだ」

「玄人には溺れないの?」

「息抜きはいいけど、溺れんなってここを弾かれた。それを思い出す」


 苦笑しながら額を指差すと、マリベルは眉根を寄せた。


「女には、気持ちいい話じゃないよな。すまん」

「ううん。聞いたのはあたし。それに、玄人にも求めるモノが違うんだって、ちょっと解った。あなたは何を見ているんだろう……」

「……見たいのは、魔術の神髄。俺の使える、魔法」


 ビヒトの口から滑り出た言葉に、マリベルは大きく目を見開いた。

 出会った夜にビヒトは言った。魔術師にはなれなかったと。魔法は使えないと。それなのに、望むものは。

 諦めていないのだ。冒険者は通過点。視線は、もっと先の――

 ビヒトの静かな薄茶の瞳は、マリベルを見下ろしていながら、遥か遠くを見つめているのだ。




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