35 待ち伏せ

 ビヒトは自分の口から出た言葉に自分で少し驚いていた。

 今まで誰にも問われなかったから、口に出したことが無かった。それが、言葉にしてしまうと、とても重く感じる。

 本当にそこまで行きつけるのか。

 自分が魔法を使うことなど出来るのか。

 口先ばかりの、高慢な願望ではないのか。

 再び落ちる沈黙に、ビヒトは荷物を持つ手に力を込めた。


「……すごい、ね。すごい……」


 感心したように、マリベルはこっくりと頷いた。それから、花のように笑う。


「それなら、他の事になんて目を向けてるヒマ、ないよね。うん。納得した」


 彼女の仏頂面ばかり拝んできたビヒトは、突然突きつけられたその眩しさに思わず目を逸らす。

 

 彼女がよく使う、その言葉の意味が少し解ったような気がした。


 それぞれの部屋に荷物を分けて運び入れてしまうと、帰りはどうするのかと、マリベルは聞いた。

 宿の食堂で用意してもらった軽食を食べながら、ビヒトは思案する。


「量が量だからな。荷台を貸してもらうか。まだ陽もあるし、何とかなるだろう」

「竜馬にひかせるの?」

「ああ。あまり速く走れなくなるが、仕方ない。帰りはゆっくり帰ろう」


 三日で帰れるかと思っていたがもう一泊かかりそうだと、彼は小さく息をつく。マリベルは、心なしかほっとした表情をしていた。

 あちこち聞いて回って、帝都に返却の場があるという店を見つけた。いくつかの荷台をあちらとこちらで貸し出しているらしい。保証金をいい額取られたけれど、わざわざ戻って来なくていいのはビヒト達にとって都合がよかった。


「お金、大丈夫?」


 心配そうにマリベルは聞くが、この町にも冒険者組合ギルドはある。不安なら引き出しに行けばいいだけだった。


「『必要経費』だろ。来る分の馬車台がかかってないから、想定より、そうはみ出した額じゃない。いい物作ってくれよ」

「……うん」


 真剣に、拳を握って、マリベルは力強く頷く。


「あたしの最高の仕事をする」

「ああ。頼んだ」


 急に気合の入った彼女に、ビヒトは小さく笑うのだった。



 ◇ ◆ ◇



 小さな荷台は金銀の入った袋でいっぱいになった。

 いくら竜馬といえど、山間で坂道の多いこの辺りは負担が大きい。上りよりも下りの方が大変なので、ビヒトは風の力の魔法陣をひとつ用意した。荷台の下に貼って重さを軽減させるものだ。

 途中で魔力は切れるだろうが、平地に出てしまえば多分問題無い。駄目なら魔力を籠め直せばいい。


「そうやって自分で描けると便利ね。工房は炉があって暑いから、風の出る陣でも描いてもらおうかしら」

「金取るぞ」

「えー。ケチ」

「それがあれば、お前は量産して売れるじゃないか。俺が丸損だ」


 ぽん、とマリベルは手を打ちつけた。


「その手が」

「言っとくが、今回頼んだやつは焔石ほむらいしを買えば済む話だから、作っても売れないと思うぞ。俺は魔力を籠められるから、いちいち買い直さなくていいし、描く手間と買いに行く手間が省けるから頼むんだ。火を出すだけなのに、それ自体燃える焔石を陣に使う馬鹿はいない」


 手を打ちつけた格好のまま、マリベルの顔は徐々にふくれっ面に変わっていく。


「魔力を籠められるなら、あなただって焔石一つあれば困らないじゃない。わざわざ大金出して頼まなくても」

「俺は今まで耳飾りにしていた石を使ってた。買う習慣が無くて、うっかり忘れそうになるんだ。石だけだと失くすこともあるし……また加工するにはちょっと金がかかりすぎる」

「そんなお金かけて便利にしてたのに、あげちゃったの?」

「もらい物の石だったから……次は自分で手に入れないとと思って」


 マリベルは不思議そうに首を傾げた。


「それこそ、いくらでも買えるんじゃないの?」

「買ってもらったものじゃないから。少し、特別な石だったんだ」

「ますますわかんない! それを、あげちゃってもいいような人がいたってこと?」


 眉間に皺が寄っていくマリベルに、ビヒトは笑った。


「もらった人の息子さんに託してきた。彼にしてみれば、余計なお世話だったかもしれないけど」

「む、息子さん……? ねえ」

「ん?」

「男の方に興味があるのか、とか、言われたりしない?」

「言われ過ぎてうんざりするな」


 苦笑しながら陣を荷台の下に設置してしまって、ビヒトは身振りでマリベルを促した。

 小さな御者台に並んで腰を下ろす。手綱を軽く震わせると、竜馬は歩き出した。


「単純にそういうことに興味が薄いんだ。だが、少なくとも、男を抱きたいとか、抱かれたいと思ったことはないな」

「そう。そうかぁ。別に、でも構わないけど。そういうこと言われても、単純に怒ったりしないの、なんか、大人だな」

「そうか? だんだん馬鹿らしくなってきたのは確かだ。勝手に思えばいい。手を出して来たら容赦しないが」

「え。そこは意外。上手くスルーするんじゃないの?」

「面倒な芽は潰しとくに限るだろ」

「わ。こわっ」


 うっすら笑ったビヒトの顔を見て、マリベルは自分の両腕をさすった。

 来た時よりもゆっくりな行程だからか、単純にビヒトに慣れてきたのか、マリベルは昨日よりも随分軽口が多い。


「そういうお前はどうなんだ? そろそろ嫁に行ってもいい年なんじゃないのか?」

「あたし? そういえば、そうか。目の前のことに夢中で、あんまり考えてなかったな」


 マリベルは顎に人差し指を当てて、軽く首を傾げる。


「なんだ。俺と大して変わらないんじゃないか」

「違いますぅ。あたしは嫁に行く気もあるし、出会いも求めてるもん。たまに縁があったかと思ったら、掴めもしないものだったけど!」

「悪かったな」

「ううん。いいの。久しぶり過ぎて変に意識してたから、考えなくて良くなったのは楽だわ」

「楽に慣れると、いざって時に困るぞ」


 ビヒトが笑うと、マリベルは彼の背中を勢いよく叩きつけた。


「うるさいわね!」


 そうやって、どうでもいいような話をどちらともなくしながら、竜馬の牽く馬車は進んでいく。気付くと、行きに近道をした森の辺りを通りかかっていた。

 犬が怖いと言うマリベルが思い出さないようにと、意識は周囲に向けながら、ビヒトはできるだけ明るい口調を保つ。行きと帰りでは景色が違う。マリベルがそうだと気付かないまま、その場所を抜けたのに、竜馬が低く喉を鳴らしながらビヒトを振り返った。


 不穏な気配はマリベルにも伝わってしまったらしい。ぴたりと口を閉じて、マリベルはビヒトを見上げた。

 誤魔化すのも、変に楽観的なことを言うこともビヒトには出来なかった。そっと、マリベルの手に手綱を渡す。


「持ってるだけでいい。振り返らないで、行け」

「……ビヒト」

「夜になる前にどこかの街に止まってくれると思う。俺のことは待たないで、そのまま帝都に帰れ。大丈夫だな?」


 あとの言葉は竜馬の方に投げかける。竜馬は短く応えた。

 ビヒトは銀貨を数枚マリベルの腰の鞄に突っ込んでおく。


「宿代、入れとく」

「そんなのいいよ! あたしが昨日買い付けたのは何だと思ってるの?!」

「すぐに換金できるとは限らないだろ。念の為だ」


 立ち上がろうとしたビヒトの腕を、震えるマリベルの手が掴む。


「ビヒト……戻って、くるよね?」

「もちろん。心配するな」


 その時、竜馬が遠吠えのように長く甲高い声を上げた。ビヒトもマリベルもビクリと身体を揺らす。


「……何?」

「さあ……俺も、聞いたことがない声だ」


 ビヒトが辺りを見渡しても、差し迫った危険はないようだった。

 だいたい、警戒の声はギャッギャッという短いものだ。

 気にはなるものの、確認する術もない。


「じゃあ、帝都で」


 ビヒトは今度こそ立ち上がって、マリベルの頭にぽんと手を乗せる。

 荷台へと移っていくと、こちらを追ってくる何かが見えた。道に出ているものだけで数匹。まばらになった左右の木々の間から見える動くものがまた数匹。荷を引いている竜馬などいつでも追いつけるとばかりに、少し距離があるのが憎らしい。


 ビヒトは腕輪に魔力を籠め直した。近づかなければ風の盾パリエースは意味をなさない。発動のタイミングは気をつけないと、魔力が無駄になるだけだった。

 追いつかれて囲まれてしまう前にと、ビヒトは荷台から飛び降りる。

 自分は奴等を引きつけておく餌だ。剣を引き抜いて、着地と同時に円を描いた。

中心には六つの頂点を持つ星のような絵文字。魔力の流れは全て中心に向かうように。それだけの、単純な魔法陣。


 魔力を籠める為に身をかがめているビヒトの目の高さで、野犬たちは迫ってくる。

 その足の筋肉が、飛びかかるために一瞬溜められたところで、ビヒトは陣から顔を背け固く目を閉じた。




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