94 二重の白き檻

 海獣の前方、湖側に生えている木々が根元からではなく、途中から切り倒されていた。

 三度みたび前方に進行を阻む壁が展開される。


「光源はあった方がよさそうだな。すぐに慣れてしまうようだから、時折場所を変えて気を散らせよう」


 ビヒトにではなく、帝国の魔術師たちに向けた言葉だった。


「我々も情勢を鑑みると『囚われの白き炎スカンデレ・フランマ』を連発は出来そうにない。アレイアと協議の上、タイミングを合わせて使うことになるでしょう。もう一度撃てても夜明け頃になるかと」


 光源を気にして触手を躍らせながら風の壁に押し返される海獣を見下ろしつつ、ビヒトは頷く。

 鋭い風にその身を小さく削がれても、やはりそれ自体はヤツにダメージを与えない。

 何度も現れる壁にイラつくように触手をばたつかせ、海獣は魔力を練り上げた。


「……水の刃アクアラーミナ……」


 ビヒトの呟きと共に魔法は発動され、木々もろとも風の壁パリエースを切断しにかかる。阻もうとする魔力と突き抜けようとする魔力が拮抗して、一瞬だけ時が止まったかのような静けさに包まれた。

 次の瞬間にはお互いの魔力を食い合い、反応して爆発的に広がり霧散する。その衝撃は空気と地を伝ってビヒト達の元へも届いた。


「あれは削れますか」

「難しい。おそらく、使うたびに立ち上げが早くなってる。それでも、あなた達が使うよりは随分遅いでしょうけど」

「ちまちま使わせれば、魔力を削ぐのにはいいかもしれませんが……道は開けていきますね」

「そうだな。ひらけた場所なら俺もヴァルムもなんなく斬れるだろうが……結局周りの木々が邪魔だな」

「斬れ……」


 ふぅ、と小さな溜息が漏れ聞こえてくる。


「そうでした。貴方達はその辺が規格外でした。魔術への護りは最小限で」


 ひらひらと魔術師たちに手を振る参謀をビヒトは振り仰ぐ。


「そこまでするつもりだったのか?」


 細かく対処していくのなら、距離をとっていては間に合わない。戦況を見ながらということになる。

 参謀はさも当たり前だというように気持ち首を傾げた。


「もちろん。勝機があるからここへ跳ばしたのでしょう? どう対処するのか、この目で確かめなければ。一応、まだ国を背負っているのでね」


 ヴァルムが計算していたとも思えないが、と思ったのは確かなんだろう。

 面倒、とは言っていても難しい顔はしていない。

 ビヒトはそのまま参謀に海獣の攻撃範囲ぎりぎりまで送ってもらった。


「居眠りして、また球をくらうなよ?」


 戻りかけた参謀は振り返って苦笑する。


「あれは不意打ちだったからですよ。くらったのは初めの数発だけです。今回は初めから用意しておきますから」


 かけましょうか? という参謀にビヒトは首を振る。用意はしてあった。

 木々の隙間を空へと戻って行く参謀を見送って、ビヒトは踵を返した。



 ◇ ◆ ◇



 怪我人は触手の届かない森の中へと移されつつあった。

 海獣は前進を主軸に据えながらも、エネルギー補給の機会があれば逃さない。倒れている者が、探るように揺れる触手に触れれば、餌として絡めとられていった。

 一時的に場は混乱している。

 ビヒトも何人かを運ぶのを手伝い、合間に同じ陣を複数個所設置していく。近くで興味深げに眺める者に、海獣の躰が膨らんだら陣の付近に退避するように言って回った。


 ヴァルムには先に用意した陣を渡してあった。もちろん自分でも身に着けている。

 だいたい準備はいいだろうかと、最後にぐるりと見渡して、まだ残る冒険者たちが海獣の尻に齧りつくようにしている場所へと赴く。

 細かく削られていく体表は大きなものでも手のひら大。それが地面に落ちると、しばらくしてじわじわと土に沁み込んでいく。染み込む前にうっかり踏みつけてしまうと滑るので、若干の注意が必要だった。


「ああっ! キリがねえ!」


 ひとりのぼやきに確かにと苦笑して、ウサギ大の塊になるよう短剣を振るう。切り離す手前で止め、残りを任せる形にしてまた別の個所を刻む。

 小さなどよめきが上がるけれど、さすがにここまで残っているだけあって手は止めない。サクサクと流れ作業が出来つつあった。

 触手の牽制は騎士団に任せてあるが、時々すり抜けてやってくるものを弾いていると、前方で魔力の反応があった。前進速度が落ちているなと思っていたけれど、風の盾パリエースの反応は感じない。

 水の刃アクアラーミラの反応は発動してすぐに消えた。

 しばらくぶりに、弦を無茶苦茶に引っ掻くような海獣の叫び声が辺りに響き渡る。


 ヴァルムが足止めを買って出たのだろう。加勢に行くべきか迷って、気は散らせた方がいいだろうと引き続き躰を削ぎ落とすことにする。

 参謀の言った通り、不定期に光源の位置は移動した。その度に触手は惑い、攻撃の手が緩む。

 水の刃はもう何度か発動されたけれど、あっさりとヴァルムに斬られていて、諦めたのか、その後はとんと静かだ。

 地道ではあるが、いいペースが出来てきていた。徐々に、普通の剣で切れる深さが増していく。

 頃合いを見計らったかのように、ヴィッツの声が辺りに響いた。


「広範囲魔法を発動させる。各人、退避!」


 一斉に離れる人々に、嫌な予感を感じてか、膨れ上がる魔力にか、海獣はふるふると躰を震わせた。

 ギリギリまでヴァルムに前進を阻まれ、海獣の躰は白い焔に包まれる。

 叫び、のたうち回りながらも前に進もうとする様子は執念を感じさせた。

 白い炎は目標物以外には燃え移り難いとはいえ、よれば熱いし燃える。ヴァルムといえども離れているしかない。

 誰もが固唾を呑んで見守った。


 表面が炭化し、炎が弱まったところで、今度は参謀の声が降る。


「もう一発」


 口を開くと多めの言葉が出てくる印象だが、交戦中だからなのか指示は短く簡潔だ。よく通る声で冒険者たちを縫い付ける。

 海獣の様子を見ながら複数の魔力を編み上げていく様子は、流石と言うか、練度が高い。

 二発めの『囚われの白き炎スカンデレ・フランマ』は、炭化した表面がひび割れ、新しい表皮が現れた瞬間を狙って的確に発動された。

 海獣の叫びは先の比ではなかった。

 より激しく躰を揺すり、全身から水を吹き出していく。


 それでも、苦し紛れなのか、まだ前方へと崩れた水の刃のようなものを飛ばす。湖まではもう一列ほどの木々を残して、道が出来つつあった。

 これで終わればいい。誰もがそう思っていた。




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