95 進化あるいは窮鼠の体
黒い小山のような塊が動きを止めてしばらく経つ。
ビヒトは炭化した部分に短剣を突き刺して剥がし、様子を窺った。
見た目は明らかに小さくなった。消火しようと水を吐き出したからなのか、火で焼けたせいなのか、どちらかは判らないけれど、二回りから三回りくらいは縮んでいる。
剥がした炭の下にはやはりぶよぶよの表皮があって、湯気と共にきつく潮の香りが立ち上った。
追い詰めているのは間違いない。だが、まだ油断できるほどじゃない。
ビヒトは慎重に前へと回る。
ヴァルムが腕を組んでじっと黒い海獣を睨みつけていた。
「どう思う」
「まだ、だな」
同意見にビヒトは軽く頷く。
「下は今までより潮の香りがきつい。もう二、三発撃てれば、息の根を止められるかも」
「撃てれば、な」
参謀も言っていた。連発できるようなものではないと。
規模が大きく、ただでさえ制御の難しい魔法を複数人でかけなければいけないのは負担が大きい。夜明け前に止めを刺せるかは未知数だ。
「次のを撃つ前に回復されなきゃええんだが」
ヴァルムはちらりと後ろを振り返った。
のたうち回りながら、海獣は湖まであと十数歩まで迫っていた。目の前の木々を除いてしまえば、湖まで到るのはたやすい。
「最初の目論見通り、淡水は合わないことを祈るしかないな」
ヴァルムは嘆息しながら頷いて、剣を構え直した。
そのまま海獣の炭化した部分をこそぎ落としだす。
放っておいても前回のように自分で割り落とすのだろうが、残りの水分を失わないために黙って表皮の再生を待っているというのなら、続けてのダメージを与えられることになる。
ヴァルムのことだから、鎮火を待っていて暇を持て余してしまっただけの可能性もあるけれど。
ビヒトもヴァルムと逆側に回り込んで同じように削りだす。
黙っていた海獣が、身じろぎするように震えた。
ビヒト達の動きを見て、他の者たちも後に続く。
回復のためか、魔法を撃った魔術師たちは少し下がって、別の魔術師たちが前に出てきた。
黒い部分が剥がれていくたびに、辺りには生臭さを含んだきつい潮の香りが立ち込めていく。口を押さえ、作業を中断して一時場を離れる者も出てきた時だった。
海獣が、一際大きく身震いした。
全員が反射的に飛び退き、武器を構える。
腹の下から、今までよりも細く短い触手が飛び出してきた。薙ぎ払われそうになってさらに後ろへ下がると、それを地に付き、躰の後方部分を持ち上げた。
今までの緩慢な動きが嘘のように躰を捻り、湖を向いていた物が岸に平行になる形で着地する。
何をするのかと動きを止めてしまっている間に、腹の下から新たな器官が飛び出した。一見すると水球を撃ち出す筒に似ているが、持ち上げる様子はない。蛇のようにするすると地面を這うと、迷いなく湖へと向かった。
ヴァルムとビヒトが気付いた時にはもう遅かった。管は水へと入り込み、ごくごくと水を吸い上げ始めた。
駆けだす二人に新たな触手が襲いかかる。
そのわずかな間に、海獣の躰はどくんと脈打った。
小さな震えは、すぐにぼこぼこと煮立つような様相になり、縮んでいた躰が膨らんでいく。
「陣へ!!」
退避を促し、ビヒトも海獣から離れる。上空で待機している魔術師たちも急ぎ離れるのが分かった。
砲台が現れる。
撃ち出された
もっとも、そこは対策済み。ビヒトは戻り損ねた冒険者に手を貸しながら、迫るひとつを斬り落とす。特に怪我人を出すまでもなく、辺りは水浸しとなっていった。
念の為と、各陣を回って魔力を足しておく。
叫び声に振り返ると、ヴァルムが触手の一本を切り飛ばしたところだった。そのまま彼は湖の方へと駆けていく。
ビヒトは追いかけようとして、海獣の躰がまた膨らんでいくのに気が付いた。
連続では撃たない。そんな考えは甘かったようだ。水の供給がある限り撃てるのかもしれない。
注意を促す間もなく、砲はヴァルムに照準を合わせた。
飛ばされたのか、飛んだのか、ヴァルムは湖へと落ちていく。
魔術師がひとり後を追ったので、一先ず意識を向きを変える砲台に戻す。
四つ五つ、撃ち出した後、海獣は連続で撃ち出すのを止めた。
次の一発に、新たに魔力が籠められるのを感じて、ビヒトは眉を寄せた。
強度を上げた?
だが、そのくらいではこちらの盾に触れた時、同じ結果にしかならない。
ひとりの魔術師に向かって撃ち出された水球は、見た目、今までのものと変わらなかった。魔術師は少し身構えるものの、先程きちんと発動して水球を壊した盾を信用していた。
水球を見つめて、ビヒトは違和感の正体を掴もうとする。
海獣の魔力に包まれて、よく判らない。けれど、どこか、ぶれている。どうしてぶれを感じるのか。
「……だめだ、避けろ!!」
分からないまま叫んだビヒトに、魔術師は困惑の視線を寄越した。
わずかに軌道を逸れた時、水球は割れて水となって落ちていく。
ほっと、表情を緩ませたその脇腹を、何かが切り裂いていった。血飛沫が飛び、魔術師は落下する。
「くそっ……」
動きも鈍い、魔術も上手くない。時間をかければ確実に仕留められるはず。
だが、馬鹿じゃない。海にいる時から解っていたはずだった。学習し、タイミングを計り、諦めない。
幸い、まだ量産できるほど魔法が上手くない。それも、時間の問題だろうが。
二発目、三発目が撃ち出される。どれも魔術師を狙っていた。
一人は避け、一人は魔法をぶつけて相殺しようとしたが、水球に包まれているせいでタイミングが合わない。直撃は免れたものの、腕に傷を受けていた。
ビヒトは、砲台となっている管に狙いをつける。
させまいと邪魔する触手を弾いて斬りつけ、かいくぐろうと動く。
二本目がビヒトの足を絡め取ろうとしたのを、バックステップで躱したところへ、後ろから魔力が飛んできた。
反射的に屈むと、
一瞬だけ上空を振り返って、参謀の姿を確認する。
魔法を撃つなら遠慮するなと最初に言ったのは確かだが、後ろから狙いすましたように撃つのはどうなんだ。
避けると思ってのことだと信じたいが、生憎それ程の信用もない。
腹の底で文句を言いながらも、
面白くない思いは敵にぶつけるべきと、再び砲台へ向かって足を踏み出すと、触手の邪魔をするように魔法の援護が入った。
触手の動きを制限され、唸るような低い声と共に砲台はビヒトへと向けられる。
撃たれた球を弾き飛ばし、さらに踏み込んだ。
至近距離で、二発の球が連続で撃ち出された。
初めの一発は、ビヒトに届く前に割れて眼前に水が広がる。
構わず突っ切ろうとして、ビヒトはハッとした。水球の中に隠された水の刃は水球を覆う魔力で隠されて見えにくい。だから、単体で撃たれたものは斬らずに弾いたのだ。
連続で撃ち出された先の方には刃は仕込まれていなかった。連続で撃つのなら、後もそうだと思い込んだ。まだそこまでできないだろうと。
魔力のぶれは感じていたのに。
後から来た水球が割れるのを感じて、無理な体勢で身体を捻る。
飛ばされていくビヒトを追いかけるように、次の水球が撃ち出される。
みるみる近付く球に視線を向けながら、背後でざわめく魔術師たちの声を、ビヒトは他人事のように聞いていた。
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