93 再始動

 兄の言葉を反芻して、ビヒトはそうだろうかと足先に視線を落とす。右、左と規則的に出る歩みに意識を割くことはない。

 呆れてはいなくとも、諦めているのでは。

 先程までの会議でだって、きちんと視線をもらったのはヴァイスハイトが立ち上がったあの時だけだった。息子という認識はもうないのではないか。


「ビヒト」


 一階に下りたビヒトに、通り過ぎた教室から声がかかる。

 振り返るとヴァルムがこっちだと手を振っていた。


「ベッドがどうだとか言ってたが、面倒なんで毛布だけもらった」

「ああ。充分だ」


 ビヒトが教室に入っていくと、適当に寄せられた机の一つに参謀が腰かけていて、ひらひらと手を振った。

 思わずヴァルムを見上げたビヒトに、ヴァルムは小さく肩を竦めるだけ。


「仮眠室も用意すると言っとったから、そっちに行けばええと言ったんだが……」

「床で寝たことがおありで?」

「若い頃は? まあ、そう言わずに一緒させて下さい」


 完全に嫌味だったビヒトの言葉をさらりと流して、参謀は苦笑した。


「少なくとも、貴方方は中立で、腕も立つ。安全を優先したいじゃないですか」

「今は戦力を減らすような馬鹿はいないだろ。だいたい、あんたについてきた奴等は何してるんだ」

「魔術師は数名受け入れてもらえることになりましたから、その調整と出迎えなどの準備を。それで、そちらは何のお話を?」

「そちらに報告する義務はないと思うが」

「つれないですねぇ」


 大袈裟に肩を竦める参謀は自分の膝に肘をつき、頬杖をつくような姿勢になった。


「隠されると、どんな取引があったのかと勘繰りますよ」

「何も。陣の話を少ししただけだ」


 少し眉を寄せてから、ああ、と微妙に口角を上げる。


「転移の方法か。それはうちも訊きたいところですが……教えてはもらえなさそうですね。アレイアには渡したので?」

「いいや。保留にしてある。それに、あれはヴァルムが一般に売られている貨物の転移陣を改ざんしたものだ。精々自分たちで研究するといい」

「削ったのはわしだが、必要なものを書きこんでいったのはビヒトだ」


 ごそごそと、すでに寝支度を始めているヴァルムがそこだけ口を挟んだ。


「市販品を? ギルドの対人の陣を知っていたとして、あの大きさの生物を移動させるには……」


 ぎゅっと今度こそ眉間に縦皺を刻んでから、参謀はゆっくりと顎を撫でた。


「あとは、そちらにも渡した水球を崩す陣を置いてきた」


 くくっと、参謀は喉の奥で笑う。


「ただのお人好しではないなぁ。魔術師のあしらいが上手い。そう言われれば、我々は考えずにはいられない。仕方ない。しばらくは目を逸らしてあげますよ」


 机から立ち上がると、参謀は黒板に歩み寄った。チョークを手に円を描き、市販の転移陣を作っていく。


「休んだ方がいいのでは?」

「ええ。少し考えたら」


 嬉々とした様子からは『少し』が全く意味をなさないだろうと窺える。

 兄と似たような人種なら、ヒントを渡せば満足するだろうとは思ったが、ここまでとは。

 カツカツと鳴るチョークの音に呆れながら、ビヒトはヴァルムの隣で毛布に包まった。



 ◇ ◆ ◇



 カタカタと窓が震え、小さな地響きにビヒトは目を覚ます。

 ほぼ同時にヴァルムも飛び起きて、窓の外を覗いた。すでに薄闇が降りてきていて、景色は輪郭をぼやけさせていた。

 窓から身を乗り出すようにして海獣のいる方を見ていたヴァルムと、ビヒトは交代する。

 うっすらと土煙のようなものが舞い上がっていた。

 一気に慌ただしくなる気配に、黒板の下でうずくまるようにしていた参謀も頭を上げる。

 黒板にはびっしりと陣と問題点が書きこまれていた。


「休めたのですか?」

「いや、まあ」


 参謀は苦笑しながら腰の小物入れを探って何かを摘まみだすと、自分の口に放り込んだ。


「使えねえな」


 一瞥したヴァルムがバッサリと切り捨てたので、参謀はその場で頭を抱えた。


「わかってますよ! ビヒトさんに言われるならまだしも、どうしてでしょう。貴方に言われると、もの凄く傷つくのですが」

「うるせー。命を預けるもんに瑕疵がありゃあ、そりゃ文句も言うだろうよ」


 ビヒトは黒板を眺めて、改めてヴァルムの的確な削りを感心する。ほんの一文字残したり、たった一文字削ったり。埋めるべきものが見えているかのようで、だからビヒトも埋めやすかった。

 参謀も、問題点は解っている。持ち帰って本腰を据えれば、そのうちいいところまでいくのかもしれない。


「悔しいですが、続きはまたですね」


 ゆっくりと立ち上がった参謀に続いてロビーへと向かう。騎士団員が何人か固まっていて、アウダクスがここだと言うように手を上げた。

 団員たちに指示を出して散会させた後、ビヒト達の方へとやってくる。


「起こしに行こうと思ってたんだ。聞こえたか?」

「いや、振動が」

「そうか。進行を邪魔していた風の壁が相殺された。すぐに次の壁を立ててるが……」


 びりびりと建物が震える。


「……やられたみたいだな。壁に向けている間はいいが、他に向けられると少し厳しい。町側の護りは重ねるよう指示したところだ」

「そろそろ焦ってきたっちゅうことかもなぁ」


 ぺろりと唇を舐めてヴァルムが動き出す。

 慌ててビヒトはその腕を掴んだ。


「ヴァルム、痛み止め飲んどけ」


 あ? と嫌そうな顔で振り返ったものの、慌てて駆け寄ってきた若い救護員の差し出す薬を、ヴァルムはおとなしく受け取った。たまたま若い女性だったのも良かったのかもしれない。


「途中で切れたら困るだろう」

「動いてる間は痛くねえって」


 文句を言いながら酒で流し込む。


「あっ! お前、酒で!」

「うーるーせーぇ。飲めっちゅうから飲んだ。グダグダいうな!」


 うんざり気味に踵を返すヴァルムを追いかけて外に出たところで、今度はビヒトが腕を引かれる。


「『――空にあれフルクトゥオ』」


 短い詠唱が終わると同時に、ビヒトの身体は浮き上がった。バランスを崩しそうになるのを、掴まれた腕だけで支えられる。


「仲のよろしいところ、すみませんが、少々お付き合いを」

「参謀殿?!」

「いい反応ですね。いっそこのまま連れ帰りましょうか」

「連れ……? 何を……」


 参謀はにこりと笑う。


「国に帰っても降格処分は免れないでしょうからね。有用な人物を連れ帰れば、少しはオマケしてもらえるかと」

「こんな時に、冗談はやめてくれ!」

「まあ、出来るかどうかは別として、私としては割と本気なんですが……ビヒトさんはアレをどのくらいの時間で仕上げたのです?」


 アレが何を指しているのかは、隈ができ、充血した真剣な目を見れば解った。


「時間は計ってないが、だいたい、アレイア側が攻撃を開始してから海獣がこちらの港に来るまで、だった」


 参謀の顔が悔しそうに歪む。


「なんですか、それ。その才能を、何故大きな場所で使わずにいるのです」

「一人の力じゃない。ヴァルムが下地を整えてくれていたから、できたことだ」

「……なるほど。貴方達はよほど相性がいいらしい。ならば」


 上昇する身体に緊張でわずかに力が入る。


「やはり一緒に飛び込むよりは、一度俯瞰して見た方がいい」


 一度こちらを見上げたヴァルムは、そのまま森へと入っていった。それを見送りながら、さらに上昇する。

 参謀が空いている方の手で何か合図すると、上空に光弾が現れた。突如照らされ、海獣が反応して触手を伸ばすけれど、届く距離ではない。

 周囲には、アレイアとは違うローブをまとった魔術師たちがいつの間にか並んでいた。

 光に浮かび上がってきたのは、なぎ倒された木々を踏み越え、じりじりと進む海獣と、大きな魔力の相殺に巻き込まれて倒れたりうずくまったりしている冒険者達と騎士団の面々だった。




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