10 巣立ち

 卒業式の日は薄く雲がかかって空は霞んでいた。リンゴンと鐘の音が町中に降り注ぎ、成人して巣立っていく彼等を言祝ことほいでいる。

 この日ばかりは普段制服を着崩している者もきっちりと襟元まで正し、揃いのローブに身を包むのだ。

 卒業証書の授与式が行われる講堂は、その後そのまま成人の儀の式典会場となる。生徒ばかりでなく卒業生の家族も多く集まっていて、それぞれを涙ぐみながら祝福していた。


 全過程のうち、卒業試験で指定された科目を合格できた者には、証書と共に魔術師の証とも言える魔法陣を象った記章が与えられる。これがあるのとないのとでは魔術師としての信頼も収入も大きく変わるのだ。

 この年、カンターメン家の末っ子、ヴェルデビヒトは記章を貰えなかった。家族も式に参加していなかった。

 けれど、それに気付いた者がいたかどうか。


 魔術師の記章を与えられる者達の間の順番で、彼は呼ばれた。

 高名な家庭への学校からの配慮……そんなものではなかった。


 最後の半年、ヴェルデビヒトは魔術の在り方に一石を投じていた。確かに彼は呪文で魔法を発動させることは最後まで出来なかったが、その代わりに、手にした金属には呪文なしで魔法を付与できるようになっていた。

 石の無いカンテラを光らせ、燭台に立てられたろうそくに火を灯し、笛に口をつけずとも演奏させ、水差しにはなみなみと水を満たして見せた。


 学校側の意見もかなり割れた。それを合格とみなすのか。

 あまりにも基本とかけ離れていて、なかなか判断は下りなかった。

 魔術師は普通、得意な属性がひとつあって、そこに副次的な属性が付くことが多い。炎と風、風と水、水と光。そういう組み合わせが多かった。

 しかし、ヴェルデビヒトには属性の優劣などない。なんなら、水差しの水を湯に変えることもして見せた。


 比較的若い講師たちは合格で良いと言った。

 けれど、歳を重ねた魔術師たちは難しい顔で首を振る。

 ヴェルデビヒトが触れて魔法を付与した物は、必ず最後には砕け散った。魔法の力にか、他の力にか、物質の方が耐えられないのだ。

 卒業生は成績順で一人ずつ壇上に呼ばれる。その順番はだから、掛け値なしの彼の成績だった。


 前日の夕食の席で、ヴァイスハイトが「式には出ない」と宣言した時、その場は凍りついた。母が抗議しても、父の決定は覆らないどころか「家族誰ひとりの参加も認めない」と彼は言った。

 さすがに兄達が怒ってくれるのを、ヴェルデビヒトは淡々と食事を詰め込みながらありがたく聞いて、礼を言った。


「兄上たち、姉上、いいのです。私は合格できなかった。それが全てです」

「だが、ヴェル。お前はお前のやり方を見つけただろう? 父上は、その努力さえも認めないおつもりですか! 学校内だけではなく、有識者の間でもヴェルの話は漏れ聞こえてくる。試験の合否とて、意見は拮抗していたと!」

「魔術師の証を持たない者は認められない。それだけの話だ」

「父上!!」


 ヴァイスハイトの視線が上がることはなく、ただ、ナイフを握る手には少し力が入っているなとヴェルデビヒトは思っていた。

 夕食を詰め込み終わらせ、スッと立ち上がる。


「構いません。卒業した後、私は少し家を離れるつもりでいますから。いいですよね? 父上」


 わずかに視線を上げて、一拍の間を開けた後、ヴァイスハイトは頷いた。


「構わん」

「では、色々準備もありますので、私は失礼いたします」


 呆気にとられて二人のやりとりを見ていた母リリエは、ヴェルデビヒトが食堂を出た直後に取り乱したように追ってきた。いつも夫につき従うように静かにしていた人とは思えないほど。


「ヴェル! ヴェルデビヒト! どういうことです? 魔術師にならなくとも、まだ就く職も決めぬまま家を出るなどと……」


 ヴェルデビヒトは、この半年でその背丈を追い越した小柄な母を見下ろす。


「やってみたいことがあるのです。それに、父上には魔術学校入学前に言われました。学校の三年間で魔法が発動できなければ出て行けと。俺の予定ではもう随分前に決まった道です」


 顔色を変えた母に、父は告げていなかったのかと彼は冷めた頭で考えていた。


「ヴェル……あなた……だって、ちゃんと、どの属性も……」

「すぐに壊れてしまいます。まだ、ヴェルトロース役立たずですね」


 ぼろりと涙を落として、リリエは来た時と同じようにバタバタと戻って行った。

 中から食器の割れる音と、人の騒ぐ気配が伝わってきた。リリエがヴァイスハイトに中身の入った水差しを投げつけた音だったが、ヴェルデビヒトはそれを覗くこともなく、自室へと足を向ける。


 半年前までのように焦燥感に囚われるようなことはなかった。呪文の練習をやめ、体術と剣術に力を入れ始めたヴェルデビヒトを、父が快く思っていないのも分かっていた。

 彼はあくまでも魔術師の自分しか認める気はないのだろう。

 それでも、もうよかった。


 あれ以来、兄達や姉に手伝ってもらってヴェルデビヒトが何度か試しても、魔法は斬れなかった。弾き返すことはできたが、そこまでだった。魔術式を繊細に感じた感覚もあれっきり。


 でも、忘れられない。


 あの感覚が自分の中に残っている限り、ヴェルデビヒトはそれをもう一度手にしたかった。

 ヴァルムと同じように肉体も鍛えればもしかして。そう軽い気持ちで始めた体術と剣術は、努力すればするだけ身について、楽しかった。

 身体を動かせば腹は減る。腹が減れば動きも頭も鈍る。無理にでも詰め込めというヴァルムの言葉を、ここにきて実感していた。



 ◇ ◆ ◇



 地元での職探しなど、とうにする気は無かったヴェルデビヒトは、ヴァルムと過ごした街で冒険者の登録を済ませていた。

 ヴァルムが街の名を覚えていなかったせいで、探し出すのに少し苦労したのだけれど、アレイアから直線距離ではそれほど離れていないのに、街道を通って行こうとすると山を回り込むため、少し手間取る場所なのが気に入っていた。


 父以外の家族からは数年は国からあまり離れるなと言われ、気遣いは嬉しかったが、干渉されるのも嫌だった彼には、隣の国で国境の近いその街はおあつらえ向きだったと言ってもいい。


 ワガティオというその街は定住者が少なく、あちらこちらから人が集まっては去っていくような場所だった。

 古き歴史を重んじるアレイアのように噂が淀んだりしない。出会いも別れもあっさりとした人々に、少し寂しさを感じることもあったけれど、ビヒトとは相性が良かった。


 ヴァルムと一緒にいたことを覚えていた何人かが、初めのうちはどこで依頼を受けるのかとか、報酬はどうしておくのかとか、冒険者組合ギルドでも教えてくれることを入れ代わり立ち代わり親切に教えてくれる。

 どうも冒険者にはお節介な性分の者が多いらしい。それとも、ビヒトがヴァルムの知り合いだからだろうか。

 厳しい忠告をする者もいたが、訓練場でビヒトの体術と剣術を見ると、それ以上は言わなくなった。


 実践を積んできた者達との訓練はまた楽しいものだった。

 ビヒトの剣術をお坊ちゃまと揶揄する彼等は唾を飛ばしたり、土を投げつけたり、授業では卑怯と言われるようなことも平気でする。


「生き残れなければ、意味は無いからな」


 そう言って、みんな笑うのだ。

 訓練の後の酒の席で、時々ヴァルムの話が出る。


「砂漠の方で大サソリとやりあったらしいぞ」

「またかよ。大サソリってどのくらいだ? このくらいか?」


 目の前の骨付き肉の塊を指差す者に、別の者が答える。


「人の背丈ほどもあったらしいぞ」

「そりゃあ大サソリじゃねぇ。バケモノっつーんだ。で、死んだのか?」

「知らねぇよ。どっちかは死んだんだろうよ。奴が生きてりゃそのうちまた顔を出すだろうさ」


 彼等の話はどこまで本当なのか判らない。けれど、彼を知る人は誰も彼が命を落としているとは考えないらしい。辛辣なことを口にしても、最後はげらげらと笑っている。


「新人さんよ。最初についた冒険者がヴァルムだって? 戦うとこを見たか? 悪いことは言わん。あいつを見本にするのはやめろ。目標にするくらいは構わねえ。あいつはほとんど本能で動いてる。厄介事を嗅ぎつけるとこまでだ。真似できるもんじゃねぇ」


 頷くビヒトの左耳には赤い石の耳飾りイヤーカフがついていた。

 細い鎖が二本繋がって、上下で止めるタイプのシンプルな物。加工するのに、家を出るときに母から押し付けられた金をほとんど使ってしまっていた。耐熱性の高い金属が馬鹿みたいな値段がしたのだ。


「小せえが、おめーさんが持つにしてはいい石だな。家が金持ちか?」


 それに目を止め、やっかみも含んでそう言われる時、ビヒトは必ずこう答えている。


「ヴァルムにもらったんだ。だから、あんたが彼に会ったら、ビヒトがいつか会いたいと言ってたと伝えてくれ」




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