9 雷の魔法
何が起こったのかよく解らなかった。
気が付けば、ヴェルデビヒトは倒れていて、右手がじんじんしている。持ち上げて眺めてみたが、多少赤くなっているものの、それ以上の異変は無いようだった。握っていた短剣は何処に行ったのか、ない。
はっと魔熊の存在を思い出し、彼は飛び起きる。
衝撃に飛ばされたらしく、ヴァルムが傍に佇む黒い塊からは少し距離があった。
「ヴァルム……」
「無事か」
ヴェルデビヒトの声を聴いて、剣を収めながらヴァルムは振り返る。
近づこうと足を進めた先で、何かを蹴飛ばした。
ヴァルムに貰った、彼が先程まで手にしていた短剣……の柄だった。刀身が砕けてしまっている。
それを何気なく拾い上げて、赤紫の雷撃を思い出したヴェルデビヒトは、一度湖の方を振り返った。木々の隙間から、夕陽を反射して光る水面が辛うじて見えている。
視線を戻すと、ヴァルムも湖の方をじっと見ていた。
「……熊は……」
「仕留めた。と、言っても、雷が落ちてきて虫の息の所に、とどめを刺しただけだがな」
近くまで行ってよく見ると、魔熊はちりちりと縮れた毛から薄く煙を上げていて、焦げ臭いにおいを放っていた。頭が躰から離れているのは、ヴァルムがやったんだろう。
「こいつにも落ちたのか?」
「ああ」
「ヴァルムは?」
「わしは斬った。ビヒト、何しようとした」
雷も、斬った? 魔法じゃないものも斬れるのか。
ヴァルムはどこまで規格外なんだろう。
ヴェルデビヒトはそんなことを考えながら答える。さっきまでの高揚感を思い出して、最後まで完成できなかったことが酷く残念でならなかった。
「ヴァルムが言ってただろ? 術式を書き換えれば、返すこともできるんじゃないかって」
珍しく、ヴァルムは深く息をついた。
「実戦で……あの場で試すような事じゃねぇな……なるほど。どいつもこいつも過保護だ」
「……? どういう意味だ?」
「別に。勘だ。しばらく、それは試さん方がいいみたいだな。ちゃんと食えるようになって、学校を卒業出来てからやれ。今と同じことが家や学校で起こったら、面倒にしかならん」
「家や学校で、
「さあ。そんなこともあるかもなって話だ。ビヒト。雷の魔蓄石が無いのは何故だ」
「雷の威力が強すぎて石を砕いてしまうから、溜めておけない」
ヴェルデビヒトは、教科書に書いてあることを読み上げるようにして答える。魔術学校に通っていて知らない訳がない。
ヴァルムは何度か頷いて、さらに質問を重ねた。
「では、雷の魔法が無いのは?」
「……魔力の消費量が多すぎて、使える人が少ないのと、制御が難しいため、現在では禁忌とされている」
「ほう。模範解答の方か」
ヴァルムは言外に言えと促す。
この国では当たり前に言われていることを。
「
「では、その雷に打たれた者を世間はどう見るか。例え偶然でも。解るな?」
役立たずの上に、罰当たり。確かに、これ以上不名誉な肩書をもらうわけにはいかない。口を引き結んだヴェルデビヒトの肩をぽんと叩いてから、ヴァルムは魔熊の額の辺りにナイフを差し込んで、何かを抉り出した。
「ほらよ。おめぇさんの取り分だ」
ヴェルデビヒトは軽く放られたものを、落とさないように両手で椀を作って受け取った。
小指の先くらいのそれは、真っ赤に血濡れていたけれど、それ自体も輝く赤色をしていた。
「これ……?」
「魔法が使えるような魔獣には額の辺りに石を持ってる奴が多い。高品質の魔蓄石だ。こいつのは小せぇが、強い奴ほどでかいのを持ってる。そんなのに出会ったら、逃げるが勝ちだ。そういう奴等は下手に襲ってきたりしねえ」
「魔獣の中で違いがあるのか?」
ヴェルデビヒトが習ったのは、魔獣は一般の獣より気性が荒く、攻撃的だということ。多くは人里離れた場所に出るということ。魔法を使う個体もいるということ。そのくらいだった。
「強ければ強いほど、次の
少し奥で蹲るようにして動かない黒い塊にヴァルムは労わりの目を向けて、片手を手刀のような形で顔の前に掲げると軽く目を伏せた。見慣れない仕種だったけれど、哀悼の意を表しているのは分かった。
ヴェルデビヒトは少し首を傾げる。
「でも、そいつは」
「こいつは、強さだけを求めた。仲間も、それ以外も関係ねえ。隣の国で散々暴れて、駆除の対象にされて、追いたてられたのさ。人間も魔獣もいろんなのがいる。不用意に近づかねえ方がいいのは同じだ。この辺りはどういうわけか魔獣が少ねぇから、奴も我が物顔で勝手が出来ると思ったんだろう。追いかけて来たはいいが、まあ、ヘマして見失って、奴が狙いそうな餌場を確保して待っとったわけなんだが…………このタイミングで鉢合わせるとは思わなかった」
すまなかったな、とヴァルムはヴェルデビヒトの頭を撫でた。
「追ってきたなら、そいつは元からヴァルムの獲物じゃないのか? とどめを刺したのもあんただ。なんで、これを俺に?」
「邪魔が入ったからな。ちっともやった気がしねえ」
邪魔とは、雷のことだろうか。ちっと舌を鳴らす顔は不満気だ。その顔も、よく見ると服にも火傷や焦げた跡が見える。炎の雨を避けなかったのか、避けられなかったのか。
「危ない目に合わせた詫びも兼ねとる。とっとけ。短剣も折れちまったし、礼になりそうな物がひとつもないのもおかしいだろ……わしはあっちで充分だ」
ヴァルムが示した方向には、先程黙祷を捧げていた熊の死体。おそらく、最初にヴァルムに会った時に投げられていた個体なんだろう。
「……どうするんだ?」
「ん? 街で引き取ってもらうぞ。肉は少しもらって食おうと思っとるが」
「食うのか!?」
なんだか少し同情していた気分がひっくり返された気になって、ヴェルデビヒトは声が裏返った。
いや、ほら。食べて弔ってやろう、なんていう風習が、田舎にはないこともないのだけれど……
「死んじまったら、ただの肉だからな。腐らせるのはもったいねえ。牙や毛皮はいい金になるし……
墓を作ってやれとは言わないが、ヴァルムも気にかけていたようだったのに。あまりにも合理的な思考に切り替えるのが早くて、ヴェルデビヒトは眉間に指を当てて目を閉じる。
それくらいでないと、冒険者はやっていけないのかもしれないが。
森を抜ける途中、湖の傍に出るところでヴェルデビヒトはもらった石を洗った。
綺麗に血が落ちた石は透き通った深い赤色で、宝石と言われても信じてしまいそうだった。夕陽に照らされ、濡れてきらめきを増した小さな石は、今まで見たどの魔石よりも美しかった。
「加工したり身に着けるなら、魔力は抜いておけよ。ちっと色は薄くなるが、危ねぇからな」
ヴェルデビヒトは頷いた。
解っていることだけれども、そのまま身に着けたいと思わせる魅力がある。
赤い石は
熊を引き取ってもらってから(熊を背負って歩いていたヴァルムはもの凄く目立っていた)、ヴェルデビヒトを家の前まで送って、ヴァルムはじゃあなとあっさり背を向けた。
見張りを振り切ったことを大っぴらに怒れなくて不機嫌だったヴァイスハイトも、夕食の席で礼にもらったと赤い魔石を見せると目を丸くして驚いていた。
兄姉達も順番に石を手にして興奮している。
久しぶりに和やかな場で、ヴェルデビヒトはゆっくりと肉を胃に詰め込んだのだった。
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