17 パエニンスラ一族

 何か言い返そうとビヒトが口を開きかけた時、ヴァルムは身をかがめて片膝をつき、軽く頭を下げて右手を左胸に添えた。左手は軽く曲げて後ろに回していて、上位の者に対する礼の形だった。


「姉上。只今戻りました」


 その言葉に心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けて、もう一度バルコニーを見上げてから、ビヒトも慌てて膝をつく。

 領主夫人が直々に仲裁に入るとは、思いもよらなかった。女性騎士は多くはないものの、いないこともない。彼女は騎士団の誰かなのだと思い込んでいた。

 それに……失礼とは承知の上で、ヴァルムのお姉さんがあんなに小柄で華奢だとは、この目で見ても信じられない。特段、ヴァルムのような大女だとも思っていなかったのだが。


 周囲でびしりと敬礼したまま微動だにしない集団も、彼を止められなかったことで何か罰則があるのだろうかと勝手に心配しながら、ビヒトは冷や汗をかいていた。


「只今、ではありませんよ。わたくしが戻るように言ったのはもう一年も前のこと。我が弟の時計はいつも壊れているのですね?」


 ゆっくりと言い含めるように、言葉は柔らかいが、一言一言に冷たい重しが乗せられているようだった。


「紹介したかった友人と、なかなか会えませんで」

「……友人」


 投げつけられる重石など全く堪えていないように軽く答えるヴァルムから、ビヒトに視線が移ったのが見ずとも感じられた。


「では、その友人に免じてこの場での小言はこれまでにしましょう。総員、配置に戻るように。ヴァルム、中でご友人を紹介して頂戴」

「……はっ」


 パエニンスラ夫人が踵を返すと、兵士たちも一斉に動き始めた。

 ビヒトも肩の力を抜くと、近くの兵士何人かに肩を叩かれる。


「あんた、すごいな。良かったら後で兵舎にも顔を出してくれ」


 そんなことを言われて、思わず頷き返すが、そもそもそんな暇があるのかビヒトには分からない。

 急襲されたはずの兵士達がヴァルムに話しかけるのを見ても、先程までのことに特に遺恨は無いようだった。

 何だか釈然としない。


「叔父上! そちらはどなたですか? 叔父上を引き倒すような怪力にはとても見えませんが!」


 キラキラとした瞳でヴァルムに纏わりついているのは、先程剣を突きつけられていた兵士だった。こうやってちゃんと見るとビヒトとそう歳は違わない。少し下、というところだろう。


「紹介しろと言われたからな。お前も戻って着替えて来いラディウス」

「はい!」


 元気に返事をして、ビヒトにもにっと笑いかけてから、少年はマントを翻して駆けていく。

 よく見ると、辺りで倒れていた者達も血を流している者はひとりもいなかった。


「……どういうことだ?」


 なんだかどっと疲れて、ビヒトの声に力は無かった。


「まぁ、恒例行事よ。抜き打ち訓練みたいなもんだな。帰ってくる度やっとるが……ちぃっと間が空きすぎたからか、若干怠っとるな。若いもんの緊張感が足りねぇ」

「訓、練?」

「大人しく見てりゃあ良かったのに、飛び込んでくるから、紹介する羽目になったじゃねぇか」


 ガラガラとヴァルムは笑った。


「先に言ってくれればいいのに! 誰だって驚くだろう?!」

「ここでは当たり前だったから、忘れとったわ。ま、わしはひとりで小言を聞かなくて済んで助かったがの」


 忘れてたなんて言うのは嘘だろうが、友人と紹介されたことにビヒトは少し驚いていた。一緒にいた時間は、濃密ではあったがそれほど多くない。ヴァルムにとっては一日子守りをしただけで、日常に埋もれていてもおかしくない出来事だ。


 親子ほども歳が離れているのに、自分の態度は少し生意気だと思ってはいるのだが、そもそも冒険者同士はあまり歳を気にしない。強さだけが指標と言ってもいい。

 だからか、ヴァルムもビヒトの口調が変わろうが変わるまいが気にした様子は無かった。彼にとってはきっと多くの冒険者が同じラインに並んでいるのだ。ビヒトはそう思っていたから、そこから一歩抜きん出れたような気がして、こそばゆい思いだった。たとえそれが面倒事を回避しようとして使われたのだとしても。


「さっきの少年は、息子さん……ではないよな」

「ん。あれは姉上の子よ。父親に似て好奇心旺盛でな。わしに連れ出されやしないかと、いつも見張られとる。跡取り息子だと言われれば、あまり連れ歩くことも出来なくてな。幼い頃はうちの坊主と二人、よく担いで出掛けたんだが……」


 ヴァルムはついて来いと顎で示して先に歩き出す。


「息子さんはあの中にいたのか?」

「いんや。いなかったな。小せえ頃から剣術も武術もあまり好きじゃなかったみてえだから、いなくとも不思議じゃねえ。多分、部屋に呼ばれてると思うぞ」


 ビヒトは魔術の話が出来なくなって距離の開いた自分と父のことを思い出した。ヴァルムも子供に会いに帰らなくなったのは、そういうところもあるのだろうか。

 それしか繋がりがないのに、その話をするとどちらも辛くなる……

 ヴァルムの態度からはそういう感じは受けないけれども、もしかしたらという思いはあった。だから、あの日彼は連れ出してくれたのかも、と。


「俺の比じゃなくデカくなってるんじゃないのか?」

「あん? んん……そう、かもな」


 ヴァルムが少し緊張気味に顔を強張らせたので、ビヒトは小さく笑った。

 いつでもマイペースなのに、血の繋がりのある者にはやはり思うところがあるらしい。この分だと実はお姉さんにも強く出られないんじゃないだろうか。

 繊細な模様が彫り込まれた扉の前で一呼吸入れる。


「普通、こういうとこは客が先に通されて偉い奴は後から来るもんだが、今日は多分全員揃っとる。手と足、一緒に出すなよ?」

「堂々とだろ? 全く、領主とすれ違うこともないなんて言ったくせに」

「んだから、それはおめえさんの自業自得だろうて」


 笑いながらヴァルムは扉をノックした。




 形式的な挨拶は滞りなく終えた。

 パエニンスラ領主クラールスは、息子と同じ人好きのするにこにことした笑顔で立ち上がると、自ら壇上を下り、皆をテーブルの方へと促した。


「堅苦しいのはここまでだ。酒でも――茶でも飲みながら、ゆっくり話そう」


 妻に一睨みされて、領主は慌てて言い直す。

 ビヒトは領主家族の中に交じって同じテーブルに着くことに抵抗を感じて、そっと辞退しようとしたのだが、当の領主にさあさあと背を押されて半ば無理矢理座らされた。

 銀糸の刺繍の入った真っ白なテーブルクロスや装飾の施された華麗な椅子に、せめて着替えだけでもしたくなるのは、ビヒトが家を出てもカンターメン家の息子だからだろうか。


 そわそわと落ち着かない気分でいるうちに、右隣に領主夫人、左隣に領主の息子が座った。

 ん? と顔を上げると、正面に領主の顔。領主の右側にヴァルムがいて、左側には、ヴァルムの息子のセルヴァティオが座る。

 うっかり立ち上がったビヒトに皆の視線が集まった。

 領主がにっこりと笑う。


「何か?」

「いえ、あの……場所、が」


 百歩譲っても、自分と領主の位置は逆だろう。譲らないなら、末席であるべきだ。

 セルヴァティオ以外の全員が口元をほころばせた。


「身内しかおらんのでな。好きなように座らせたら、そうなった。気にするな」


 領主夫人と領主の息子にそれぞれ視線を向けると、それぞれに笑顔を返される。ビヒトは自宅で自由に座ったことなどなかったので、自分が何処に誰と居るのか、判らなくなりそうになった。助けを求めるようにヴァルムを見ても、彼は笑いをこらえるばかりで、座れと手を振ることしかしない。


「……客人を困らせるのは良くないのではないですか? ラティナ様、席を変わりましょう。それならまだに近い。お話されたいのであれば、また後で時間を設ければいいでしょう」

「若者二人に指摘されてしまっては、これ以上は領の恥になりますね。仕方ありませんね……ビヒトさん、よろしくお願いします」


 領主夫人は残念そうにセルヴァティオの意見に従った。

 入れ替わってやってきた青年と見紛う少年にそっと礼を言う。どうやら、彼は今年成人したばかりらしい。ヴァルムのように白っぽい灰色の髪に、母親譲りなのか、青い瞳は笑顔の少ないその顔を少し冷たく見せている。体格もがっしりとしていて領主の息子と同じくらいの背があるので、年齢よりは随分大人に見えていた。

 分かっていたはずなのに、彼を見た時ヴァルムがかなり動揺していて、ビヒトにしたように顎を掴んで右に左に舐めるように見るものだから、終いには「いいかげんにして下さい」と手を振り払われていた。


 なんとか落ち着いたところで、使用人達が動き出した。

 こんなことには慣れているのか、それとも教育が行き届いているのか、彼女達に動揺は無い。

 久しぶりに嗅ぐ、紅茶のいい香りに、ビヒトはヴァルムの言う「少し変わっている」を噛みしめていた。




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