19 姉と弟
そこは使われていない部屋のようだった。窓が少し開いていて、赤いカーテンをゆったりと揺らしている。
その窓際に置かれた小さなテーブルと二つの椅子の一つを彼女は勧めた。
空いたもう一つの椅子に腰かけると、彼女はテーブルに両肘をついて身を乗り出し、華奢な顎を支えて、少し首を傾げた。
「ね。ヴァルムはどうしてあなたを連れてきたのかしら」
少し砕けた言葉と態度に、逆にビヒトの警戒心が上がる。びしりと背筋を伸ばしたまま、それ以上彼女との距離が近付かないように気を付けた。
「さあ……再会して、突然誘われましたので。戻ってくる気はなかった、とは言ってましたが」
「戻る気は無かった? もう。自分の子の晴れの姿も見てやらないなんて! ……それとも、見てやれなかったから帰りたくなかったのかしら」
「……別れた奥さんは……」
「ちゃんと来てたわよ。彼女にも会わせる顔がなかったんだから。あなたも成人の時はご両親に祝われたでしょう?」
ビヒトは自嘲気味に笑った。
「いえ。うちは式には誰も。家で母には言葉をかけてもらいましたが」
目を見開いて、領主夫人は姿勢を正した。
「……そう。事情があるのね。魔術師になれないから、冒険者に?」
「どちらかというと、魔術の可能性を知りたいから、です。その道をヴァルムが示してくれました」
領主夫人は眉を顰めて首を傾げる。
「ヴァルムは魔法はからっきし。陣は使えるようだけど、だいたい力で押し切るのではなくて?」
「彼が魔法を斬れるのはご存知でしょうか?」
「ええ。何度か見ました」
「魔術を習った人間では、あの発想はできません。彼も理屈で斬ってる訳ではないらしい。それを聞いて、最初は反発もしたんですが、出来ていることを嘘だとも言えない。呪文で魔法を発動させられない私に、魔獣は本能で魔法を使うと。魔法の可能性はもっと自由だと彼は言いました」
「ああ……無責任に言いそうなことです」
額に手を寄せる彼女にビヒトは微笑む。
「学校で習うことだけで煮詰まり、焦げ付きそうだった私には救いの言葉でした。諦めるのはもっといろんなものを見てからでも遅くは無いのだと。そのあと一度だけ、私も魔法が斬れました。たった一度ですが出来たのだから、もっと魔術に触れればいつかは彼のようにいつでも斬れるようになるかもしれない。そう思って帝国に向かう途中で彼に再会して……」
ふと、ビヒトは顎に手をやった。
「そういえば、ここには彼の『ガラクタ』があると……」
「『ガラクタ』? ……あれのことかしら」
「心当たりがおありですか?」
頬に手を添えて、領主夫人は苦笑した。
「あの子、時々昔の遺跡でいろんなものを拾ってくるのよ。何に使うのか判らないような物をね。現地から送られてくるから、そのまま彼の部屋に押し込んであるのだけど……いつまでも子供のよう。それも、多分育ちに関係しているのでしょうね。私にも責任はあるのよ」
あの子、という表現がヴァルムに似合わなくて、でも確かに彼女には弟なんだということが解る言葉だった。並んでいても、兄妹といわれても、にわかには信じられないのに、彼等は姉弟なのだ。
「そう。それを貴方に。友人というのは方便だけではなさそうですね」
「そう、ですか?」
「ええ。子供達に自慢したかったのかも。ラディウスなどは冒険者の友達を連れて来いなどと言ってたこともありますから。でも、ご存じの通りその辺の冒険者では連れてきても滞在させるまではできないでしょう。私が騎士団長の妻、くらいだったら良かったのでしょうけど。権力者にいい顔をしない方たちも多いですしね。かといって、私達が崩し過ぎるのも示しがつかなかったり……」
ほう、と息をついて、領主夫人は思い出したように小さく笑う。
「貴方が席順を気にして下さって、ラディウスにはいい勉強になったと思います。私と主人はそれで気にしない人物ならそれなりの対応をするところでした。でも、それでは子供達への悪い見本にしかならなかったかもしれません。カンターメン家はどうしてこんなにしっかりしたお子さんを手放しているのかしら」
「兄達も、姉も、優秀ですから」
ビヒトの言葉に、ヴァルムと同じ灰緑色の瞳で彼をじっと見つめると、領主夫人は少し目を眇めて口角を上げた。
「では、貴方が自分の道を進めなくなったり、迷ったりした時はわたくしの専属の護衛兼執事におなりなさい。貴方がいれば、ヴァルムももっと頻繁に帰ってくるでしょう。アレイアがいらないというのなら、パエニンスラが貰います」
有無を言わせぬ物言いに、ビヒトは少し怯む。
「護衛はわかりますが、執事?」
「飲食の管理も貴方が出来れば完璧ではありませんか。一見誤魔化せますし、傍にいて不自然ではない。その見目なら、整えればもっと色々使えるでしょう?」
「は?」
「あら。自覚はないの? そう……目標以外は見えないタイプかしら。にこりと笑って褒め言葉の一つでも囁けば、女性はいくらでもついてくるでしょう?」
「ついてこられても困りますし」
眉を顰めるビヒトと暫し黙って見つめ合って、それから領主夫人はころころと笑い出した。
「若いのに、ってヴァルムなら言うわね。でも、何故貴方なのか解った気がするわ。ね。飲み物もないけど、もう少し、今度は昔話に付き合ってくれない?」
そう言った彼女は領主の妻ではなく、ひとりの姉の顔をしていた。
◇ ◆ ◇
ヴァルムは産まれた時から大きくて力の強い子で、七歳の時には十歳の私よりももう大きかった。
母はそんなヴァルムを産んだ時、酷い難産からそのまま体調を崩し、あの子が三つの時には空に帰ってしまったの。父は男手ひとつで、小さい村だったから隣近所の手も借りたけど、なんとか私達を育ててくれて。
その父も無理が祟ったのか、私が十三の時にぽっくり死んでしまって、私は進級を断念しなければならないかと思い始めてた。学費は免除になっていたから心配なかったけど、問題は生活費と食費。それをどうにか稼がなければ勉強どころじゃない。
結局、私は職を探し始めた。
そうしたら、ある日、スリ傷だらけのヴァルムが目の前に死んだ鹿を差し出したの。
彼は毎日幼学校に行ってると思ってたから、すごく驚いた。
「ラティナ。動物は肉も食えるし、角や牙は売れるらしい。わしは勉強よりは身体を動かす方が好きだ。ラティナが学校へ行け」
彼は村の猟師について歩いて、猟や害獣駆除を覚えたみたいだった。
いくら身体が大きくてもまだ十歳。私はバカ言わないでって笑おうとした。彼だって別に成績が悪かった訳じゃない。危険だってあるに違いない。だけど、食料とお金が手に入る彼の提案以上のまともな職を私が見つけることは出来なかった。
「卒業まであと二年だ。それでラティナがいい職に就ければ、心配はなくなるだろう?」
ヴァルムのその言葉に、私は絶対いい成績で卒業するからと約束して、そのまま学校に通うことにした。
ヴァルムが『わし』なんていうのも、乱暴に振舞うのも私の為だった。本人はそんなこと一言も言わないけど、少しでも大人に見えるように、小柄な私が妙な輩に目を着けられないようにしてくれていたんだと思う。
卒業まで頑張って私は会計士の資格を取った。
もう大丈夫だからとヴァルムに学校に戻るように言ったんだけど、「今から戻ってももうわからん。こっちの仕事は安定してきたから、ラティナがもう一つ上に行け」と。
気付いたら年を誤魔化して冒険者の登録を済ませてた。何を狩っているのか、貯金もあるから心配するなと入学申し込みの書類と共に渡された。
私は少し怖くなって、危険なことはやめてってお願いした。無理をしなくても、二人ならやっていける。
だけどヴァルムは、わしは死ぬようなことはしないから、と。そういうのは判るから、ラティナをひとりにはしない、と。
半信半疑だったけど、ある時村のちょっとしたお祭りで、ヴァルムが急に暴れたことがあったの。並べられた料理を全部地面にぶちまけて「食うな」と。もちろん白い目で見られて謝って回ったけど、ヴァルムがぶちまける前にそれを口にした人達はみんな中毒で命を落としていった。
理由を言えばいいのにって諭したんだけど、理由なんて分からないって。だから、説明はできないって。
あちらもこちらもなんとなく気まずくなって、帝都の学校に結局行くことにした。
ヴァルムも村を出たけど、家にいることは少なくて、ふらりと帰って来てはお金を置いていくような生活だった。
その学校に居る二年の間にクラールスに会ったの。勉強ばかりで周りを見ない地味な私の何処が良かったのか、初めは詰まってた問題を教えてくれて、段々息抜きも必要って誘われるようになって。
領主の息子だなんて知らなかった。金持ちばかりの周囲と卒業後も付き合えるなんて思ってなかった。
受けてみなよって渡された試験会場のメモに感謝して受けに行って、受かった先がお城だっていうのもなんだか夢を見てるみたいだった。そこでクラールスに再会して、でも彼は試験に受かってそこにいるわけじゃなかった。
彼のことは好きだったけど、自分は実力で受かったんじゃないのかと、悩んで、悩んで……
泣く泣く気持ちをぶつけた私に、彼は僕はメモを渡しただけだと。実力でここまで来た君だから、未来の領主の妻も勤まるだろうと。どうか僕と結婚して下さいとプロポーズされて。
嬉しかったけど、ヴァルムがいる。
あの子に城の暮らしができると思えない。騎士団にとも考えたけど、今まで自由にし過ぎてあんなにきっちりした生活は無理だと本人が言う。
面倒なら縁を切ろうと、あっさりとあの子は言った。
私は嫌だった。ここまで来れたのは、ヴァルムがいたからだ。
私をひとりにしないと誓った彼を、どうして私が切れるのだろう。
クラールスに理由を話して断ろうとしたら、彼は別にあの子が冒険者でも構わないと。冒険者ヴァルムを調べてみたけど、それ程の問題はないと。君が領主一族に名を連ねるほうが、彼も暴走できないんじゃないのかと。
代々のパエニンスラの気質なのか、当時の領主だった彼の父親も、彼を領主にするわけではないからと快活に笑った。尻拭いは得意だとも。
呆れるやら、嬉しいやら、感謝でいっぱいだった。
だから、ヴァルムには自由と引き換えに最低限を叩き込んだの。できるはずなのだ。彼はその時何が必要か、一番知っている。
「好きなことをしているならいいの。でも多分、あの子はいつもギリギリを生きている。それに慣れすぎてしまったから、並ぶ者がいなくても気にしなかった。死を避けた時、その死が隣の者にぶつかるのは嫌でしょう? でも、あなたは彼と全く別の道を歩いている……いえ、駆けている。全力で、真直ぐに前だけ向いて。たまたま交差した道を少しの間共に歩いて、楽しかったのね。きっと、あなたも。やりすぎるあの子を一瞬でも止められる貴方が、あの子の友人であってくれることを、わたくしは祈ります」
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