61 決着
ハテックの動きはビヒトと対峙していた時の何倍も速かった。それを見ると、ビヒトなど所詮物珍しい玩具でしかないのだとよく分かる。
よく見知った
それは相手も同じなのだろう、組み合っていても牽制で放たれる小さな魔法は、同じように放たれる魔法で相殺されていた。
同じくらいの実力なのだと思うが、後から来た魔豹は始終ヴァルムやビヒトの方を気にしていた。隙あらばと魔法も飛ばしてくる。
相手をしているハテックは、そんな風に気を散らす隙をついては攻撃を仕掛けるのだから、どちらが優勢になるかは見えていた。
ビヒト達がいてもお構いなしで撃たれる魔法は、別に人間どもを庇っている訳ではないと主張しているようにも思えるし、それがことごとくヴァルムに斬られていくのは、それを信頼して撃っているようにも思える。ビヒトがヴァルムに魔法を撃ち返すのに躊躇いが無いのと根は同じような気がした。
相手がヴァルムに向かって一際大きな
今まで斬るばかりだったので、戻ってきた魔法に魔豹は焦って体勢を崩す。
その喉笛をハテックは的確に捉えた。
引き倒し、身体を押さえつけて低く喉を鳴らす。答えを待つ間、その牙にはまだ力が入っていなかった。
一瞬の静寂の後、ちりちりと辺りの魔素が震えた。
背筋に寒いものが走って、ビヒトは胸元に爪を立てている子ハテックを抱えたまま、フルグルの脚の間を潜り抜けてヴァルムの横へと這い出していく。
厳しい顔でビヒトを見下ろしたヴァルムと目が合って、彼も漠然と不安を感じているのが解った。
ビヒトはヴァルムの剣に手をかける。
意識を細くしてハテックたちの様子を窺ったビヒトに、魔術式が立ち上がって行くのが見えた。
滑らかに密やかに、魔力の放出は最低限に抑えてゆっくりと編み上げている。
胸から子ハテックを引き剥がしてヴァルムに放り投げると、その手からもぎ取るように剣を奪った。
「貸せ!」
抵抗が無かったのは、それが最善だとヴァルムが判断したからだろうか。
先程まで眩暈のしていた身体が軽い。ただ、時折ちかちかと小さな白い星がビヒトの目の前に瞬いていた。
木陰から飛び出してきた人間を、噛みついているハテックが訝しげな眼で、押さえつけられている魔豹が余裕に嗤いながら見ていた。
範囲指定は終わっている。この辺り一帯を自分も含めて根こそぎ切り刻むような、吹き飛ばすような、
ハテックたちの上を飛び越えながら、ビヒトは何もない宙にヴァルムの剣を振る。
その意味をその場で理解した者はなかった。
入念に準備した魔術式に一気に魔力を籠められ、押さえこんでいた方のハテックも状況を理解したようだった。顎に一度力を入れると、相手を振りほどいて距離を取る。
ごう、と風の音がビヒトの耳に届いた。
続いて強く吹き付ける風に身体が流される。自分が成した(あるいは成せなかった)ことの結果も見ずに、地面に叩きつけられる前にビヒトの意識は闇の中に消えた。
◇ ◆ ◇
パチパチと火の爆ぜる音が聞こえてきて、意識が浮上する。
生きてる、と安心したかったのに瞼が動かなくて、少しだけビヒトは焦った。
すぐに顔に触れる毛の感触と、ぎゅうと両目に感じる圧迫感で何かが顔に覆いかぶさっているのだと気付いたけれど。
それを退けようとゆっくり手を動かすと、ヴァルムの声がした。
「起きたか」
落ち着いた声にほっとする。少なくとも最悪の状況ではないらしい。
両目を押さえていたのはハテックの子供だった。捕まえる前に手の届かない範囲まで逃げていく。けれど、それ以上は離れていかなかった。
辺りは闇が下りていて、虫の声と水の流れる音がする以外は静かなものだった。焚火の向こうに炎に照らされたヴァルムの顔が見える。
見えはしないが、河原まで戻ってきたのだろうかと、水音に振り返りながらビヒトは身体を起こした。
すぐ傍にフルグルが身体を横たえていて、少し驚く。
「どうなった?」
「どうもこうも……」
「がう」
控えめながら獣の声がして、ビヒトは身構えた。
よく見ると、炎の光が届くぎりぎりでハテックが伏せていた。ゆらりゆらりと長い尾が揺れている。
「……な……」
フルグルが片目を開けて低く喉を鳴らす。彼女がここにいるのは、どうやら護衛役らしい。
「何をしたのか知りたいらしい。まあ、わしもだが。意識のないお前さんにそいつが殺気立って詰め寄ったから、フルグルがお怒りでな。若干面倒な感じに……」
苦笑するヴァルムにフルグルはフンと荒い鼻息を吹き出した。
「……守ってくれてたのか。ありがとう」
身体を撫でてやると、当然というように一声鳴いて、また目を伏せた。
「もう一匹はどうなった? 逃げたのか?」
「深手ではあったんだが、発動した魔法にひどく驚いて、これまた意識のないお前さんに飛びかかったもんだから、そいつとフルグルに……」
肩を竦めるヴァルムは出番がなかったと、冗談とも本気ともつかないことを言った。
「あっちのハテックの魔法じゃなかったのか? 状況がよく解らねえんだ。まずそうだって雰囲気だけは解ったんだが」
カップに茶を淹れてくれて、ヴァルムも自分のカップに口をつけた。
ビヒトは受け取ったカップに息を吹きかけてから口をつける。
「……あちらの魔法だった。広範囲の
くるくると指を回して竜巻を表して、それからもう一方の指をそれを突っ切るように一直線に動かす。
「なるほどな。何の魔法か判らなかったのはそのためか。そりゃあ、効果が違ってんなら発動した方は驚くな」
可笑しそうに笑うと、ヴァルムはハテックの方を向いて「だとよ」と言った。
ハテックは低くごろごろと喉を鳴らすだけだったので、ビヒトには伝わっているのかどうかも判らない。
「あおられた木が倒れたり、折れた枝が落ちてきたりもしたが、確かに
「そこは覚悟してた。そうしなけりゃ無理だったし……運が良ければ、ヴァルムかフルグルがうまくやってくれるかと」
「運が良かったな」
にやりと笑われて、ビヒトも苦笑した。
「飲んだらもう少し休め。どうせ夜ももう深い。そいつがいるから、寄って来るモンもそういねぇ」
指をさされて不服そうではあったけれど、ハテックは文句は言わなかった。
「ヴァルムも大変だっただろう?」
「わしは最後に仲裁に入ったくれぇだ。おめえさんを運んだのもフルグルだし」
その仲裁が大変そうな気がしたのだが、ヴァルムはおくびにも出さない。
「……こいつも、逃げなかったんだな」
「おめえさんの描いた陣の有効範囲から出ない方がいいと判断したんだろうよ。風が収まってからそいつが何やら話して面倒そうな顔しとったから、事情の解るやつに任せときゃいいかと思って放っておいたんだが……そいつと一緒についてきおった。ある意味どうすれば生き残れるのかよく解っとるわ」
「ここまで入り込む人間は多くないだろうが……あまり慣れるのも良くないんだろうな」
魔獣とみれば斬りかかる
「まあ、こっちは自分の命を守っただけ。ついでに運よく助かったと思ってくれとる気はするが……」
しばらくうろうろとビヒトの周りをうろついていた子ハテックは、話をしているビヒトに少しずつ近づいて、終いに膝の上へと飛び乗った。怒られやしないかとビヒトやフルグルを窺う様子が愛らしくて、とてもじゃないが動けない。
追い払われないと安心すると、子ハテックは膝の上で丸くなる。ぱたぱた揺れる尻尾がビヒトの腕を叩いていた。
「……ま、わしには警戒剥き出しだし、そう心配ねぇと思うが。お前さんは舐められとるな。寝とる間もちょいちょい手を出してたぞ。調子に乗り始めるとフルグルが窘めとったが……」
「そうなのか」
そう数が多かった訳ではないが、魔獣と殺気をぶつけ合うような対峙しかしてこなかったビヒトは、子猫にしか見えない膝の上の白い塊を、困惑したまま、ただ見下ろすのだった。
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