62 古代遺跡

 敵対心が無いのはいいのか悪いのか、ましてや子供。どう影響するのか判らなくて、ビヒトは悩む。

 今更冷たく追い払ったところで、説得力がない気もする。

 ちらちらと撫でてほしそうに視線を合わせる子ハテックの誘惑に、ビヒトは小さく頭を振って抗った。追い払いはしないが、構いもしない。そう決めることで何とか折り合いをつけようとした。


「……で、明日はまた川を上って行くのか?」


 ヴァルムは返事をせずにハテックを見た。

 ハテックはしばらく知らんぷりを決め込んでいたが、ビヒトの膝の上で子ハテックが「みゃっ」と声を上げると、渋々と言った風に何か低く唸った。そのまま重そうな身体を起こして、不機嫌そうにビヒトの前までやって来て、膝の上からひったくるように子ハテックを咥えて戻って行く。

 そのまま森の中へ戻る訳でもなく、また元の位置で伏せてから、ヴァルムに小さく吠えかけた。

 わたわたとまたビヒトの方へ近寄ろうとする子ハテックの尻尾を踏みつけて動きを止めると、抜け出そうともがく小さな抵抗をうんざり顔で眺めていた。


「一緒に行く、みたいだから案内してくれるんだろう。途中までかもしれんが」

「そうなのか? 本当に?」

「でなければ、そこに残る意味が分からん。聞きたいことは聞いたはずだし、さっさとねぐらに戻ってもいいからな。ちびのことも何かあるんだろう」


 眠っているはずのフルグルが、大きく息を吐き出した。



 ◇ ◆ ◇



 結局、ヴァルムと話しているうちに空が白み始め、フルグルに寄りかかったまま少しの間うとうとしていたビヒトは、膝に軽い衝撃を感じて目を開けた。

 膝に手をかけ、伸び上がってビヒトを覗き込んでいる子ハテックの口には、まだ尾を震わせている小魚が咥えられていた。

 よく状況を呑み込めないうちに、膝がじわりと冷たくなる。気が付けば、腿の上にもビヒトの周りにも魚が散らばっていた。


「なんだ……? 褒めてほしいのか?」


 猫は自分で狩った物を飼い主に自慢しに来ることがあるという話を思い出して、撫でてやろうかと手を出して屈みこむと、子ハテックはビヒトの顔にぐいぐいと魚を押し付けた。

 生臭いぬめり気が口に入り込んで思わずむせる。


「……っぶ……あ、ちょっと、待て……火……火を通させて……」


 唾を吐き出しながら子ハテックの顔を遠ざける様子に、気付いたヴァルムの笑い声が響いた。

 小枝に川で洗った小魚を刺して焚火へと立てかける様子を、子ハテックは不思議そうに首を傾げて見ている。


「子分だと思われとんのか。おもしれえな」

「そういうものなのかどうか判らんから何とも言えん」

「普通、子供とは会わんからなぁ……こんくらいだと、普通の犬猫と変わりないのかもしれねぇ。本能より好奇心の方が勝るんだな。個体差もあるんだろうが」


 伏せて眠っているように見えるハテックは、無視を決め込んでいるようだった。尻尾の先だけいらいらと振れている。

 焼けた魚を串から外して子ハテックの前に置いてやると、不満気な顔でビヒトを見上げた。


「お前さんに食わせるのに獲ったんじゃねえか? 先に食ってやれ」


 言われて、別の一匹にかぶりつく。


「ん……うまい。ありがとう」


 もくもくと動くビヒトの口元をじっと見て、納得したのか、子ハテックも魚を口にした。軽く塩を振ったのが気に入ったのか、あっという間に平らげて、焚火の周りに並ぶ魚に釘付けになる。結局ほとんどを自分で食べてしまってから、はっとしたようにビヒトを見上げた。

 ビヒトは笑いをこらえながら満足したと腹をさする。実際、糧食を口にしていたので充分だった。


 火の始末を追えたのを見計らうかのように、子ハテックが胸を張って先を行く。

 ついて行っていいものかヴァルムと視線を絡ませていると、ハテックがのそりと動き出した。子ハテックに一声かければ、子ハテックは慌ててハテックの傍に駆け寄る。ちらりと振り返る視線にビヒト達も竜馬でついて行った。


 川を渡り、深い森の中へと分け入って行く。

 アレイアの方向を確認しながらついて行っていたビヒトだったが、概ね西へ向かっているのは間違いなさそうだった。

 魔獣の先導があるからだろう。道中は余計な邪魔も入らず、順調そのものだった。ハテックの食事(のための狩り)の間、待つことにはなるのだが、迷うことも逃げることもないので時間的には無駄が無くて済んでいる。

 狩りが終わると、子ハテックが誇らしげに肉を分けてくれるので、子分らしく、ありがたく受け取っておいた。

 子分からは水と乾燥させたフルーツなどを差し出して、与えられるだけではないように気を付ける。

 事実自然界でどうかは判らないが、それで、概ね上手くいっているような気はしていた。


 二日ばかり移動したところで突然目の前が開けた。

 白っぽい石で造られた、三角形に近い、天を刺すような階段状の建造物は、下半分が蔦や苔に覆われている。一部には木の根が這い回り、自然に飲み込まれつつある様は遺跡と呼ぶのに相応しかった。建物の中腹に伸びる階段の先に黒く四角い穴が見える。あれが入り口なのだろう。

 すでに日が傾き始めていたので、逸る心を抑えて一晩は入り口前で過ごすことにする。

 竜馬たちは階段下で放されていた。ビヒト達が戻るまで自力で待っていてもらうのだ。


 野営の準備を始めるビヒト達を尻目に、子ハテックは好奇心を抑えられずに入口を覗き込んでいた。ふらふらと奥に入り込みそうになるたびに、ハテックに連れ戻されている。

 何度か同じやりとりを繰り返してうんざりしたのか、火を熾し終わったビヒトに子ハテックを押し付けると、ハテックは沈みつつある夕陽に向かって遠吠えをした。

 赤く焼けた空に、鳥たちが一斉に飛び立っていく。

 少し物悲しく響く声を、子ハテックは緊張した面持ちで聞いていた。




 夜が明けると、一番張り切っていたのは子ハテックだった。

 先頭に立ち、早く早くと振り返っては立ち止まる。

 真直ぐに続いた通路をしばらく進んだ先で、ホールのような開けた場所に出た。ヴァルムは特に感慨も無いようだったが、ビヒトは高い天井と、思いの外しっかりとした造りをゆっくりと見渡した。

 薄暗いが、どこからか外の光が差し込んでいて、見えないというほどではない。カンテラは必要そうだが、少しほっとしたビヒトだった。


 足を進めようとしたビヒトをハテックが身体で押し留める。

 訝しげに見下ろした彼の服をハテックは咥えて引っ張った。そのまま壁際に誘われて、足元に気をつけながらビヒトはついて行く。

 ハテックは伸び上がって、たし、と壁を叩いた。

 手の先をカンテラで照らしてよく見ると、少し汚れて、すり減った箇所を指しているようだ。まるで何度もそこに触れていたかのような滑らかなへこみ――


 そっと手を伸ばして触れてみても、特に変化はない。塵や埃でざらりとした手触りは、少し擦ってやるとつるりとしたものに変わった。


「……なんだ? ここが何か?」


 困惑するビヒトにハテックは呆れたように一吠えした。

 小さな風の刃がビヒトの髪を何本か切って散らす。

 はっとして、ビヒトは触れている場所に魔力を流した。すっと染み込むように魔力が馴染み、壁の中を走って行く。ホールの壁を一周して天井にまで走ると、天井がぼうっと白く発光した。

 魔力は途中でいくつか枝分かれした気配があったが、全てを追えるほど余裕はなかった。


 ぽかんと天井を見上げているビヒトと同じように、ヴァルムも天井を見上げていた。

 ハテックはもうこれでサービスは終わりだという風に、やはり天井を見上げている子ハテックを咥えると、元来た通路へと戻って行く。

 子ハテックはどうしてというように暴れていたが、ハテックは喉の奥で一喝して、そのまま外へと連れ出していった。




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