66 地下四階

 どのくらいの時間眠っていたのか。人の動く気配に目覚めると、ビヒトの隣でヴァルムが大きく伸びをしていた。


「……おぅ。起こしたか?」

「いや。目が覚めた。結構、寝た、かな」

「多分な。腹減ってるから、何か口に入れてから動こう」


 ビヒトも軽く身体を伸ばして、背負ってきた袋の中から携帯食を取り出す。ガチガチのパンをナイフで削るように切り出し、水に浸して少しずつ柔らかくしてから口にする。火を焚ける場所なら、粉ミルクを湯に溶かせるのだが。マリベルの陣で出せる火では時間がかかりすぎる。

 幸い前日まで肉類に困ることはなかったので、栄養的にはしばらく問題無いだろう。ビヒトはそういうものだと特に思うところはなかったのだが、ヴァルムは物足りなそうだった。


「俺の分、もう少しやろうか?」

「量の問題じゃねえ」


 解っていて笑いながら聞くビヒトに、ヴァルムは子供のように口を尖らせた。


「昨日声のしてたネズミかなんか、獲っておくんだったな」

「燃やす物ないぞ」

「少し戻れば、木の枝くらい拾える」

「戻るか?」


 むー。と腕を組んで、一唸りすると、ヴァルムは肩を落とした。


「……戻って何か獲れるとも限らん。そんなにいる気はねえからな。外に戻ってから存分に食おう」


 断腸の思いで、とでも言うかのように厳しい顔でそんなセリフを吐く。

 ビヒトは小さく笑って、取り出した干し肉を半分割いてヴァルムへと差し出した。


「やるから我慢しとけ」

「ん? ちまちま作っとったやつか?」

「量はないぞ。多少、気分は上がるだろう」

「上がるな」


 早速干し肉を咥えると、ヴァルムはにっかと笑ってビヒトに親指を立てて見せた。




 少なくなってきた荷物を整理して、武器の点検も終わらせてから、二人はさらに下の階へと足を進めた。

 階段を下りているうちに、壁が人工的なそれから固い岩盤をくりぬいたような質感に変わった。少し湿った、冷やりとした空気が頬を撫でていく。空気を循環させる仕組みがあるのか、亀裂や崩落でどこかに穴が開いているのか……ビヒトがカンテラを持ち上げて天井を確認しても、それらしい穴は見つからなかった。


「雰囲気が変わるな」

「ああ。上も明かりがついてない時は落とし穴だったり、つぶてが降ってきたり飛んで来たり、はりつけにされそうになったりする罠があったもんだが」

「そうなのか?!」


 驚くビヒトにヴァルムは軽く肩を竦めてみせる。


「わしも驚いとる。夜間や休日の防犯措置だと言われれば、確かにそれらしい。捕らえることに重きのある罠だ。明かりが点くだけでこんなに楽になるとは」

「でも、魔力を流すだけで明かりが点くなら、誰でも入れるし、防犯にならないんじゃ?」

「明かりのつく時間帯が決まっとるのかもしれん。わしらは明るくなってから入ってきたからな」


 そうか。と、何度か目を瞬かせているうちに階段を下りきった。

 ヴァルムが通路手前で足を止め、慎重にカンテラを掲げて先を見ようとする。


「この辺りから飛んでくるものが矢になったり、毒が噴霧されたり、殺傷能力が高くなる。明かりは……点くかどうか」

「試してみよう」


 ビヒトはヴァルムの腰の剣に手をかけ、ポイントを探す。何度かやるうちに慣れてきたのか、すぐに魔力の残滓を見つけられた。奥に続いているのであろう通路の壁際にも何ヶ所か感じる。一番近いポイントに魔力を流すと、今までとは違って、壁際にぽつぽつとつけられた楕円形のランプのような物が順番に明かりを灯していった。

 上までの階と比べると薄暗い。それでも、カンテラの明かりだけとは比べ物にならなかった。


 階段を出たところから右手、東の方に通路は続き、先は右の方にカーブしていて見通せなくなっている。壁は岩を削ったところを滑らかに磨き上げたようで、大きなタイルを繋いだような床との差がなんともアンバランスだった。

 ゆっくりと進んで行くと、カーブ手前で右手に扉のようなものがあった。取っ手やノブなどついていない、ただの四角い板のようにも見えるが、おそらく扉だろう。脇に手のひら大の魔法陣が描かれていて、ビヒトが魔力を流してみると淡い緑に光り、四角い部分が横にスライドした。

 すぐ正面にまた同じような扉があり、隣にはやはり魔法陣が描かれている。ヴァルムをその場に残したまま、ビヒトは中の扉まで近付くと、同じように魔力を流した。

 今度は陣が赤く光って開かない。


「厳重だな」


 肩を竦めつつ戻ると、ヴァルムがカーブした通路の先を睨んでいた。


「どうした?」

「なンか、聞こえた、気が」

「肉にありつけそうってことか」


 振り返ったヴァルムはしばしビヒトの顔を眺めて、表情を崩した。喉の奥で小さく笑うと先に歩き出す。


「頼もしいな。後について来い。できるだけ、同じところを通れ」


 剣を抜いて足元を指す。

 所々にある色の違うタイルはそういう模様なのだと思っていたのだが、ヴァルムがそこに足を乗せた途端、風切り音がした。

 キンッと金属同士がぶつかる音がする。

 折れた矢がビヒトの足元に落ちてきて、思わずビヒトも剣を抜いた。


「たまに、色のねえとこにも仕掛けがある。飛んでくるのは矢だけじゃねえ」


 言うと、ヴァルムは迷いなく足を進める。

 慌ててビヒトはその後に続いた。

 通路の先は今度は左へと折れている。


「明かり、点けたのに……」

「この下は牢屋みたいになっとるから、逃走防止も兼ねとるんだろう」

「罠の位置を覚えてるのか?」

「ヤベぇのはいくつか」


 言ってるそばから火の玉が飛んできた。ヴァルムは焦りもせずに淡々と処理していく。零れたものをビヒトも弾き返した。

 右に左にリズミカルに足を運び、半歩程の距離を飛び越える。

 魔術の気配に気を配りながら、その後をついて行くのは意外と大変で、ビヒトはヴァルムの足下ばかりを見ていた。

 首筋がびりびりするような真空魔術ワクウムを両断して、ヴァルムが足を止める。

 いつの間にか通路の突き当りまで来ていて、道は左右に分かれていた。


 ビヒトは汗を拭ってヴァルムの隣に立ち、振り返って通路の壁を確認する。一度確認していたからか、集中していると魔力の残滓のような、あるいは目印のようなあの感覚を拾うことが出来ていた。床ばかり見ていたが、通って来た通路の壁にいくつか感じて気になっていたのだ。

 ちょうど角の辺りにもあるその場所には何か文字が書いてあった。ざっと床を見渡してこちらの通路には色の違うタイルがないことを確認すると、ビヒトは壁際に近付いた。

 壁には四角く囲って『緊急』あるいは『危機』という意味の言葉が書かれていた。少し下に『解除』の文字も。


「ヴァルム、これ動かしてみても大丈夫そうか?」

「警報とか鳴ったりしてな。まあ、大丈夫だと思うが」


 ビヒトの後ろから覗き込んだヴァルムは、顎に手を当てて少し首を傾げた。彼も床に気をとられていたのか、壁に書かれた文字など気にしなかったらしい。

 文字の辺りに触れて、魔力を流す。文字が赤く発光したかと思うと、目の前に壁が落ちてきた。衝撃音が通路にこだまして、思わずのけぞったビヒトの肩をヴァルムが支える。

 床に衝突した部分がわずかに欠けて、細かい石となって辺りに飛び散っていた。

 通って来た通路を完全にふさいだ岩のような壁に思わず手を伸ばしたビヒトの腕を、ヴァルムが後ろから引いた。


「阿呆。素手で触んじゃねえ」


 逆の手で握られたヴァルムの剣が壁に触れると、風が巻き上がった。

 先程散った欠片がさらに細かくなって、巻き上げられては飛んでくる。

 いまさら、ビヒトの心臓が音を立て始めた。横目で『解除』の文字を確認して震える手で魔力を流すと、壁はするすると天井に飲み込まれていった。


「気を引き締めろ。上までとは違う」


 胸に手を当てて何度か深呼吸すると、ビヒトは深く頷いた。


「こっちには何がある?」


 正面に見えるドアとその右に続くだろう通路を指差すと、ヴァルムは奥に目を向けて、一度振り返ってから口を開いた。


「多分、部屋が二つか三つ。反対に行けば階段とか、南側の通路に繋がっとるはずだ」

「部屋を調べたことは?」

「開かなかったから、ねぇな」

「確認だけ、しとくか」


 一応明かりは点いている。もしかしたらドアも開くかもしれない。

 二人は頷き合って慎重に踏み出した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る