87 蠢くもの

 森の中を小走りで進むビヒトにヴァルムは追いついた。


「随分人気者だな。アレの背に転移陣残っとると思うが、回収するか?」

「できれば。炎系の攻撃で燃えてくれればいいんだが……」

「提供してやらんのか?」


 にやにやとわざとらしい口ぶりで、ヴァルムは顎に手を当てた。


「やりたくないな。戦争や碌でもないことに使われたら厄介だ。どうやったのかは教えても、実物は見せたくない」

「やり方教えたら、同じじゃねえか?」

「違う。俺は自分の血で描き足した。それを教えてやる気はない。それだけで、おそらく同じ陣を描いても上手くいかない気がする」

「……ふうん?」


 よく解っていない風で相槌をうつヴァルムだったが、否定的な響きは無かった。そう言うならそうなんだろうと彼なりの納得を示されて、ビヒトは安堵の息を吐く。

 ヴァルムが本能的に納得したのなら、きっと間違っていない。自分の中に混ざった別の魔力が、力を貸してくれた気がするのだ。それを上手く説明できる気がしないので、ヴァルムのそういうところはビヒトにとってとても有難かった。


 森の奥に進むにつれ、メキメキと木を裂くような音が大きくなってくる。頭上では、時折何かが空を切っていた。

 上から見た限り、海獣は木々の高さを越えてはいなかった。軟体動物のように縮んだり伸びたりして形が変わるので、はっきりとした大きさを捉えるのは難しいが、少なくとも馬車三台分よりは大きいに違いない。

 木々の間から蠢くものが見え始めると、ビヒトは短剣を手に足を緩めた。

 視力は弱いと思われるが、嗅覚やその他の手立てで周囲を認識しているはずだ。魔力が察知できるのであれば、ビヒトやヴァルムはすでに攻撃対象だろう。


 ヴァルムが枝に飛びついて、猿のように渡っていく。

 海獣の攻撃範囲に入った途端、触手は木々の間をヴァルムへと向かった。

 ヴァルムは次の枝へと跳んだ空で触手を切り落とし、止まることなく目標へと近づいていく。痛いと言っていたのが嘘のような軽い動きに呆れつつ、ビヒトは斬られて反射的に縮こまった触手へと向かった。

 追い打ちで斬りつけ、少しでも短くしようと畳みかける。


 弦を震わせるような不協和音が響いて、木々にぶつかりながら触手は跳ね上がった。落ちてくる枝葉を避けながら、ビヒトはヴァルムとは逆方向へと回り込む。

 唯一の明かりは、ちょうど月光程度の明るさで海獣の周囲を照らしていた。

 ガリガリと岩を削るような音に、跳ね上がった触手が反応して伸びていく。ビヒトは触手の伸びる方向とは逆に目で追うと、その根元へと駆け出した。


「さて、こいつにも有効か……」


 ビヒトは冒険者協会ギルドへと移されていた荷物から持ち出した腕輪を発動させる。

 本体へと近づくビヒトに、もう一本の触手が上から叩きつけるように降りてきた。

 ビヒトはわずかに構えるが、手を伸ばす前に触手の先は消し飛んだ。思わず口角が上がる。

 そのまま、ぶるぶると細かく震え始めた本体に近付いて、一抱えはありそうな太い触手の根元を砕き始めた。

 ビヒトの短剣では、さすがに一刀両断とはいかない。

 おろし金で削るように、本体と触手の薄灰色の身は削れていくが、それ自体はそれほどダメージになっていないようだった。ヴァルムに向かっていた触手も戻ってきて、二本の触手がビヒトを払おうと、自身が削れるのも構わず振り下ろされる。


 身が削れているうちは反応は鈍いのだが、中心部にまで達すると、耳の痛くなるような叫び声と共に触手を引く。

 その反応に、ビヒトは予想が当たっていそうだと眉を顰めた。

 ひとまず、半分ほど抉れた触手を短剣で斬り落としてしまう。一際高く上がる声とぐねぐねと波打つ躰に、距離を取るべく下がって一息つく。丁度、大きな魔力が海獣を狙っているのが分かった。

 魔力は最大まで籠めていたものの、腕輪の護りは消費が激しい。一度解除しておくかと、ビヒトが海獣から一瞬気を逸らした時だった。


「ビヒト!!」


 ヴァルムの叫び声に海獣へと意識を戻すと、断ち切った触手の根元の傷が、内側から沸騰するようにぼこぼこと盛り上がっていた。

 もう少し下がろうと足を動かす前に、盛り上がった肉の塊が飛び出してくる。突きのような鋭い衝撃に、風の護りごとビヒトは弾き飛ばされた。

 ほぼ同時に海獣へと氷の槍が降り注いでいく。

 ビヒトは木々を巻き込みながら、思ったのとは違う方法で海獣から離れていった。なんとか受け身をとって、触手が追ってこないのを確認してから、腕輪を解除する。

 ヴァルムがすぐに駆けつけた。


「大丈夫か?」

「ああ。早まって解除してなくて良かった」


 森はビヒトが飛ばされた分だけ真直ぐに道が出来ていた。


「折角、ひとつ潰せたと思ったのに……厄介そうだな」

「再生するとは思わなんだ。ということは、皮膚表面の浅い傷は、つけるだけ無駄かもしれねえな」

「ガリガリ言わせてたのはなんだ?」

「頭の辺りの固いとこよ。この剣でも傷つけるので精いっぱいだった」


 面白くなさそうに、ヴァルムの顔が歪んだ。


「致命傷を与えるには、固い殻で守られた、分厚い脂肪の奥にある場所を攻撃しなきゃならんのか」

「脂というよりは、水を含んだゼラチンみたいな感じだがな」

「あの魔法も……」


 針山のようになっている海獣の背に視線を向けると、触手がそれらをゆっくりと撫で回していた。深部まで刺さっているものは無いようで、突き出している部分は撫で回されるごとに縮んでいくように見える。


「あんま、効いてる様にゃあ見えねえな。お前さんの言った通り、遠慮はしてないようだが?」

「そうでもないだろ。的を絞ってるし、避けやすい攻撃だ」


 ざっと周囲の魔力を確かめて、ビヒトは空を見上げた。生憎、木々の葉が視界を遮って何も見えなかったけれど。

 少し遠巻きに配置されているのがアレイアの魔術師達だろう。なのに、ひとりだけ海獣の真上辺りに位置取っている。触手の届く範囲よりは上のようだが、飛び道具を持つ相手に対する魔術師の配置としては、危険な範囲だった。

 確かに海獣はまだ岸には届いていないが……


「……誰だ」

「ん?」


 小さな魔力が、その人物と遠巻きにしている集団とを行き来する。


「誰か、上でやりとりしてる。現状把握は必要なんだろうが、よく分かっていない相手に対してひとりだけ寄越すなんて」


 暗いから気付かれないとでも思っているのなら、今すぐ考えを改めてもらいたい。

 ビヒトがその人物が見えそうな位置まで移動しようとした時、背を撫でていた触手が氷の槍を一本引き抜いた。

 身構えたビヒトの方ではなく、上空にそれを投げつけるのを見て、ビヒトは舌を打って走り出した。

 触手はもう一本引き抜くと、今度こそビヒトへと投げつけてくる。

 先に上空で氷の砕ける音がした。ビヒトも氷の槍を斬り捨てると、水飛沫が降りかかった。


「……っ!! 溶けてる?!」


 上空を見上げられる場所で足を止めると、細かくなった氷の破片が、弱々しい光を反射しながら海獣へと降り注いでいる。

 魔術師が高度を上げたのか、触手はまた背の氷を撫でる作業に戻っていた。

 月光程度の明かりで、見上げると逆光になってほとんど黒いシルエットにしか見えないが、それでもその人物が着ているのがアレイアの魔術師とは違うものだということは判った。


「……参謀……?」


 目を眇めるビヒトの横にゆっくりと並んだヴァルムが、人差し指を咥える。

 ピィーと空に吸い込まれるように高い音が響いて、海獣も上空の人物もこちらに意識を向けたのが分かった。

 向かってくる触手をヴァルムと逆方向に避ける。

 その一本はヴァルムを追いかけていったが、もう一本がビヒトへと迫っていた。

 一瞬、触手とビヒトの間を吹き抜けた風に戸惑ったように動きを緩めたところを短剣で牽制して、ビヒトは木々の中へと紛れていく。

 しばらくゆらゆらと様子を見ていたものの、背中の氷を撫でるのに熱心なのか、すぐに触手は戻って行った。


『大丈夫ですか?』


 耳に息を吹きかけられるような距離で声がして、ビヒトは思わず飛び退いた。見渡しても誰もおらず、魔法で声が届けられているのだと気付く。そっと木陰から出て上空を見上げると、人型のシルエットが片手を上げた。




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