86 先にいた男

「どうして、こちらに?!」


 ビヒトが驚きの声を上げると、参謀は微笑んで首を傾げた。


「おや? アレと戦っていたのは帝国ウチですよ? 情報提供は当然でしょう? まあ、本国からの増援はまだ許可していただいてないのですが……それにしても、貴方もお知り合いだとは」


 参謀はアウダクスとビヒトを見比べる。その目が全く笑っていないので、情報提供というよりは情報収集のために来たのかもしれない。


「以前、依頼を受けて一緒に仕事をしたことがあるので」

「そうですか。お二人にはまず礼を述べねばなりませんでしたね。わが軍をお気遣いいただき、ありがとうございました。ですが……このような手があるのなら先に言って下されば、他国に迷惑をかけずとも、もっと簡潔に事は済んだかもしれません」


 ふん、とヴァルムは鼻で笑った。


「急に思いついたんでな。相談する間など無かったわ」

「貴方の発案で?」


 参謀は一瞬だけ意外そうな顔を見せて、すぐにまた穏やかな笑顔を張りつけた。


「難しいとこはビヒトに任せた。陣に関しちゃ、ちょっとしたもんだからな」


 何故かアウダクスが横でうんうんと頷いている。


「終わったことを話していても仕方がない。現状を見たいんだが」

「そうだな。では、一緒に行こう」


 アウダクスが目配せすると、魔術師らしき人物が二人と参謀の従者が一人ついてきた。

 外に出ると、最小限の明かりだけで街は暗く沈み込んでいる。

 ビヒトが湖の方へと足を踏み出すと、誰かが腕をがっしりと掴んだ。


「お二方を頼む」

「……え? アウダクス様?!」


 魔術師たちの困惑した声に重ねて、アウダクスが早口で詠唱を終えると、腕を掴まれたままビヒトの身体はふわりと浮いた。そのまま屋根を越えて上昇していく。

 向きを変え、魔術学校の辺りまで移動すると、アウダクスは森の中を指差した。

 かなり高い位置に小さな明かりが浮いていて、木々の中にかろうじて蠢く影が見える。山葡萄の生る辺りから岸までは、直線なら歩いても四半鐘しはんしょうの半分程度の時間もかからないが、あの大きな躰では木々が邪魔してほとんど進めていないようだった。


「ゆっくりだが、木をなぎ倒しながら進んでいる。明かりに反応するというから、手は出さずに待っていたんだ。状況次第では朝まで待つことになる。しかし、驚いたぞ。あの大きさのものが転移してくるとは……君が関わっているのなら、不思議ではないがな。魔力は大丈夫なのか?」

「アウダクスさんこそ。俺を連れて飛ぶなんて、仕事に支障はないのか?」

「なに、後方警備だからな。心配されることはない。派手な魔法はうちの筆頭やヴィッツがやってくれる。そういえば、前の時の魔法陣を彼等が知りたがってたんだ。今回の転移の件だってきっと。挨拶するか?」


 真剣なまなざしは、いつだって戻らない可能性のある冒険者を心配するだけのものではなかった。前回別れてから、ビヒトと彼等の関係に気付いたのかもしれない。


「……いや。戦いの前に、そんなお偉いさんの採点が始まったら、たまったもんじゃない。全部終わって、時間が出来たら、その時に」


 アウダクスは吹き出して、ゲラゲラと笑った。


「魔術師をよく解ってる……やっぱり……」


 残りの言葉は飲み込んで、代わりに呪文をひとつ唱える。アウダクスのビヒトを掴んだ手に少しだけ力が籠もった。


「ありがとうございます。あの、過分なのでは」


 護りの魔法をかけられたことに戸惑いを見せるビヒトに、アウダクスはふふんと笑った。


「気にするな。俺の、小さな優越感を満たすためだ」


 疑問の表情を浮かべたビヒトの視界の端に、何か白い物が走った。

 反射的に空を見上げる。


「今……」

「ああ、あれが転移してきてから、空もご機嫌ななめだ。時々、光ってるな」


 気をつけて見れば、雲の中で光が瞬き、時折、雲の底を這うように稲光が走って行く。音は無く、落ちてくる気配もないが、少々不気味ではあった。

 魔術学校の裏手に下ろしてもらうと、魔術師の一人に同じように運ばれてヴァルムも下りてきた。彼にも護りの魔法がかかっていて、ビヒトは少しほっとする。


「ヴァルムもかけてもらったのか」

「ん? ビヒトもか? 副団長殿は魔法も使えるのか!」

「簡単なものだけですよ。さて、妙案は浮かびましたか?」


 ビヒトとヴァルムはお互い顔を見合わせたが、今までに妙案などあったことがない。二人してニヤリと笑って、アウダクスへと向き直った。


「待つのは性に合わない。さっき言ったように水にも近づけたくないから、俺達は仕掛ける。時々アレの気を逸らすのに光か炎を使ってもらえるとありがたいが……魔法での攻撃をするなら遠慮しないでくれ。俺も、ヴァルムも避けるのは得意だ」

「得意だって……いや、しかし……」

「暗がりでの戦いに自信が無ければ無理することはないが、明るくなれば、どこからか話を聞きつけた、血の気の多い冒険者も増えるだろう。そちらの方が大きな魔法は使いづらくなる。明るくなるまでに弱らせて、数が増えたところで決着がつけば上々だ」

「あのな。うちの魔術師は優秀だぞ。暗い明るいは関係ない」

「知ってる。で、あれば、が報告しているはずの『この程度では意味がない』範囲も理解しているはずだ」


 ビヒトはひとりまだ浮いている帝国の魔術師参謀を見上げる。もうひとりの魔術師は参謀の従者を連れて下りているので、自力で魔法を行使しているのだろう。

 ビヒトの視線に気づくと、彼はゆっくりと下りてきた。


「不思議なのですが」


 何がと問いかけるビヒトの視線に、参謀はわざとらしく首を傾げる。


「私が貴方の、おそらくという言葉が頭に付きますけれど……噂を聞きつけたのは、ここ数年のこと。我が国であれば、優秀な人間を捨て置くことなどないので、貴方はこの辺りの出なのではと踏んでいるのですが……それとなく聞いてみましても、貴方を知る人間がいない。副団長殿がさりげなくスカウトなさっていましたし、もっと有名だろうと思ったのですが」

「ス、スカウトなどっ!」


 慌て気味のアウダクスをどう解釈したのか、参謀は穏やかな笑顔のまま肩を竦めた。ビヒトは別々の意味を込めて、それぞれを小さく睨む。


「この辺りの出なのは確かだ。それがどうした。帝都の図書館にも世話になった。アレの倒し方は載ってなかったがな」

「いえ。どうでも。そうですか。独学ならばたいしたものです」

「言っておくが、俺はどこにも留まる気はないからな」


 くるりと踵を返したビヒトについて行こうとしたヴァルムを参謀は呼び止める。


「貴方は、御存じなので?」

「そりゃあ、、な」


 にやりと笑って歩き出すヴァルムに、参謀は小さく息を吐き出した。


「そう、おかしな話はしていないはずなのですが……あの様子ではうちに来てもらうのは無理そうかな」

「……帝国さんにしては、諦めが早いですな」

「パエニンスラが首輪をつけている時点で分が悪いですからねえ」

「パエニンスラ?」

「御存じありませんか? 冒険者ヴァルムは、フェリカウダ国のパエニンスラ領主の義弟ですよ」

「え? そ、そうなのですか」

「うちはあそことは因縁がありますから……第三国を絡めたのは、偶然ばかりではありますまい」


 何故アレイアなのかと、ちらりと確かめるような流し目に、アウダクスはようやく副団長らしい仮面を被って微笑んだ。


「彼等に悪意があるのなら、こんなに派手なことはしないでしょう。確かに巻き込まれて厄介ですが、頼られているのなら、しっかりと力を見せなければ。売れる恩は売っておくことにしますよ」

「その恩で、何を買います?」

「それを決めるのは、私ではないので」


 はぁ、と聞こえよがしな溜息を吐くと、ゆるゆると頭を振って、参謀は二人の消えた森の奥を見つめた。


「まったく、うちの一人負けですか。傷はなるべく小さくしたいものです」




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