105 油断
ヴァルムは、テリエルを含め領主(すでにラディウスが継いでいる)も交えて、偽ることなくカエルレウムのことを伝えたらしい。
そうすれば両親もテリエルを強く引き止めると分かってのことだった。
テリエルも、少し怖がればいいと思ったらしい。そうしたら、月に一度の訪問くらいでお互いが納得してくれるんじゃないかと。
「そんなの、怖いわけないじゃない。今までだって大丈夫だったもの。これからだって大丈夫だわ。みんなが怖がるのなら、やっぱり私がそばで面倒を見ないと! 遊び相手もいないなんてかわいそう」
両親、特に母親は、冗談じゃないと憤慨した。娘を危険なバケモノの傍に置きたくないと、半島行きを一切許さないと言った。
母と娘の主張は平行線で、どちらも譲らない。
「二人とも、少し落ち着いて。極端な話ばかりしても仕方ないだろう?」
間に入った
「カエルを知りもしないで化物呼ばわりする人なんて、母様じゃない! 父様もそう思っているのなら、もう二人の子なんてやめるわ! お爺さまの子になる!」
思わず手を上げたセルヴァティオから慌ててテリエルを守って、ヴァルムは「もういい」とテリエルを担いでそのまま連れ帰ってきた。
そういうことだった。
ビヒトは頭を抱える。
セルヴァティオは子供に簡単に手を上げるような父親ではないし、母親の懸念も解る。余程の動揺だったに違いない。
ヴァルムは、「どうせ昔から自分は素行が悪い。わしが悪いことにしておいた方が丸く収まるだろう」と、背を丸めて上目遣いでぼそぼそ言い訳した。
ともかく。少し冷却期間を置いた方がいい。両親の心配も言い含めて、落ち着いたら手紙を書くようテリエルに伝えた。ヴァルムにも言ったが、こちらはきちんと聞く耳を持つか分からない。第三者で嘴を挟むのも気が引けるが、当事者としてビヒトも細心の注意を払うことを約束する旨を綴って手紙を出した。
返事は来なかったけれど。
代わりに、ラディウスから手紙が来た。要約すると『彼女は幼い頃からタマハミを恐ろしいものとして刷り込まれてきた。優しいふりをして近付いて、命を啜る。と。娘にも教えてきたはずで、お互いが分かり合うには時間がかかる。ティオは自身の考えはあれ、彼女を否定したくないと言ってる。支援は惜しまない。よろしく頼む』とのことだった。
手紙の端々から面白そうだから、俺もそっちに行きたい的な雰囲気が漂っているが、さすがに自重しているようだ。直線距離ではそう遠くないとはいえ、街に遊びに出るのとは訳が違う。
自由だと思っていたパエニンスラの気質も、領主一族の雰囲気を大いに受け止めていただけで、直近の権力者たちは意外と保守的なのかもしれない。バランスが取れなければ、安定した治世は続かないのかも。
セルヴァティオは父親のことも娘のこともよく解っている。だから、妻の味方でいることを選んだのだろう。
本当に彼は気苦労が絶えないなと、ビヒトは山の向こうを仰いで見た。
◇ ◆ ◇
一年ほどの間は、何度かテリエルを連れ戻しに来ていた両親も、やがて諦めたように手紙だけを寄越すようになった。
カエルレウムの姿を見ただけで、あからさまに恐怖を表す母親に気を使って、彼は来客中は部屋に引きこもるようになったし、それが気に入らなくて、テリエルも両親に顔を見せずに一緒に引きこもったまま出てこない。
頑なな娘に両親が根負けした形だった。
生活が落ち着いて、何となく始めた商売も通いの人間を雇ってどうにか動き出した。
ヴァルムの集めたガラクタをテリエルは楽しそうに眺めている。時には店に立って、冷やかしに来た客に弁舌逞しく押し付けたりしていた。
売り上げの中心は店に出しているものではない。
もう少し大きな、彫刻のような置物だったり、危険ではない変わった魔道具だったり。好事家の欲をそそりそうな物を人を見て薦めるのだ。
村では『ガラクタ屋』と笑われていたが、都会の方では『鬼神』の始めた『
似たような商売をしている者が偵察と邪魔を兼ねて人を寄越したりする。
ビヒトが身体を動かす機会は意外と多かった。
そんなこんなで、きちんとした執事を探す暇もなく、ビヒトは子供達の勉強を見ながら『執事指南書』などを読み込んでみる。誰かに任せるよりは、自分が采配した方が早いという結論に達してしまったのだ。
通いの使用人は少し増やして最初に雇った
金持ちの道楽という形で家の体裁は整ってきた。
落ち着いてくると別の問題が出てくる。
預かっている手前、テリエルの教育はきちんとしなければと思うのだが、本人のやる気に火をつけるのは容易ではなかった。ヴァルムと同じで、必要でないことは身に着けたがらないのが悩みの種だ。
こんな田舎では、社交界に出るような淑女の振る舞いが不必要に感じるのも解りはするのだが。
春の日差しが強まってきた窓辺で、本に目を落としているビヒトの背中に、盛大な溜息が浴びせられた。
「……お嬢様?」
かしこまった声を出すビヒトに、テリエルはこれ見よがしに顔を顰める。
「執事なんてやらなくていいのよ? 私はお嬢様なんかじゃないし、冒険者のビヒトの方が好きよ」
「……と、言われましても……手が足りぬのなら、やらねばなりますまい」
「人を雇えばいいだけじゃない」
苦笑して、テリエルの隣で計算機片手に真面目に勉強しているカエルレウムに視線を移す。
「見合う人がみつからぬのですよ」
迷信は意外と深く人々の心に根付いている。テリエルの母親を見ても、自分の故郷を考えても、それは容易に理解できることだった。安易には決められない。傷つくのはカエルレウムだ。
じっと彼の横顔を見ていたテリエルは、「やめやめ!」と立ち上がった。
「こんな天気の日に計算なんてするもんじゃないわ。ね、山の方に山菜を探しに行こう?」
「……勉強に天気は関係ないじゃないか」
すげないカエルレウムにもめげずに彼女は続ける。
「関係あるのよ。カエルもお日様に当たった方が健康になるんだから」
そう言うと、彼女はカエルレウムの腕を掴んで、ずんずんとドアに向かった。
計算機を使うのにカエルレウムは手袋を外していたけれど、テリエルは薄手の手袋を常につけているし、カエルレウムは袖が長めの服を着ている。このやりとりにそう問題はない。
「っ! リエル、離せっ」
さしたる抵抗も出来ないカエルレウムは、そのままドアの外へと引きずられていった。
ビヒトはぱたりと本を閉じて、溜息を落とす。
ヴァルムはパエニンスラへ商談に出ていた。他に空いた手はないので、ビヒトもついて行かねばならない。
まあ、こんないい天気では外に出たくもなるかと、見失わない程度の距離をあけて後を追うことにした。
テリエルも無茶はしない。だいたい行くところは決まっているのだ。それに、何かあっても分かるように、彼女の魔力は覚えていた。短剣に触れれば追える。
川向こうの山裾に広がる原っぱで二人に追いつき、花を摘みだすテリエルを確認する。カエルレウムは少し離れて近くの立ち木にナイフを投げる練習を始めた。
「お嬢様。こちらに暫くおいででしたら、周辺を確認してきたいのですが」
「行ってらっしゃい」
「声の届く範囲には居りますので」
「大丈夫よ」
振り返りもしない背中から、カエルレウムに視線を向ける。
「坊ちゃまも、お嬢様をよろしくお願いします」
真剣な紺色の瞳が頷いた。
そう危険はないが、春の恵みを狙って野生動物が山を下りてきていることがある。ざっと見回っているうちにテリエルの声が聞こえてきた。
「カエルー。山菜探しに行くよー」
あの、お転婆が!
ビヒトは小さく舌を打って、進む先に回り込むようにして動物たちを追い払う。
あまり深くまで来るようなら首根っこを捕まえようと構えていたが、さすがに途中で引き返し始めた。ほっとして後を追うようにビヒトも戻る。
どうせなら山菜を採っていって、夜にでも食べようか。
少し呑気に目につくものを採っていると、腰の鞄で通信具が反応した。
――ビヒト……
掠れるようなカエルレウムの声に、肌が粟立った。持っていた物を放り出して短剣に手を添え、テリエルの位置を確かめる。全速力で駆けた。
すぐにカエルレウムの泣き声が聞こえてくる。
そんなに離れていなかったのに。
泣きじゃくるカエルレウムの傍には、死んだ鳥の雛と、手袋を外したテリエルが青い顔で倒れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます