104 決心

 安心したのか、水に浸かりすぎて疲れたのか、カエルレウムはベッドに潜り込むとすぐに寝息を立て始めた。

 しばらく見守ってから部屋を出ようとしたビヒトに、ヴァルムが囁いた。


「触れてみるか?」


 カエルレウムを知るうちに、ビヒトの中でずっと燻っていたことだった。

 本当に命を啜るようなことが起きるのか。本人がそう思っているだけなのではないか。地底湖でのことは不思議だが、カエルレウムが元気になることと、命を啜ることは別の問題なのかもしれない。

 口ぶりから、ヴァルムはすでに経験済みなのではないかと直感する。

 視線だけでやはりそうなのかと責めれば、ヴァルムはゆるりと首を振った。


「そっと、手を握れ。頭痛と眩暈がしたらそこまでだ。甘くみんな」


 珍しく、その表情に余裕はなく、鬼のように冷たかった。

 気を引き締め、跪いて布団の中へ手を忍ばせる。子供らしく柔らかい手は、ぽかぽかと熱を発していた。

 すぐに異変を感じる。自分の中から何かが強制的に引き出されていく。魔力の動きとは違う、得体のしれない物。

 ガツンと殴られたような頭痛がしたかと思うと、ぐらりと世界が揺れた。

 慌てて手を離したけれど、眩暈も頭痛も治まらない。

 剣を使って無理矢理感覚を上げた時の反動にも似ているが、あれよりももっと強烈で激しい。

 動けなくなったビヒトを、ヴァルムが連れ出した。


 書斎に連れ込むと、小さな試験管を取り出しビヒトの口へと突っ込む。

 なんだと聞く前に上を向かされ、口を塞がれた。特に味は無く、ぬるい水という感じだった。

 嚥下したのを確認するとビヒトをベッドに横たえ、自分はその傍に腰掛ける。


「キツイだろう? 酷くなると吐き気もするらしい。それが、坊主が毎月寝込んでる時の症状だ」


 ゆっくり頷くビヒトに、ヴァルムは小さく息を吐く。


「お前さんを呼んだ理由の一つに、魔力量が多いから、というのがある」

「魔力、量?」

「最後の一線、魔力量が多ければ生き残る可能性が上がる。何に対しても。一時的に他の物の代わりが出来るのだろう。だから、不慮の事故がおきても、お前さんならなんとかなると思ったんだ。テリエルもそうだ。うちの家系は魔法は使えないが、魔力量は多めだ。考えとらんわけじゃない」

「ヴァルムも……」


 試したんだな、と声にする前に、ヴァルムは静かに頷いた。


「婆さんの監視の元、やはり坊主が寝とる時にな。起きとるときにはとても出来ん。さっき飲ましたんは、坊主が沐浴する前に採取した湖の水を煮込んで濃縮させたもの。明日の朝には少し良くなっとるはずだ。ここの水は地下水をそのまま引いとる。多めに飲むようにしろ」

「その、水」

「濃縮のか? 作れる数が多くねえ。坊主を一刻も早く楽にしてやりてえし、こんだけ作るのにデカい鍋いっぱいの水を煮込まねばならん。そうしても、最悪を脱する程度にしかならんのだ。今の手持ちは十個程度。魔力の少ねえ坊主に使うことが最優先だから、なかなか増えねえ。お前さんにも渡すから、常に一つは持ち歩いてくれ」


 黙って頷くと、「そのまま眠れ」とヴァルムは明かりを消して出ていった。

 横になっていても世界は回る。

 闇の中、回転しながら落ちていくような感覚に、ビヒトはカエルレウムの不安を見る。自分に出来ることは何か。闇に抗いながら、少年の笑顔を思い浮かべるのだった。




 朝になると、ヴァルムの予想通り眩暈は良くなっていた。軽い頭痛と体のだるさは残っていたけれど、動けないというほどでもない。

 部屋に一度戻ろうと起き上がったところへ、ヴァルムがパンとサラダだけの簡易な朝食を運んできた。


「まだ寝てていいぞ。坊主には、あの後遅くまで酒飲ませたから、二日酔いで寝とると言ってある。昼からも多少具合悪そうでも変に思うまい」

「確かに症状的にも似てるが……」

「ほれ、水を飲む言い訳もできるぞ」


 笑いながら水差しをテーブルに置かれて、ビヒトは色々諦める。ここに居ることに決めたのなら、考えなければいけないことも多い。


「遺跡から出た物を売るつもりだと言ったな。あれは、ここで店を開くということを考えてるのか?」

「ん? そうなるかな。一応、店舗スペースは用意しとるんだ。観光客も来ねえとこだから、厳しいかもしれんが、まずは珍しいもんが好きそうな金持ちに持ちかけてみるさ。拠点はここだが、出張は必要だな」

「俺は経営はドのつく素人だからな。かじってはみるが、そっち方面のまともそうな人間を一人は雇えよ?」


 ヴァルムは肩をすくめる。


「そう気張らんでも、しばらくはやっていける」

「継続しなきゃ意味がない。カエルレウムに継がせるつもりの商売なんだろう?」

「ん? 坊主にか? そこまでは考えとらんかったなぁ……」


 のんきに聞こえる回答に、ビヒトは頭を抱えた。


「一人で暮らしていけるとは、そういうことじゃないのか」

「まあ、そうか。だがなぁ……店に立てるほど丈夫に育つか……」


 伏し目がちになるヴァルムの様子に、彼はカエルレウムの未来さきが見えないのだと知る。暗いのではない。どう進むのかも完全に見えないのだ。出来るのは、現在を全力でサポートするだけ……

 思わず落ちた沈黙に、気付いたヴァルムは笑った。


「まあ、こっちで作った道を歩くだけをさせるのも違うしな。そうしたければ、そうすればええ」

「……そう。そうだな」


 ヴァルムはいつも可能性だけを示す。選ぶのは本人だと。

 ビヒトも示す側に回らねばと思う。

 ぐっと、拳を握りしめた。



 ◇ ◆ ◇



 ビヒトが手始めにやり始めたのは、家と洞窟付近の防犯対策だった。

 厨房側にある裏口と、将来店舗になる場所の入口に陣を仕込む。泥棒や強盗を警戒する意味もあったけれど、そうして入り込んだ誰かが、不用意にカエルレウムに触れてしまわないように。相手が生き残っても死んでしまっても、楽しい結果にはならない。

 それから、服装を変えた。

 使用人風に、という注文だったのに、出来てきたのは白手袋まで完璧な執事服だった。

 「手袋をするというし、そう思い込んでしまいました」と若い女店主ににっこり笑われたが、何かの意図を感じずにはいられなかった。

 採寸の時、彼女がやけに張り切っていたのは気のせいではないだろう。

 ともあれ、不届き者との対面も想定して動きやすく、隠しポケットなども作ってもらったので重宝は重宝だった。


 格好だけそうしているのも、なんだか気持ちが悪い。

 少しずつ真似事から始めてみると、村の人々の反応が変わってきた。丘の上に住み着いた怪しい人達、という雰囲気から、豪快な主人を持つ金持ちへの反応へ。特に、女性達の態度が格段に柔らかくなった。

 昔、ヴァルムの姉レティナ様に言われたことがビヒトの頭をよぎる。


『一見誤魔化せますし、傍にいて不自然ではない。その見目なら、整えればもっと色々使えるでしょう?』


 きちんとした者が見つかるまでなら、このまま通した方がいいのかもしれない。

 ビヒトは、なし崩し的に執事の勉強も始めることになった。


 少しずつ体力をつけたいというカエルレウムに、無理のないよう軽い体操から初めて、簡単な関節技や重心を崩す方法など、小さな動きで出来ることを教えていく。

 遊びで披露したナイフ投げも、ベッドの上でも練習できるからとねだられた。

 体力は続かないが、そういう勘は優れたものを持っていて、飲み込みの速さにビヒトも驚いた。

 いつの間にか口調もビヒトを真似、生意気な様相を示してくる。丁度、ビヒトが執事らしい口調を心がけるようになった時期と重なって、もう少し早く気を付けておくべきだったかと少しだけ後悔した。


 テリエルはひと月に一度から半月に一度、そのうち週に一度は来るようになって両親を困らせていた。何度かセルヴァティオ達も一緒にやって来ていたが、帰りたがらない彼女を置いて城に戻らなければならないことも多く、一度しっかりと話し合いをすると言って、ヴァルムがテリエルをパエニンスラに届けにいった。

 どう「話し合う」のかビヒトは不安だったが、まさに不安は的中する。

 戻ってきたヴァルムの隣には、にこにこと嬉しそうなテリエルの姿。


「……ヴァルム?」

「強奪してきた形になった」


 肩をすくめるいい歳のオヤジと、カエルレウムに飛び付きそうになっているおてんば娘を、ビヒトは並べて座らせて、説教するのだった。




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