79 兄弟

 やはり、何者でもない自分では駄目なのかと、肩を落として帰路につく。

 ヴァイスハイトが認めるような人間と言うのは、どこまでになればいいのだろう。あの丘の上から見た巨大な魔法陣を解読するくらいか。ビヒトには一瞬しか見えなかったあれが、ヴァイスハイトには常に見えているのだろうか。

 大きすぎて何のための陣なのかも読み取れなかった。ただ、古いものだということは文字から判る。

 時間をかけて読み取ろうにも、あの場所へは簡単に入り込めない。

 森から戻ってきた時のように、ビヒトの後ろで道が閉じていく感覚を味わっていた。


 アウダクスから手渡された報酬の袋を手の中で遊ばせて、ビヒトは小さく息をついた。

 半分程は予測していたことだった。

 父は自分に気付いていたのかいないのか、それも判然としないが、少なくとも彼の視界に入り込めるくらいには何かを成し遂げなければならないらしい。

 ぐっと奥歯を噛みしめて、ビヒトは街を出ることにした。

 見たい書物の在処は確認できた。今回はそれだけで良しとしよう。

 そう決めると、まだ早いものの、酒場へと足を向けるのだった。




 懐が温かかったので、冒険者たちでごった返す店より少し高級な場所を選び、ひとり静かに楽しむことにする。

 秋ならではの栗の酒を手元に、猪肉の煮込みなどを頼む。

 気が付くとテーブルの上がいっぱいで、頼みすぎたかなと苦笑した。

 程よい喧騒の中でいい感じに酒がまわってきた頃、トイレから帰ってきたらしい青年が頭を抱えながらビヒトの向かいにどさりと腰を下ろした。


「あーーー。酔った。誰だよ酒に酒混ぜたの。ちょっとタイム。休憩。なんか食わせろー」


 席を間違えたんだなと思いつつ、気分が良かったので新しくフォークをもらって彼に差し出す。


「どうぞ」

「……ん? あれ。これ高いヤツじゃん。いつ頼んだ? 人がちょっと用足しに抜けた間に……っぅま! え。マジ? こんな美味いの? もうやんねー。後は俺のモンー」


 テーブルにかぶりつくようにだらしなく砕けた格好で美味しそうに肉を口に運ぶ様を、ビヒトはにこにこと見守っていた。

 時間も進み、人が増えてきた店内で、やはりトイレから帰ってきたらしい人物が、ビヒト達のテーブルの横を通り過ぎようとして何気なく視線を寄越し、ぎょっとして少し戻ってきた。


「カルトヘル! お前、何やってんだ!!」

「……へ?」

「……え?」


 名を呼ばれ、顔を上げた青年は一度ビヒトの顔を見て手元に視線を戻し、それからもう一度勢いよく顔を上げた。


「よそ様のテーブルで、何やってんだよ! 戻ってこないから心配して手洗いまで見に行ったのに。すいません。コイツ、酔っぱらちゃったみたいで……」

「いえ……別に。頼みすぎちゃってたんで、構わないんです……もう、出ますので、お気になさら……」


 テーブルに手をついて立ち上がったビヒトのその腕を、青年は痛いくらいの力で掴んだ。


「いやぁ。悪いことをした。詫びないと気が済まない。ま、ま、座れよ。そんな、逃げるみたいにしなくても」

「……カル……?」

「自分の不始末は自分でつけるからさぁ。お前、先に席戻っててよ」


 急に酔いが覚めたように鋭い瞳で友人を追い払うと、カルトヘルと呼ばれた青年は、ビヒトにも座るよう睨み付けて促した。

 渋々とまた腰を下ろしたビヒトも、さっきまでの心地良い酔いがどこかに飛んでしまっている。


「厄日か……」


 小さな呟きはカルトヘルの耳にも届いたようだった。


「こっちのセリフだが。ここで何をしてる? ヴェル」

「先に、逃げないから手を離してくれませんかね。兄上」

「まさに今! 逃げようとしただろ!」

「食事も終わりましたので、宿に帰ろうかと。変に思われますよ」

「うるさい。昔っからちょっと目を離すとちょろちょろ逃げやがって」

「生憎、私も成長しましたので、もうちょろちょろ出来るような大きさではなくなってしまいました」


 あ? とカルトヘルは少し引いてビヒトをじろじろと眺めた後、嫌そうに眉を顰めた。


「最後の可愛げまで無くなったのかよ」


 はぁ、と聞こえる音量で息を吐いて、カルトヘルは乱暴にビヒトの腕を放した。


「それにしても、パッと見でよく判りましたね。そんなに変わってないですか」

「その口調が似合わないくらいにはスレたな」


 ふん、と鼻で笑って続ける。


「嫌いな奴の顔は忘れないんだよ」

「なるほど」

「その態度が可愛くない」

「どうしろと」


 ビヒトが残っていた酒を流しこむと、じとっとした目で見上げられる。


「飲みますか?」

「おごりだな?」

「弟にたからないで下さい」


 聞こえない振りでエールを頼むと、カルトヘルは嬉しそうに半分を空けた後、しみじみと頷いた。


「お前と、酒飲むなんてなぁ」

「一番ないと思ってました」

「宿に泊まってるってことは、家には帰ってないのか」


 急に真面目に問われて、ビヒトも酒のおかわりを頼む。


「何をしに来た? 今更、姉上の結婚祝いという訳でもないだろう?」

「姉上、結婚したのか!」

「……ちょっと失礼なニュアンスだったぞ。聞かれたら殺されるぞ」


 思わず口を押さえたビヒトにカルトヘルは声を立てて笑った。


「デカくなっても、姉上は怖いか。可愛がられてたもんなぁ。じゃあ、今からでも祝いの一言でも言ってやれよ。で、そうするなら兄上にも言わないと不公平が生じる」

「ヴィッツ兄上も? ……そうなのか」

「兄上は家に迎えたんだけどな」


 言葉は無かったけれども、ちらと向けた視線でカルトヘルはムッとしてビヒトの鼻を思いきり抓んだ。


「俺のことは余計だ。好きにやってんだ。ほっとけ。まったく、お前のせいでこっちはグレるタイミングも逃して何もかも中途半端さ。家を出るなんて選択、あったのかと愕然としたぞ。二番煎じはごめんだし、かといって俺には父上の期待がある訳でもない。いてもいなくても、お前は嫌な奴だ」

「兄上は家を出たかったのですか?」


 カルトヘルは肩を竦めて口の端を少しだけ上げる。


「お前のそういうところ、本当に嫌い。俺はやればできるのに、期待されないからしない。やりたくないって拗ねてたのに、やりたくてもできない相手に嫉妬する自分を突きつけられる。家を出るほどの気概もない自分も。だから、お前の近況なんて誰にも話してやらない。ここで会ったなんて口が裂けても言わないからな」


 しばし、ジョッキを呷るカルトヘルを見つめて、ビヒトは苦笑した。


「兄上。俺は、兄上のその、悪人になりきれないところが少し好きですよ」


 ぶふっとエールを吹き出して、カルトヘルはビヒトを睨みつける。


「ん、なっ……なっ」

「意地悪して物置に閉じ込めるのに、自分のおやつを一緒に入れておいてくれるとか、水戦争ベルルムで人一倍むきになって俺を狙うのに、近所の子が俺を狙うと仕返ししてくれるとことか」


 一気に酒がまわったように、カーッと顔を赤らめて、カルトヘルは立ち上がる。


「し、してない! そんなことは、断じてしてないぞ! お、おまえっ、くそっ。だから、嫌いなんだ! あれだろ、『赤い石の耳飾りのビヒト』ってお前だろ! さあ、吐け。恥ずかしい女の遍歴を吐いてみやがれ!」

「なんでそれを兄上が知ってるんですか……まあ、こういう店で会うくらいですから、推して測るべしなんでしょうが……」

「あるのか! 女の……」

「そっちじゃないです。というか、だいぶ砕けてますけど、兄上普段大丈夫なんですか? 兄上の職場も、国の出向機関ですよね?」

「お ま え に、心配されなくともちゃんとやってる!」


 すとんと座り直して、そっぽを向きながらジョッキを持ち上げる様子はビヒトが幼い頃となんら変わらなくて、不思議な気持ちになった。家を出るまでの数年は一言も話さない日々だったのに。


「……いつまでいるんだ?」

「明日には出て行きます」

「……そりゃ、良かった」

「兄上に会えてよかった」

「俺は気分が悪い」

「飲み過ぎは身体によくないですよ」

「うるさい! 飲まずにいられるか!」

「飲み過ぎたら、魔力を肝臓に回すといいですよ。次の日少し楽になります」

「あ?」

「もう行きます。これ以上居ても兄上を不機嫌にさせるだけでしょうから」


 立ち上がったビヒトをカルトヘルはもう止めなかった。


「ヴェル」


 真剣な顔に「はい」と首を傾げる。


「飯を食う友達はいないのか」

「今は――何人かいますよ」


 ビヒトが苦笑すると、カルトヘルは「そうか」と笑って追い払うように手を振った。

 二度と帰ってくるな、と。




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