43 遠い親戚

 軽薄そうな男は、身なりは金持ちのそれだった。シャツにジレ、暑いのだろう、刺繍のたっぷり入ったコートは腕にかけている。

 ビヒトは客なのかとも思ったが、今にも噛みつきそうなマリベルの顔を見て思い直した。


「客だって? いやいや。見たところまだ若い。君の商品を買えるような感じでは……」


 顎を上げるようにして、手を大きく広げ、芝居がかった調子で言葉を紡いでいた男はふと、ビヒトの手元に視線を落として黙り込んだ。


「人を見かけで判断しないことね。こちらの方にはもう前金で金貨をもらってるの。商談の邪魔よ。出口はあちら!」


 金貨とは、買い付けの時に貸した一枚のことだろうか。

 男は苦々しそうに一瞬だけ眉を顰めると、フン、と肩を竦め、嫌味な笑顔を浮かべた。


「では、今日のところは帰ろう。もっと沢山の客が来るようになるといいね。マリベル」

「ご心配、ありがとうございます!」


 マリベルは男の背中にいーーっと歯を剥いていた。

 ドアが閉まり、男の足音が遠ざかっていくと、ようやくいからせた肩を下ろす。


「客じゃないのか?」


 ビヒトの声に、マリベルはハッとしてようやくその手を離した。


「違うわ。遠―――い親戚。ほぼ他人なのに、いつもうちのことに口を突っ込むの。ほっといてくれって言ってるのに!」


 あの身なりの人物が親戚というのなら、実はマリベルはいいとこのお嬢さんなんだろうか。

 そんなビヒトの視線を受けて、マリベルは渋い顔をした。


「違うわ。少なくとも、あたしは違う……えぇっと、確認しに来たのよね? 邪魔が入ったから、まだ出来てなくて……外枠は出来たんだけど」

「ああ、急がせに来たわけじゃないんだ。酒場の親父さんに頼まれて」

「マスターに?」


 作業机に向かいかけたマリベルは、足を止めて振り向いた。そこで初めてビヒトの手にカゴと麻の袋が提がっているのに気付いたようだ。

 どちらもちょっと掲げ上げて、ビヒトは口の端を上げた。


「俺も昼食い損ねてるんだ。場所貸してくれると嬉しいな。いい匂い過ぎていいかげん腹がうるさい」




 マリベルは工房の奥の狭い生活スペースに通してくれた。二段になったベッドが部屋の半分ほどを占めていて、脚の折り畳めるようになっているテーブルを置いてしまうと、もうぎゅうぎゅうだった。


「狭くてごめんね。ひとりだと、作業机で何もかも終わらせちゃうから……」

「いや。冒険者組合ギルドではベッドの上で全部済むとこもある。急に来たのはこっちだし」


 カゴの中には鍋がひとつと、大きめの楕円形のパンが一個入っていた。マリベルは鍋を火にかけ温めている間にパンを切り分けてくれる。

 テーブルの真ん中に鍋が運ばれてきて、カットされたパンを盛り付けられた皿と並んだ。


「これね、肉の切れ端とか、くず野菜とかを煮込んだまかないなんだけど、味は絶品だから!」


 うふふと嬉しそうに笑って、マリベルはパンを一切れ取るとその上に鍋の中味をスプーンで掬って乗せた。

 ブラウンシチューのような見た目だが、もう少し水分は少ない。ビヒトもマリベルを見習って、同じようにパンに乗せてかぶりついた。

 野菜も肉もまだ形は多少残っているものの、口の中で歯を立てずとも崩れていく。野菜のまろやかな甘みと後に残る肉のしっかりしたコクが旨い。

 少し硬めのパンが歯ごたえの物足りなさも補ってくれていた。


「……うまっ」

「でしょ! あたしはこのパンもひたひたにするのも好きなの。見た目は悪いけどね」


 しばらく二人して黙々と食べ続け、気付くと鍋一つ空になっていた。

 ふぅ、と満足げに息を吐くマリベルにビヒトはハッと我に返る。


「あ、すまん。明日の分もあったんじゃないのか?」

「そうかな? 二人分だったんでしょ? いつもあるだけ食べちゃうし……気にしないで」


 ぽんぽんとお腹を叩きながら、マリベルはにっと笑う。


「そ・れ・よ・り!」


 横に置いてあった麻の袋を頭上まで掲げて立ち上がると、彼女はうっとりと頬を上気させた。


「ビヒトって、ホント金持ちよね! 金持ちの女のパトロンでもいたんじゃないの? 手土産にポンとこういうの選ぶなんて!」

「……通りかかったら女性が並んでたんで、女性に人気の店なんだと思っただけだ。聞いたら手土産にも喜ばれるって言うし……並んだからにはやっぱりやめますとも言えないだろう?」

「誰かのお使いだと思われたのね。でも、あの辺高級店並んでたでしょう? 雰囲気で分かりそうなもんだけど」

「田舎者で悪かったな」

「そんなこと、言ってなーい」


 楽しそうに笑いながら、マリベルはポットを火にかけた。

 戻ってくると砂糖漬けの入った缶を大事そうに取り出し、そっとテーブルの上に置く。ゆっくりと開かれた蓋の奥には青紫の星型の物が白い砂糖を纏って詰まっていて、明け方の白くなりゆく空を見上げているような気分になった。


「花の、砂糖漬けなのか!」

「なに? 知らないで買ったの? らしいっていうか……」

「どんな味がするんだ? 花は……あまり食ったことがない」


 そういえば、サラダに添えられたものが出てくることはあったかもしれないが、飾りだと思って避けていた。そんなことをビヒトは思い返す。


「これは、あまり味は無いはず。確か、バニラで香りが付けられてるから、しいて言うならバニラ味かな。スミレとかバラとかの砂糖漬けは香水臭いって言う人もいるけど。食べれば?」


 缶ごと差し出されて、ひとつ摘まむ。

 おそるおそる口に入れると、砂糖の甘味とバニラの香りが広がった。確かにそれ以外の味はあまり感じない。


「どう?」

「甘い」


 マリベルは笑って、紅茶を淹れる為に再び立ち上がった。

 一頻り、紅茶にエガーブの花の砂糖漬けを浮かべたりして高級品を堪能していたマリベルだったが、ふと自嘲気味な笑いを浮かべて、木製のカップを両手で包み込んだ。


「さっきの男ね、父方の、曾祖父の代に少し繋がりのあった家の人でね。うちはもうとっくに没落した家系らしいんだけど、その昔は一応名のある一族の端っこに居たんだって。そんないつかも分からないような昔のよしみってことで、時々彼のお父さんが父の作品を買い上げてくれてたのよ」

「そう、なんだ」

「うん。正直助かってたのはホント。ところが数年前にその人が亡くなって、そこでうちとの縁も切れるはずだったのに、あの息子が好奇心からうちを訪ねてきたの。『正直僕にはそれらの価値は解らない。でも父が気にかけていた物だ。女性が身を粉にするようなことが無いよう、僕も出来る限りのことはしよう』そう言って手を取られたわ。訳が分からなかった」


 思い出したのか、マリベルがぶるりと身震いする。


「あたしは自分の意志で線細工をやりたいと思ったし、そのために多少無理をするのも苦じゃない。火を使うから時々火傷したりもするし、もちろんまだまだ未熟かもしれないけど、それでも作品には誇りを持ってる。それをさっぱり解ってもらえないの。女性は詩を読んで、お茶をたしなみ、着飾って刺繍や縫物が出来ればいいんだって。うちには使用人を雇うゆとりもないし、そう言ったらなんて言ったと思う?」


 怒りのこもった声に嫌な予感はしつつ、ビヒトが首を振ると、長く息を吐いてから彼女は口を開いた。


「じゃあ、僕が囲ってあげよう。身分差があるから、妻には無理だけど、それなら波風も立たない。幸せだろう?」


 軽薄な雰囲気の口真似で、おそらく似ているに違いない。


「幸せって、何!? あたしの幸せを、あんたが決めるなって言うのよ!」


 握った拳をテーブルに振り下ろすと、怒りにまかせてマリベルは叫んだ。

 その剣幕に、ビヒトは思わず肩を竦める。それを見て、マリベルもコホンと咳払いをひとつした。


「あー。まぁ、そんな感じでね。話が全く通じないの。何度もう放っておいてって伝えても、遠くても血の繋がりのある家の窮地を救うのは当然だって……そういう奴だから、もしビヒトがどこかで会って何か言われても相手にしないでね。一応、あれでも騎士の端くれで、冒険者にやり込められた、なんていったら面倒臭いことになりそうだから」

「騎士なら、それなりの訓練はしてるだろう?」

「知らないわ。でも、きっとビヒトの方が強いわよ。彼、近所の繋がれた飼い犬に吠えられてビビってたから」

「……あ〜……」


 おそらく、それだけでもマリベルの基準から外れているに違いない。

 ビヒトは苦笑いを浮かべるしかできなくて、冷め始めた紅茶を口に運んだ。




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