天は厄災の旋律(しらべ)
ながる
第一章 カンターメン家のヴェルトロース
1 期待の子
その昔、星を
幸い、その星が地に落ちることはなかったけれど、世の
理を護る役割を担っていた、国を貫いて横たわる湖に棲んでいた
世は荒れに荒れ、人々は己の力に驕ったその者を捕らえ、主の前へとひれ伏しながら差し出したそうだ。
はたして。
アレイア大公国の朝は教会の鐘の音と、どこからともなく響く雷の音で始まる。
晴れていても、雨の日でも、それは湖の方から聞こえてきて、不思議なことに光などは一切目撃されたことがない。
観光客などはその音に驚いて怯えたりもするのだが、住みなれてしまえばそういうものだと慣れてしまう。
「あれは、『戒めの
ガイドが淀みなく説明するそれを、ヴェルデビヒトも幼い頃から何度も聞かされた。
力に驕ってはいけない。
理を乱してはいけない。
次はないのだ。
ヴェルデビヒト。よく、心せよ。
口癖のようだった父の言葉は、もうヴェルデビヒトにかけられることはない。
手の中の不合格の並んだ通知表をくしゃりと握り潰して、彼は近くのくず入れへとそれを投げ入れた。
そんなことをしても、その成績は彼の父の耳にはもう入っているだろうし、試験期間は、魔術学校の卒業生でもある、年の離れた兄や姉にも周知のことだ。
アレイア大公国一の魔術師、ヴァイスハイト・カンターメンを一家の長に持ち、兄や姉も国の要職に就いている、この国と共に代々歩んできた優秀な魔術師の家系。
その、たったひとりの落ちこぼれが、ヴェルデビヒトだった。
合格をひとつも獲れなかったわけではない。
術式や原理、魔法陣解読、古語などの筆記試験にはトップクラスの成績で合格している。
けれど、そんなものあの家では自慢のひとつにもならない。
出来て当たり前。それを応用させて、展開させて、発動できなければ、無用の長物だとさえ言われるのだ。
魔術学校の裏手にある湖に沿って、観光客が辿るのとは別の道に入る。一度森に入っていくその道は、奥でまた湖に出ることができた。
距離、範囲、出力――注ぎ込む魔力の量――どれも問題無い。無い、はずだ。
「遥かより湛えられる命の
自分の声だけが虚しく響く。
湖面は波ひとつ立たない。蹴った小石の方が、よほど湖を騒がせた。
精度はさておき、魔法の才能があれば、子供でも発動できるはずの初歩の初歩。それさえも発動できない。
どれだけ原理を突き詰めても、魔力の流れを感じていても、ヴェルデビヒトが魔法を呼び起こすことはできなかった。
入学してから実技試験にひとつも合格できていない。
卒業できないということはないが、魔術師としての卒業は絶望的だ。
半年後の卒業式を思うと、今から気が重かった。
足で水を蹴りあげると、いくつもの水の珠が綺麗な放物線を描いて落ちていった。それが無性に癪に触って、二、三歩湖に入り込み、彼は水面をめちゃくちゃに薙ぎ払った。
ずぶ濡れで通りを歩くヴェルデビヒトに声がかかる。
「よぉ。ヴェル。誰と
魔術学校の制服に身を包んだ者たちの、押し殺したような、悪意あるさやさやとした笑い声に一瞥だけくれて、彼は足を進める。
カンターメン家の
それが、もう一つの彼の名だった。
◇ ◆ ◇
世の中には魔法を使えない人間はごまんといる。
一般家庭に生まれていれば、ヴェルデビヒトだって優秀な学生として扱われただろう。魔術師にはなれなくとも、魔道具の開発や、魔法陣を紋に組み込んで力を発揮させる彫師、アクセサリーに組み込んで護りや反撃に転じさせる護身具職人。そういうもので名を馳せたに違いない。
ヴェルデビヒトの生まれた日は、誰もが
空は真っ黒な雲で覆われ、時折びかびかと光ったかと思うと、その表面を白や薄い青や赤紫の雷がひっきりなしに走っていた。
一晩中奥方についていた産婆がようやく赤ん坊を取り上げた、その瞬間、カンターメン家の庭に雷が落ちた。
バリバリドーンという音と、館中を震わせる地響きに誰もが身を竦ませた。庭に面した窓は幾つか割れていたという。
その音と振動に怯えたように、その子は産声を上げた。
ひと月が過ぎ、幼子の魔力量と優位属性が調べられる。
針で指先を突かれ、むずかる子の血を小さな金属の板に擦り付けると、部屋の中が白一色に染まった。眩しくて誰も目を開けていられない程だった。
当主はヴェルデビヒトを高々と抱え上げて喜んだ。
上の三人とは少し離れてできた子だが、魔力量は一番多いかもしれない。もしかしたら、自分よりも。
優位属性は判明までに少し時間がかかる。後に受けた報せでは『劣るものなし』と。
彼がその子を目に入れても痛くない程可愛がったのは、想像に難くないと思う。
兄達や姉と
「お前はきっと、世に名を残す魔術師となる」
それがヴァイスハイトの口癖だった。
ヴェルデビヒトが幼学校に通う頃から、雲行きは怪しくなる。
魔力の感知や移動などは出来るのに、一向に魔法を発動させることが出来ないのだ。
才能のある子はすでに
呪文の覚えが悪いわけではない。むしろ、覚えはいい方だった。兄姉と競うようにいくつも覚えていく。
父親の焦りは、厳しい教えとなってヴェルデビヒトに与えられた。
何故。何故。何故。
才能はある。間違いない。
何故、発動しない。どうして。
呪文が失敗する度、父の手が出るようになった。
彼の努力が足りない訳ではない。解っているのに。
叩かれても、もう一度、と燃える瞳を見るのが苦しくなる。
距離が出来始める。
これ以上失望したくない。息子にも。
――自分にも。
十二歳。次の年に魔術学校への入学を控えて、父はヴェルデビヒトを部屋に呼んだ。
「魔術学校での三年間に魔法を発動させられなければ、出て行け」
いくら他の勉強ができても、魔術師になれない者はこの家には要らない。ヴェルデビヒトには、そう言われているように感じた。
学校でも囁かれ始めている陰口。
ヴェル、と親しげに呼びかけるその口は「ヴェルトロース」と動いているのではないか。
『役立たず』ではないと証明しなくてはいけない。
たとえ、魔法を使えないのだとしても。
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