56 怪しい船
木の枝から次々と飛び降りる猿たちに、ビヒトも剣を抜いた。
ヴァルムは避けられない猿だけ剣の腹で叩き落としているようだった。理由があるのかないのか判然としないが、ビヒトもとりあえず倣っておく。
ヴァルムの剣のように幅広ならばそれほど苦ではないのだろうが、ビヒトの普通の剣では当たり所が悪ければ折れてしまいそうだった。
猿の身体は思ったよりも柔らかく、当たった剣身がその身体にめりこんでいく。衝撃を吸収するようになっているのだろう。振り切るよりは軌道を逸らすのに弾くくらいがいいのかもしれない。
地面に落ちた猿たちは、ぼよんと跳ねて体勢を立て直し、また近くの木に登っていく。
走る竜馬を追いぬく勢いで枝から枝へと渡っていく猿たち。
ひとしきり続いた猿の雨は無駄と判るとそのうち止んだが、つかず離れずで囲まれ、緊張は続く。
やがて、群れの中に一回り大きな個体が何匹か見え始めた。
ビヒトは『不帰の森』に入ってから空気が重いような気がしていたのだが、それが錯覚でも鬱蒼とした森の雰囲気だけでもないのだと気付く。
魔力の気配に辺りの魔素が動くのが分かった。そのくらい魔素が濃いのだろう。
「ヴァルム! 魔法使ってくるぞ」
「おう。使えるヤツは多くねぇ。凌げれば、もう追いかけてこねえはずだ!」
言ってる間にオレンジの光が見えた。ぽつぽつと数が増え、一斉に放たれる。
後方からも魔力を感じて、ビヒトはフルグルの上に立ち上がった。左手は手綱を握ったまま半身で後方から飛んできた
続けて二つ叩き落としてから正面に向き直り、少し距離のあるそれに集中する。
玉の右奥にぼんやりと何かを感じて、感じるままにそれを叩き切った。
目の前で火の玉がふたつに割れて空に溶ける。
よし。
と、咄嗟には難しいものの、集中できる時間があれば斬れることを確認して、ビヒトはほっとした。
ヴァルムの剣に助けられて知った感覚だが、拙くとも自分でそれがなぞれる。磨いていけば、もっと楽に斬れるようになるはずだと確信できた。
気持ちにも余裕が出来たので、ビヒトはそのままスピードを上げる。火の玉はことごとく撃ってきた個体に返してやった。
◇ ◆ ◇
「どうして猿を斬らなかったんだ?」
空が茜色に染まる前に、大樹の傍で野営の準備をしながらビヒトは聞いた。
小枝や乾燥した落ち葉、木の皮などをマリベルの作った陣の上に組み上げていく。その上に太めの薪を置いてから火をつけた。
火が移ってから鎖を引っ張り、陣を回収して顔を上げる。
ヴァルムはいつの間に獲ったのか、ネズミのようなものの皮を剥いでいた。
「あんまり血が付くと切れ味落ちるしな。退治が目的でもねぇ。あとは……あいつら意外としつこいのよ。うっかりグループのまとめ役みたいなのを斬っちまったら、縄張り抜けても追いかけてきやがる。面倒だろ?」
なるほどな、と頷くビヒトに、ヴァルムはネズミの頭を切り落としたナイフを向ける。
「楽しそうに火の玉を打ち返しやがって。軽業師か」
「いい牽制になってただろ。使えるもんは使っていかないと」
「まぁ、そうだがな。思ったより逞しくて安心したわ」
「五年もあれば色々学べる」
「あんまり気張るな」
くっくっと喉の奥で笑って、ヴァルムは開きにしたネズミを自分の酒で洗ってから火で炙った。すぐに二匹目に取り掛かる。
「遺跡まではどのくらいかかりそうなんだ?」
「前回はひと月ほどかかったんだが……」
「それって調査の時か?」
「おうよ。人数も多かったし、もっとゆっくりだった。コンパスも役に立たんかったから、だいぶ迷ったしな。今回は大体の位置は掴めとるし、上手くいけば十日前後ってとこか。邪魔が多くなければもっと早く着くかもしれねぇ」
邪魔という言葉にビヒトは森の奥を見やる。
枝葉の間からはまだ白っぽく空は見えているが、森の奥はすでに闇が染み出していた。
「この辺りの奴等はそれほど心配ねぇ。気配はうるせぇがな」
「奥に行くほど、魔獣も増える訳か」
「奥に居るヤツもまあ、刺激しなければそうでも……間の奴等がな。力比べしたがるヤツが多いから、通りたいだけの時は面倒だな。何匹か決着のついてないヤツもいるし……」
「……おい?」
遭わなきゃいいな、とガラガラ笑うヴァルムを諦めの気持ちで眺めながら、ビヒトはネズミを裏返した。
「その様子じゃ、ラディウス達について観光なんて退屈だったんじゃないか?」
「まぁな。だが、無駄ではなかったぞ」
二匹目のネズミも枝に刺して火にかけたところで、ヴァルムは目元だけを少し鋭くした。
「おめえさんはどっちを通って帝都に入った?」
「最短距離を来たはずだから、北西に向かって内陸を」
「そうか。わしらは南から、船で帝都の港町へ入ったのよ。若干遠回りだが、互いの港町を比較すると面白かった」
無言で先を促すビヒトに、もったいつけるようにヴァルムは小さな水筒に移した酒で口を潤す。
「こっちはな、昔ながらの港町だ。古い街並みと内海での漁。そのための船。半島に向かうための連絡船。一応、巡視船もいるがピリピリした雰囲気もねぇ。帝国の巡視船と手旗で会話するくらいには、のんびりしたもんだ。だがな。帝国の港町には見慣れねえ船がいた。一見、観光船か連絡船を装ってはいるんだが、船体に窓とは違う四角いものが並んでて、砲撃でも出来るんじゃないかと疑ったな」
「どこかに攻めるつもりだと?」
眉を顰めてビヒトが問うと、ヴァルムは少し首を傾げた。
「今は国境付近の小競り合いはあれども、比較的周辺国との関係も落ち着いていて、内側を纏めようとしとったはずだ。今以上に治める土地を広げると、目が届かなくなるしな。といっても、守りを固めるだけ、というのはあの国には少々似合わん。探りを入れたら、その一隻だけじゃなく、まだ造っとるようだったし」
「ますます物騒じゃないか」
「そう思うよな。酒場での噂話だと、外海に出る気らしいっちゅうことだったが……」
パエニンスラの海に突き出た半島は、釣り針型をしていて、外海との境が狭くなっている。お陰で内海は穏やかで船での行き来も盛んだ。肥沃な土が流れ込み、比較的遠浅で漁もしやすい。
だが、湾を出て外海に出ると状況は一変する。
巨大な海獣が出現し、あっという間に船を沈めたという話は枚挙に暇がない。
複雑な海流と荒れる海。挑戦しては挫折の繰り返しだと歴史は語っていた。
「戦争用ではなく、対海獣用だと?」
「土地を広げないのであれば、海を制するというのは力の見せ場としては理に適っとる。何せ誰も成し遂げてないからな。遠い土地でも海から攻められるぞと脅す意味でも」
「上手くいくと思うか?」
ヴァルムは肩を竦めた。
「さあな。海を越えるなら、わしは空を行った方がいいと思う。海獣と奴等のフィールドで戦うのは、リスクが高すぎる」
「気球や飛行船はまだ安定した速度が出せないんじゃなかったか」
「らしいな。嵐に巻き込まれれば方向を維持するのも難しいだろうし、結局連絡船代わりにしかならないのならば、船の方が割安だからと開発は進んどらんらしいぞ。ビヒト、鳥のような乗り物を作って人を運べれば、一儲けできるかもなぁ」
「俺ならわざわざ落ちる可能性がある物より、転移陣を普及させる。あれの魔力消費さえ抑えられれば、どこにいても一瞬だ」
「緊急時のために各国年単位で溜めとる魔力を抑えられれば、そりゃあ一番だろうがよ。陣設置のために結局一度は現地に行かなきゃならねえし」
「あんまり現実的じゃないのは分かってる。距離があればそれだけ消費は増えるし……」
「ま、おめえさんらしいと言えばそうだな。出来たらわしにも使わせろ」
喉の奥で笑って、ヴァルムは焼き上がった肉に齧りついた。
「遺跡でヒントでも見つかったらな」
実際、転移陣は普及していないわけではない。各国首脳陣営や
ヴァルムが以前書き換えて作れていたのは、恐らく
大した期待がある訳でもなく、先人の偉大さに敬意を抱きつつ、ビヒトも小さな肉の塊に手を伸ばすのだった。
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